見出し画像

クラブ化粧品-紙もの-

少しですがクラブ化粧品のしおり型広告など紙類も集まってきたので、クラブ白粉や美身クリームの記事と同様に追記していく形にしていくつもりです。中山太陽堂の広告・宣伝の変遷については以前の記事(有料)で触れているので、ここでは軽く触れることにします。


♣中山太陽堂の広告

広告宣伝の奇才と言われた創業者中山太一による広告戦略は、独創性溢れるアイディアで世間を驚嘆させていました。大手百貨店とのタイアップ、宣伝車、航空宣伝、電飾・街頭広告、少女音楽隊・街頭宣伝、鉄道式広告と奇抜なアイディアは広告史でも高く評価されています。

また、中山太陽堂は創業からパッケージやラベルのデザインに並々ならない執念を見せてきたと「百花繚乱 クラブコスメチックス百年史」とあります。明治39年に卸業から製造業に転身後、中山太一は品質とともに意匠でも最高水準を目指し、一流の画家やデザイナー達を迎え、より質が高く訴求力のあるデザインが生み出されていきました。


♣しおり

画像12

雑誌の附録であったろうクラブの栞です。いつのものか定かではありませんが、左の女学生が手にしているのは明治41年発売の「クラブ洗粉美術カン入」に見えるので、明治末〜大正3年頃の栞だと思います。この頃は、金鎖のチェーンに懐中時計を付けネックレスのように身に付けていました。女学生らしい大きなリボンも若々しくて可愛いです。それに、横のテーブルは舶来品の家具らしい意匠に見えます。少し洋を取り入れた和洋折衷な印象も受けますね。
右は戦勝記念の栞でしょうか。女児のエプロンのポケットに、紙タイプのクラブ歯磨が確認できます。
どちらも裏側は汚れていますが、提灯と桜のイラストが可愛いです。日本名物の表記は大正初期頃までに多かった気がします。

『近代美粧』のおまけで付いていました。当時も小冊子には栞のおまけが付いていたのでしょうか。商品と図案から推測するに、1940年前後のものだと思います。1930年以降の図案は時代背景からしても人工的な印象を受ける広告が多いです。


♣しおり型広告

商品に附属している小さな広告。『クラブコスメチックス百年史』によると、しおり型広告に分類されるようです。商品紹介の図案が凝っていて可愛いものが多いです。

画像11

着物にエプロン、頭に大きなリボンを付けた子供は当時のハイカラな装いでした。女の子が持っているのは大正3年発売のクラブ香油です。裏面では、香油に関係ない「天下一品 生地まで白くなるクラブ白粉」がアピールされています。

画像11

明治39年発売のクラブ洗粉と明治44年発売のクラブ美身クリーム。女性の横顔が描かれています。当時は化粧品のラベルデザインに、女性の横顔がモチーフとしてよく用いられていました。裏面は光栄録一覧。光栄録は大正3年のクラブ新聞にもあったので、この頃の出版物には必ず記載されていたのかもしれません。

画像11

大正2年に発売されたクラブ化粧乳液水。優美な植物があしらわれたクラブ乳液。枠の意匠もアール・ヌーヴォー期の特徴が良く出ています。洋風な中にも、濃厚化粧液・皮膚滋養液の文言に親しみを感じますね。実物で欲しいクラブ化粧品。

右は明治44年発売のクラブ水白粉。こちらもアール・ヌーヴォー期らしい植物模様があしらわれています。子供が乳液を持っている可愛らしいイラストです。

画像11

明治43年発売のクラブ歯磨。この容器は実物でも図案集でも見たことがありませんが、多分粉タイプの歯磨だったと思います。帝國化粧品倶楽部謹製の表記なので大正初期頃までのものでしょうか。セーラー姿の男の子がとても愛らしいイラストです。中山太陽堂の広告に登場する子供のイラストはどの子も本当に可愛らしく、当時の親が見てもほっこりした気分になったのでいかと想像してしまいます。

