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天に仕組まれたように物事が運ぶ

いつものテーマから外れますが、今回は私自身の近況として4月17日〜5月23日迄ひと月近く帰国していた経緯と、現在の状況など書いてみます。
書いてたらかなり具体的になってしまったので、少ししたら非公開にしようかな。悪いことは書いてないと思うけれど、事実の認識というのは私の主観でしかないから、他の登場人物にはまた違った思いや見解が有ったかも知れないし。

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そもそも、今回の帰国は
3月にロンドンから2週間強
4月前半に香港経由で5日間の
東京出張をした直後でした。

結果的にですが、この3ヶ月の間に
ロンドン→東京→ロンドン→香港→東京→香港→ロンドン→東京→金沢(3週間帰省)→東京→ロンドンとやっており、大変に疲れました。😭
いい年なので移動疲れも勿論有るのだけれど、精神的に「自分が今どこに属していて何の役割を求められているのか」に集中し続けることが大変過ぎて、しかし私は場を与えられるとやってしまう(自分を踊らせる?)ところが有るのでいつまでも力を抜くことが出来ず、結果的に今廃人のようになっています。
こういうことをしてると加齢が進むと思うのですが😭どれも逃げることが出来にくい立場だから、例え自分が役不足であろうが、自分自身満足行かず自己嫌悪になろうが、仕方ない。
何故戦うのか?!
バガヴァッド・ギータの世界です。

3月4月と、何故そんなに頻繁かつ無理矢理のスケジュールで出社していたかと言うと・・去年から一年くらいかけて考えて来たことなのですが、東京の会社をもう畳んでしまった方が良いのかなと思っており。
コロナのこの3年間強、ロックダウン下の息子の受験→進学が有りロンドンに半ば軟禁状態となっていた私は、東京の会社へ物理的に出社し難かった中で自分自身の会社へ対する情熱が失われて来たことと、また、それを良いことにと言うべきか、人とはそのようなものだと言うべきか、社員さんたちの就労意欲が著しく低迷し(しかし誰も辞めない🙃)強固な消極姿勢の傍ら変なトラブルも起きたりして、もう潮時かな〜と感じていました。
2月の中国正月の連休で工場が長期閉鎖となる(=私たちの仕事的にも現在進行形で動く案件はほぼゼロとなります)期間を機に、これまで積み重ねて来た疑問が、もうこれ以上は続けられないという決断に変わりました。

2月中旬に社員さんたちへ内々に意思を伝え、3月は縮小できるものは直ぐにでも縮小する為の出張でした。関与される業務内容にしたがって段階的にですが、既に最終勤務の日を迎えた社員さんもいらっしゃいます。しかしその過程で大問題が発覚。これはそんな簡単に閉められないゾということが分かり、今に至る。🤷🏻
とりあえず目標を廃業から自社在庫を持たない業務縮小へと変更して会社としては存続させつつ、社員さんたちには一旦辞めていただく、しかしそのスケジュールも当初お話ししていたものからは少しゆっくりにさせていただきたい、というお願いをするなど試行錯誤していたのが、4月頭の出張です。
4月の方は息子がイースターホリデー中だったので香港に独りで置いておくわけにも行かず(夫も出張のため)東京へ同行してもらいましたが、日中はほぼホテルに放置(受験生なので勉強していたと信じたい)で大変申し訳なかったです。息子は、それこそまだ乳幼児の頃から家業に振り回されて来た人生で、実態を知らない私の友人なんかは「飛行機たくさん乗れて良いじゃない」と言ってくれるのですが、なかなかどうして半ば幼児虐待に近い過酷な移動や親の仕事の付き合いへの帯同など、我慢するところも多かったと思います。しかし息子も他の人生を知ってるわけじゃないのでそんなもんだと思って着いてきてくれてる。これまたバガヴァッド・ギータの世界。皆、人生を戦っています。

本来ならば全て目処がつくまで東京に居れたら良かったのだけど、そこはそれこそ会社を畳もうかと思うほどの譲れない個人的な理由であるところの、息子の学校のスケジュールや香港の義実家との付き合いを優先し動くのでこのようなことになります。あくまでも息子が寮へ戻るタイミングや、ロンドンへ帰宅する日には私も在英しておくというマイルールと、義父母が香港へ戻って来る動き(中華的で説明難しいですが家業や家督系譜の関係が最優先される)に出来るだけ被らない日程で東京の仕事をしたいと思っていて、勿体無いのだけれどチマチマと行ったり来たりすることとなってしまいます。
なので当初、次の東京出張可能日は5月頭のExeat(*伏線1/ラテン語発音エクシアト/寮生が寮を空けなければならない外泊週末のこと)が終わってからの2週間程度かな〜と消去法で漠然と考えていたのですが、
突然、🥲母の心臓病(というか不具合?)が発覚。
上の妹が検査や医師説明に立ち会ってくれて、比較的直ぐに手術をすることが決まりました。当初の入院予定日は5月8日から(*伏線2)で、手術は11日。
私は手術日直前にギリギリ帰国出来るかどうかというところでしたが、病院はまだ厳しい検疫対策を続けているだろうし、海外帰りの私が大きな手術を控えた母と接触して万が一のことがあったら妹たちに見せる顔が無い。

ところが(伏線1の回収)、これは本当に今年だけの偶然なのですが・・この5月頭のExeatが、本当ならば寮生たちは寮から出なければならない日なのを、今年は「チャールズ三世戴冠式特別Exeat」とのことで、本来二日間のところを三日間に拡大し「大聖堂での祝賀儀式や校内の施設を開放して地元の人たちとお祝いをする」ことになった。従って寮生は帰宅希望者以外は基本的に在校して良いという通知が来ました。
このことによって私は長期帰国が可能となり、仕事も有るけど、母の手術前後には帰省して立ち会うことが出来るようになりました。4月14日にロンドンへ戻ったばかりでしたが、息子が帰寮した直後の4月17日に東京行きのチケットを手配しました。

