見出し画像

クラブ化粧品-クリーム-

中山太陽堂から「クラブ美身クリーム」が発売されたのは明治43年。翌44年には、英国式「クラブ美身クリーム」が発売されました。既に明治21年に大日本製薬より国産のコールドクリームが発表されていましたが、品質はまだまだ舶来品に及びませんでした。再び国産のクリームが登場したのは、明治40年発売の「御園クリーム」、明治42年発売のバニシングクリーム「クレームレート」です。また、明治末には化粧下地にマッサージクリームやコールドクリームを用いる欧米の化粧法が雑誌などで盛んに紹介されました。

大正に入るとクリームの普及は広がり、美容にかかせない必需品となっていきます。化粧下地用として「バニシング御園クレーム」が登場しました。更に昭和になると、肌質によって用いるべきクリームが紹介されています。無脂肪のバニシングクリームは、脂肪分の多い人の手入れ用、普通の化粧下地など。脂肪性のコールドクリームは、日焼け、肌荒れ防止、マッサージ、薄化粧用などに良いと勧められています。

♣クラブ美身クリーム

英国式「クラブ美身クリーム」誕生のきっかけは、明治43年に招聘した英国人技術者P.L.スミス氏の着任です。技術研究の主任となったスミス氏は、化粧品技術者としてクリームの製造技術にも長けていました。スミス氏の指導のもと完成したのが、英国式「クラブ美身クリーム」です。着任より13年の間に、日本人技術者の指導や教育に尽力し、クラブ化粧品の発展に大きく貢献した人物です。

♧クラブ美身クリームの特長

皮膚トラブルを解消し、地肌を滑らかに生き生きとした印象に。冬の肌荒れ、夏の日焼け防止にも効果的であり、使い心地はバニシングクリーム特有の爽やかな質感です。そして女性らしい、ふくよかな香り。使い心地と美容への意識から、ラベルには「FOR BEAUTIFYING THE SKIN」肌を美しくするために…というコピーらしい表記があります。このクリームで、女性を美しくしたい、中山太陽堂の思いと自信が込められているように感じます。

♧容器いろいろ

クラブ堂級カタログの記事でも載せた、所有の美身クリームたち。戦前の美身クリームの容器は、様々な形やサイズがあります。昭和初期には四角い形状で大中小の容器が登場し、試供品の容器も筒状のみならず、平たい形状のものもあったりとバラエティーにとんでいます。

以前より、小サイズ2つの蓋のデザインが違うことが気になっていました。調べてみると作られた時代が異なるようで、左の蓋は明治末〜大正初期、右の蓋は大正中期〜昭和初期のものでした。

携帯用に便利な平たい形状です。双美人はおらず、裏側にクラブ美身クリームのラベルが貼られています。蓋の鈴蘭のエンボスがお洒落です。

左の美身クリームは、戦後すぐのものだと思います。「FOR BEAUTIFYING THE SKIN」の表記が「VANISHING CREAM」に変わっています。右の蓋は壊れやすいセルロイド製。この素材が使用されているので、明治〜大正初期頃のものでははないでしょうか。

四角い形状、箱が可愛くて購入しました。この美身クリームは、共栄クラブ会特定化粧品の商品です。四角い容器で蓋は黒いベークライト製。このタイプの容器も大中小とあり、入手したのは小さいサイズです。

箱の側面です。正価35銭、昭和初期頃(昭和8年とか?)なので現在だと約730円でしょうか。西洋の鉄柵を彷彿とさせる枠が可愛いです。

双美人の表情がふてぶてしく見えます。


♣クラブ美身クリーム 綜合ホルモン含有

画像12

いつ発売されたのか定かではありませんが、綜合ホルモン含有なので昭和10年以降ではないかと考えられます。入手した美身クリームは、昭和5年頃に堂級から発売されたものとほぼ同じで、蓋がベークライトに変わっているだけです。

♧クラブ美身クリーム 綜合ホルモン含有(小瓶)

上部画像の小瓶版です。同じく堂級化粧品から同じ頃に発売されたと思われます。


♣薬用クラブ美身クリーム綜合ホルモン含有

薬用クラブ美身クリーム発売当初のデザインCLUB cosmetics DESIGN GALLERYより

中山太陽堂とえば「ホルモンクリーム」。クラブ化粧品に関心を持つ前から、印象に残る化粧品でした。薬用クラブ美身クリームの発売は昭和10年。その後、ホルモン配合のクラブ化粧品が次々に登場します。世間では、ホルモン配合と言えばクラブと認知される程になったそうです。

ホルモンは肌の滋養剤です。若い女性にも健康美容上ホルモンが必要!と謳い、クラブ綜合ホルモンは皮膚から吸収されると化学的なアピールを行っています。

発売当初のデザインが、クラブコスメチックスデザインギャラリーにて閲覧できます。薬用クリームの容器の形状がとても好きです。コロンっとした、擬音を表現したかのような丸いフォルムが可愛い瓶です。蓋部分の薔薇のエンボスが細かいのも良いです。欲しいですね。

1.薬用クラブ美身クリーム

いつ頃のものか不明ですが、裏のラベルからすると戦前の容器のような気もします。もしかすると戦後すぐかもしれませんが。蓋にエンボスされた薔薇が上品です。

2.薬用クラブ美身クリーム

蓋が簡略化された黒い硝子容器。蓋の素材はベークライトかと。「昭和メイク移ろい-白粉からファンデーションへ-」のパンフレットによると、戦後に屑硝子を使用して生産された容器で、1940年代後半の物のようです。また、中山太陽堂では昭和16年から代用容器での生産を開始し、昭和19年になると全面的に陶器製容器に移行しています。「モダン化粧史 粧いの80年」では、戦時中に満州より日本へ送られてきたと説明があります。画像を見る限り、所有のクリーム容器と同じものですが、真相はどうなのか気になるところです。 右は一見黒いですが、日に照らすと紫色に見えます。

中山太陽堂に関わらず、戦時下の昭和13年になると、化粧品が10%の物品税の課税対象となりました。軍事費の増大と主原料不足が主な理由です。昭和18年には生産統制により、バニシングクリーム、乳液、粉白粉くらいしか製造できない状態に。また、容器は木製や陶磁器製が代用され、瓶は繰り返し回収して再利用されていたそうです。そのせいでかなり黒ずんでいたとか。

3.薬用クラブ美身クリーム

左は1950年代の容器です。商品名が「クラブホルモンクリーム」と変わっています。まだこの頃の容器は硝子で、蓋のエンボスは現行品と比較して少し細かいです。右は現行品です。プラスチック容器でラベルは印刷されています。

以前、図書館で「輝きはじめた女たち-20世紀の化粧と旅」という本で似たような容器を見た記憶があり、調べてみるとひとめぼれレトロ日記さんの記事にたどり着きました。ブログに詳細を書かれていますが、ヤードレー化粧品の容器にとても似ていたようです。

クラブ化粧品に夢中になってから、クラブホルモンクリームを使用するようになりました。クラブコスメチックスで紹介している、週に一度のお手入れに使用しており、レトロな香りが亡き祖母を彷彿とさせます。使用後は、肌が白くなったように見え、もちもちするので気に入っています。


♣クラブコールドクリーム

画像13

クラブコールドクリームが発売されたのは昭和5年。このタイプは、クラブ特定品のデザインだと思います。箱もラベルも昭和モダンで、緑色がお洒落です。コールドクリームは、お肌の清掃、お化粧落し、髭剃後、マッサージ等に用ひれば皮膚を若返らせてキメを美しくする素適なクリームと紹介されています。



クラブ化粧品のクリーム類を入手できたら追記していきます。