画像16

左は新発売のクラブ白粉。ラベルのデザインがクラブビシンに似ているので、クラブビシンの前身でしょうか?背景の鈴蘭のせいかスッキリした印象です。右は試供品のクラブ歯磨に付いていたもので、その試供品は大正3年頃のクラブ新聞のおまけです。クラブ美身ゼリーは大正2年発売。和風なデザインがほどこされています。

クラブ洗粉に付属していた少し大きめの広告です。
母娘のイラストから大正期のものだと思います。

鈴蘭と少女を配したアール・ヌーヴォー風の図案が素敵です。
野球のモチーフは染織図案などでもよく見られますが、化粧品の広告で見るのは初めてです。左側の商標の破片から明治末〜大正期初期のものと思われます。

この広告も商標から明治末〜大正初期の広告だと思われます。
孔雀の羽根などから西洋への憧憬を伺えます。
歯磨きで見栄を張るなんて、ちょっと滑稽な問答ですね。

この広告も商標から明治末〜大正初期の広告だと思われます。
両面ともアール・ヌーヴォー調のフレームです。


♣新聞広告

画像11

総天然色の新聞広告です。クラブ化粧品らしく女性が二人並んでいるのに好意が持てます。特徴的な髪型は二百三高地髷か庇髪、首を包むような半襟の出し方、帯を竪矢字に結んだ若いお嬢さんです。そこから考慮すると明治末〜大正初め頃の広告だと思います。この時代特有の装いも可愛いです。


♣雑誌広告

画像17
画像18

『婦人世界』(明治44年1月号)に掲載されたクラブ化粧品の広告。総天然色の広告は、上質紙に印刷されており発色が美しいです。上部左の広告は初めて見ましたが、室内の細かい意匠と西洋風の正装がイラストを通して知ることができる機会にもなっているといえます。下部は「クラブコスメチックス80年史」やコレクター本でも掲載されているので、見たことがある方も多いと思います。実際に当時の雑誌で見ると感慨深いです。

『婦人世界』(明治45年)に載っているクラブおしろいの広告。広告部に在籍していた織田一磨によるものです。
クラブコスメチックスのブックレット「第17回企画展コスメチックス広告 広告にみるみる大正ロマンと昭和モダン」によると、織田一磨は、広告部設置当初より在籍しており、明治45年に開業した新世界ルナパークにあった通天閣の天井部装飾(クラブ化粧品の広告)を手掛けています。


♣クラブデー

画像13

クラブデーで配布された名古屋踊の栞です。番組表が記された方は撮りませんでしたが、クラブ商品をアピールしたコピーもちゃっかり入っています。貴族御用の文言も入っているので、大正初め頃までに開催されたクラブデーの栞だと分かります。

画像12

凝ったイラストが美しい広告です。中山太陽堂は様々な文芸誌に美しい広告を掲載しており、独断場状態だったと言われています。

画像13

左は明治43年発売のクラブ白粉。初期の白粉蓋にNT(中山太陽堂)、帝国倶楽部化粧品謹製と入っていたことを知りませんでした。この頃の双美人は、日本美人らしい顔をしています。

右は洗粉の広告ですが、双美人は吉祥天のように描かれているのは初めて見ました。蝶の羽に足まであるのが珍しいです。


♣絵葉書

画像19

明治の終わり頃に作られたであろう、クラブあらひ粉の絵葉書。以前から憧れていた絵葉書だったので入手できて嬉しい一枚です。洋装の女児達と双美人の一人が蝶の羽根付けた姿が可愛らしく、和洋折衷をよく表現されています。三越でも販売されているとのアピールが良いですね。

画像21

おそらく明治末から大正初め頃のクラブ白粉の絵葉書。それにしても商品イラストよりも、半襟の方が目立っています。この頃、流行していた半襟だったのでしょうか。クラブ洗粉の絵葉書よりもしっかりした紙質になっています。

