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内申点の恨みつらみ😓

イジメの加害を内申書に残すべきという「X」への書き込みを見てまた思い出してしまった、うちの子の内申点が低い問題

*あらかじめ書いておきますが、私はイジメ行為は例え小さなお子さん同士の出来事であっても軽視されるべきでないと考えており、実際に見かけた場合は、これまで自分自身が子どもであった頃はもちろん、バイト先・就職先、たまたま居合わせたマクドナルド・大通りの向こう側だろうと、止めに入って来ました。
「一見イジメに見えてイジメじゃなかった」ならばそれはそれで良し。というのは、そのからかいがイジメの初期段階であり双方まだ認識が無かったということも大いに有り得るので、客観的にそれがイジメに見えてることを知ってもらえるだけでも意味が有るから。こういうことは校内ではクラスメイトや教師が積極的に関わるべきですが、学校外では社会を形成する全ての者の責任と思っています。
その上で、子どもの将来を左右しかねない何からの決定的な評価を、学校の側、教師の側が比較的自由な裁量で残せてしまうという制度については是非を問いたいです。(なので尚更イジメは被害者・加害者の保護者を含む多角的な立場と複数人数の大人で十分に検証されなければならないという考えです)

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私の息子は幾つかの特性を持っている為か、これまでお世話になった先生によっては評価が大きく分かれる結果となっており、それが内申点にも影響しています。
うちの子の内申点・・
低めなんだよな、これが!😭

以下は個人的な恨みつらみも有ってお聴き苦しい内容も含まれるかと存じますが、こういったことで悪い内申点がつけられてしまい、次の学年の担任へ申し送られ、行く行くは進学・受験にまで影響を及ぼすのだ、という問題提起の意図で一例として書かせていただきます、というか、まあ純粋に親として不満〜😅

日本の通知表もそうなりつつあると聞きましたが、香港やイギリスのこれまで息子がお世話になって来た学校では、通知表で重視されるのは成績よりもむしろ授業への参加・貢献度や宿題の提出(息子のケースは後述します)など。社交的な性格や教師に対する従順さといったものが評価に反映される特徴が有ります。例え生徒さんが確認テストや外部テストなどでは満点に近い成績をとっていても、先生によっては高い評価を付けてくれないという現象が起きる。

これはあくまでも私やママ友さんの「点数が出るものを見てるとけっこう出来てる様だし宿題も忘れず提出してるのに何故通知表の評価が上がらない?」という疑問を持つ親側からの視点なので、反対の存在として「テストの結果がとても良いというわけではないが通知表の評価は高い」というお子さんも多々いらっしゃる筈なのだけれど・・そういう場合不満は感じないだろうから😆どうしても持たざる者の僻(ひが)みみたいなことになってしまいます。

あくまでもうちの子の場合は〜という話になりますが、どちらかといえばルールや規範に対して順守したがるタイプなので、授業の邪魔をしたり宿題を無視したりしたことは無く、その点(客観的に不利な要因が有るのか)は私も低めの評価がつけられてる時に真っ先に確認するところです。
しかし実際にこれまで何度か&何人かの先生に親が学校に呼び出されて「これが(通知表の評価が低い)原因か」と察するところによりますと、例えば授業中に毎回手を挙げられると邪魔になる(とまではさすがにハッキリと仰りませんでしたが「他の子が答えを考える機会を奪うので」とのこと)から手を挙げないようにして下さいとか、授業のテーマから派生した展開や他のテーマと繋ごうとすることは求められていない(クラス進行の主導者である教師に対して不敬みたいな)とか、宿題を一番に提出していたのだが無くなっていた(丸2日間クラスメイトの有志が協力して学校中を探してくれた後に最初の提出場所のすぐ近くに突っ込まれていたのが見つかりました/その場所も何度となく探し済みだったので盗って隠していた子が居た堪れなくなって戻したのだと思う)などなどの、教師個人とのすれ違いが原因のように思えるところで評価が低くなってしまっている。
息子自身はまだ子どもでもあり、またそういった建前と本音などの使い分けが出来ない特性もあるので、納得の行かないことや自分がやってないことはハッキリと主張して先生と揉めたり、参加するな/但し静かにしておけと言われれば上の空となり拷問のようにただその場に座っているだけなので、先生の言ってることを聞いてなかったケースもそりゃ出て来るだろうと思います。
その結果として通知表の評価が低いのはもうどうしようもないよな、とすら感じます。

反対に、息子には有り難いことに定期的にすごく気に入って高評価をつけてくださる先生方も出て来るので、そういった先生方のおかげで腐らずに学校に通えているし、親である私も含め、人間としても救われる思いをしています。いつも期待できることでは有りませんが、たまたまそういった息子を特別に気に入って下さる先生が校長先生だったり、教科や学年のリーダーだったりすると、同時期に低評価を付けてくる先生がいらっしゃってもとりなしてカバーしてくれたり、最終的に校外へ出る内申点には響かなかったりもします。

このようにして運命の綱渡りをして来たのが息子のこれまでの学校人生だったのですが、親の側からは通知表や内申点というものに対する不信感は拭い去れないですし、ましてやこれからは少子化と、コロナ禍での学習機会が均等に得られない子どもたちが居た経験を通して、世界的にも内申点がより重視されて行くトレンド(流れ)が有るのを目の当たりにし、不安でしかないのが本音。

かと言って、筆記試験一発勝負というのもどうかなとは思うのですよ。表面的な学力だけがアカデミックな分野に進める条件になるとも思わないですし。
ただ、内申点をつけるのが学校側の限られた人物になればなるほど偏りは大きくなり、また、いわゆる陽キャラ的な人格が高評価を得易く、陰キャラ的な人格或いはオタク的な個人プレータイプは低評価されやすい為、内申点を以って人間性の評価に替えるかのような現在の使われ方に、大いに疑問を感じています。

「内申点」とか言わずに「グループ行動順応性」または「自己アピール能力」とでもすれば良いのかも知れないですね。そしてそれらだけでなく「テーマ把握能力」や「探究特性」「独自性主張能力」など等、先生によっては歓迎しないような他の能力も評価していただければ。
とにかく現在の学校教育の状態から改善も無く、ただただ「内申点」といった言葉がひとり歩きしてしまう状況には警戒感しかない。
そもそも何の為に大学へ/高校・中学校へ/小学校へ/進学するのか、といったところにも関わって来るところですが、何もかもが「進学の為のやり方」化してしまって、それを子どもがいかに身に付けるかといったことが教育現場の目的となっている点、嘆かざるを得ません。

と言いますか、もう純粋に
うちの子の内申点低めなんですが、
どうしたら良いんでしょうね
😆
演技は出来ないから。
これが「社会」ってことなのかなー。