本当にいろんなことが重なっての、偶然のスケジュール。東京の会社にも可能な限り長めにいたい理由が有った中で、母の入院日まではまだ間が有った為(日本に早く入国しておきさえすれば病院の付き添い規定等はクリア出来る)本当はゴールデンウィークも含めてずっと東京にいようかと思っていたのですが、社員さんたちに是非早めに帰ってあげてくださいと言われて27日の晩に帰省したら・・母が実は入院準備が全然できてなかったり、家の中がバタバタだったり(老人なのである程度仕方ないのですが長期入院するならば片付けておくべきところは多多有りました)、あとこれは嬉しいハプニングだったのですが、急に妹一家が遊びに来てくれることとなったりして・・これは早く帰省しておいて良かったYOと思いました。
トドメに😅妹たちが帰った翌日から母が急に早く入院したいと言い出して、まさかのゴールデンウィーク中の前倒し入院。(伏線2の回収)私が帰省してなかったらどうなっていたのかと思うと、全てが用意されてたのか?!というような不思議な展開となりました。

勿論、もし私が帰国できなかったとしたら、すぐ下の妹が無理に仕事休んで県外から日帰りで入院手続きや手術付き添いしようと考えていてくれたので、回らないことはなかったのでしょうが、実際には母の入院準備は抜けが多く、入院してからあれが足りないこれが足りないで大変だったし、長期入院するにしては食べ物がまだたくさん残っていて、私が来てなかったらまたそれはそれで後々妹たちに余計な負担がかかりかねない、困ったこと(母がストレスで不安定になるとか食べ物が腐るとか)も有っただろうなと思います。

妹にはこちらが恥ずかしくなるくらい何度も何度も感謝されました。上に書いたような偶然が続いてたまたまそこに居ることが出来ただけだったので、面映い感じ。
強いて言えば一番皺寄せが出てるのは今回も私の息子で、イギリス教育ではとても重要となる義務教育修了試験に独りで立ち向かうこととなりました。私としても、これまで散々息子優先で来たのに、一番大切な時期にイギリス不在だという自己矛盾が有りました。しかし意外なくらいに妹に頼りにされて、本当に嬉しかったです。ずっとダメな姉だったからな。一生で初めて妹の(母の、ではなく)役に立てたかも知れない。

だからけっこう頑張ってしまったのかなー。🥲
母が入院するまでも大変でしたが、結局前倒し入院しても急に手術日は変えられなかった(とりあえず入院していれば脈が乱れても酸素低下が見られても即対応し易いとの理由)為、母は手術日までが暇だったらしく、毎日毎日あれ持って来いこれ買って来い、病室のトイレが壊れてるだの寒過ぎるだの、入院してからの方が大変でした。私は車も無いですが、田舎の大病院は普通辺鄙なところにあるもので、1時間に1本あるか無しのバスを乗り継いで行かねばならないし、悪いのは心臓だから食事制限も無く、移動してる途中にも追加で買って来るものが増えたり。特にゴールデンウィーク中は病院のシャトルバスも無かったので、かなりの距離を歩きました。母は病気なのに娘の私はどんどん健康になるとはこれ如何に、て感じ。🤷🏻

無事手術も成功して一般病棟へ転床したので、17日からは東京へ戻り、仕事してロンドンへ帰って来ました。

そしたら何と、もう今週中に退院が決まったのだそうです。😆
帰省滞在中は、術後も含め私はほぼ毎日何らかの差し入れを頼まれており今後どうなるのかと心配してたのですが、妹たちは結局まだ一度も帰省しないうちに母が退院することに。何故こんなに早く退院して来るのか謎(病院から聞いてたスケジュールと少し違ってる/まだ200メートルしか歩けない)ですが、また母が早く退院させろと言ったのかも知れないし、もう今となっては私は離れてしまってるのでどうすることも出来ません。
どうなるんだろうな〜
妹たちはまだ事務手続きや介護・家事代行サービスの手配がついてないと思うのですよ。皆んな仕事も有ってすぐお休みだって取れないだろうし。

余談ですが・・
これまた偶然なのですが、最初は一緒に手術付き添い(といっても現場に立ち合うのではなく待機室で5、6時間待っておき術後に医師説明を受けるだけ)をすることになっていた家庭内別居している父に、前の日から飼い犬が様子のおかしな叫び声を上げたりして変だったから「立ち合いは私がするからお父さんは自宅待機してくれたら良いよ」と言っていたのだけれど・・ちょうど母の手術中に飼い犬が息を引き取ったそうで、父がそちらの方に付き添ってて上げられたのは本当に良かったです。
母も犬のことをとても気にしていたし、これがもし、母の手術付き添いしてくれてる間に犬が冷たくなっていた、というのだったらまた全然違った印象となったのではないかと思うのです。
私が急に長期帰省出来ることなり入院前倒し以来毎日母に呼びつけられていたため病院への出入りにかなり慣れていた状況で、また、まだ当時は術中付き添いは二人以下、術後泊まり込み付き添いは一人のみというルールだったから、さ「じゃあ日中も私一人で良いですよ」ということは私としても比較的言い易かったし、おそらく父の方も承諾し易かったのではないか。父は元医師なので、病院の入院手続きとか母のわがままとかに付き合う気持ちは無かったとしても、術前術後の医師説明や、医学的にも求められる親族の立ち会いといったことには責任を感じていたのではないかと思います。
これも、本当に不思議な巡り合わせだった。

ドラマのような4月〜5月でした。
そしてドラマはまだ続いてる気がします。
私に出来ることは、良く寝ておくくらいか😅