画像12

クラブ化粧品本店の特製繪葉書。入手できたのは三枚入ですが本来は五枚セットです。商品からすると昭和初めの絵葉書ではないかと思います。

画像12

本店と工場が描かれた一枚。この絵葉書はヤフオクでもよく見かけるので比較的入手しやすいのかもしれません。

画像12

左は昭和3年発売のクラブビシン。同じモデルさんでクラブ美身クリーム版の絵葉書もあります。右はクラブ水白粉。こちらも同じモデルさんでカテイフード版の絵葉書もあります。この頃らしい耳隠しと耳出しの髪型、着物もモダンな模様です。

画像13

昭和初期の総天然色絵葉書。クラブ本舗装飾自動車。車にクラブ歯磨きの模型が乗っており、飛行機型をしているものもあります。右から2台目は、鳥のような装飾がされていて面白いです。

画像14

とても派手なクラブ本舗花電車。現代でいうラッピング車両なのでしょうが、これでもかというほど盛っていますね。クラブに限らず当時の花電車は派手な装飾が多く、写真で見ていても飽きません。


♣糸

詳しくは分かりませんが、昔は企業が広告媒体として糸の台紙も利用していたようです。裁縫をするのは女性ですからお化粧品の広告にはピッタリですね。糸を使い終わると、キャッチコピーが書かれているようです。もったいなくて解けませんが。

画像15

頂きもののクラブ印御縫糸。これは綿ですが絹もあるそうです。¥65とシールが張られているので、戦後のものでしょう。簡略化された双美人もコミカルで味があります。


♣クラブ化粧品の御進物詰合箱

年末、年始はなほさら、一寸した御進物にクラブ化粧品の詰合箱が大変用いられて居ります。上品でゆかしいお気持ちが先方にはっきり伝えられます。美と若さの贈り物とはクラブ化粧品詰合箱のことで御座いましょう。

近代美粧

おそらく昭和初期頃の御進物箱(空箱)です。箱のサイズが小型なので、4種類の化粧品が入ったごく手軽なタイプだと推測できます。クラブ化粧品の販売ラインにより中身は異なるでしょうが、この箱にはクラブ歯磨、クラブはき白粉、クラブ水白粉、カテイフードなどが入っていたと思われます。


♣クラブ美身クリームの箱

販売店へ納品用の箱だったのか、まとめて購入する消費者向けの箱だったのか、用途は分かりません。この美身クリームの箱はよく見かけるので、入手しやすいです。図案がシンプルなので昭和初期頃のものだと思います。


♣クラブはき白粉の箱

箱に牡丹が描かれているので、赤い箱のはき白粉用の箱だったのではないかと思います。色白粉は、白色、肌色、濃肌色、クリーム肌色一号、クリーム肌色二号、オークル色一号、オークル色二号、新肌色、黄肌色の9色があり、この箱には肌色が入っていたようです。


♣クラブはき白粉の箱

マル停マーク(停)付き。昭和14年に施行された価格等統制令以後のものだと分かります。この箱にも肌色のはき白粉が入っていたようです。


♣クラブ石鹸の箱

♣のマークが配置され、アールデコ模様がオシャレです。クラブ石鹸という商標は元々別の会社が使用していたそうですが、中山太陽堂が買い取ったと社史に書かれています。


♣クラブ煉歯磨の箱

錫製チューブの歯磨き粉が入っていました。この時代らしい大楠公の意匠です。


♣堂級化粧品クラブ美身クリームの箱

可愛らしいアールデコ風の意匠がお洒落です。堂島ビルディングに設置されていただけあり、モダンなあしらいです。


♣クラブ化粧品の包装紙

本来は縦型サイズで、デザインが上下反転して印刷されています。クラブ式化粧法が左から右の流れになっており、アメリカンポップさをも感じる図案は戦後すぐのものでしょうか。また、化粧法のタイトルが「クラブの健康化粧コース」に変わっています。


♣クラブ新聞

画像20

大正元年頃に発行されてたクラブ新聞。読みものとして盛んに広告掲載を行っていたようです。同年に『いそっぷクラブ』の連載も始まっていました。新聞の裏側は、主にクラブ化粧品の評判が紹介されています。長々と口上のような部分が多いので、要点を下記にまとめてみました。

♧クラブ化粧品が帝国ホテルのアメニティで使用され、宿泊の各国要人達から高い評価を得た。

♧クラブ歯磨は、政治家(貴族院)、軍部、企業、大きな旅館などでも使われている。京都帝国大学の寄宿舎でも使用され、その品質の高さを認められた。

♧婦人世界の新年号にて、クラブ洗粉を愛用している上流階級のご婦人方が紹介された。舶来品よりも優れ、国内では一番の人気を得ている。

♧誰でも手軽にできる美顔術の紹介

  1. まずクラブ香油で髪を結い上げる

  2. ぬるまゆでクラブ洗粉を使用し洗顔

  3. ホットタオルで顔を蒸らす

  4. クラブ美身クリームを擦り込む

  5. クリームを柔らかな羽二重(布)で拭き取る

  6. クラブマッセー溶液で濃いミルク位に溶かしたクラブマッセークリームを擦り込む。すると皮膚の汚れが落ちるので、それを羽二重(布)で拭き取る

  7. クラブ乳液化粧水か、クラブ化粧水か、クラブ美身ゼリーを軽く塗る

  8. クラブ煉白粉か、クラブ水白粉か、クラブ粉白粉を軽くつける

美しいほんのりとした薄化粧が完成!

♧宮家よりクラブ化粧品の御用名を賜った
伏見宮家…クラブ歯磨、クラブ洗粉
華頂宮家…クラブ洗粉、クラブ歯磨
東伏見宮家…クラブ洗粉
竹田宮家…クラブ歯磨、クラブ洗粉、クラブ美身クリーム

簡潔にまとめるとこんなところでしょうか。この時代の特長でもありますが、いかに自社商品が優れているか消費者へのアピールが熾烈です。


♣太陽堂月報

一冊は欲しかった太陽堂月報。古本屋でも見つけられず、意外?にメルカリで見つけることができました。入手したのは昭和9年2月1日号。
太陽堂月報は、昭和2年6月に発行が始まりました。クラブコスメチックス史百年史によると、毎号20ページほどで、1回10万部を印刷して全国の代理店・小売店に配布されていました。中山太陽堂の施策や方針についてPRしたほか、製品案内など各種の案内も掲載され、好評を博したようです。

PR誌らしいPR誌として
『太陽堂月報』の創刊から一年ほどが過ぎたころ、中山太陽堂の主力銀行であった加島銀行が破綻した。当時は、三井、三菱、住友、安田、第一に次ぐ有力な中堅銀行とされていたが、昭和二年に発生した金融恐慌の嵐には勝てなかったのである。加島銀行休業の号外が出た直後、太一は全店員を集めて「取りつけ」の恐ろしさを説き、預金の引き出しは社会不安を助長するので個人預金は引き出さないよう説得したという。こんなニュースも掲載した『太陽堂月報』はまさにPR誌そのものであった。太陽閣に招いた宮家など有名人の写真を掲載し、代理店と小売店に意識の高揚を訴え、共存共栄の精神の高調を喜び、クラブへのいわれなき中傷に反論し、同業者の横暴な競争行為を叱り、大阪で生まれた美しいクラブ美装員の姿を紹介した。最終ページに「クラブ俳壇」と「太陽歌壇」があり、俳壇の選者は高浜虚子で歌壇は与謝野晶子というものも中山太陽堂らしかった。

百花繚乱クラブコスメチックス百年史


♣小冊子

発行年月日が不明なので、推測で古い順から並べています。

お化粧 クラブ本店編
中山整容美粧研究所内 美粧院
美は禮節
クラブ堂ビル専売品カタログ
近代美粧
クラブ堂級化粧品カタログ
近代美粧
クラブ堂級化粧品 美容小典



クラブ化粧品の紙類が入手できたら追記していきます。