チワワちゃん

物語というよりも、世界観や映画から想像される空間に、見とれてしまった。若さと愚かさと美しさが混在していて、そのどれもが画面からこぼれ落ちるようだった。それは、私が絶対にこんな愚かで美しい空間には居られないと思うと同時に、どこかで感じる憧れや嫉妬がそう魅させたのかもしれない。

チワワちゃん、最初から居た訳でも、いつも居る訳でもないのに、どうしてか必ず輪の中心に存在する。
可愛いと認めざるを得ない無邪気さや無垢さ、そのあどけない笑顔に嫉妬しない人はいるのだろうか。みきが、チワワちゃんを吉田くんの彼女と認めざるを得なかった気持ちが私にはよくわかる。
みきも、吉田君も、ながいくんも、ゆみだってみんな、本当にみんな、チワワちゃんが好きだったはずなのに、
「私ではない誰か」がチワワちゃんにはいると思っていたのだろう。
チワワちゃんと本当に深く関わることができた人はいるのだろうか。
チワワちゃんを殺した誰かが、せめて、チワワちゃんを深く愛していたことを願ってしまう。

みきが語っていたように、
チワワちゃんと遊んだり
おしゃべりしたり
悩みを打ち明けたりして、
キスしたり
セックスしたり
恋をしたり
憎んだりした人もいた
その事実がチワワちゃんを生かしているのだろう。

誰も、他人の全てを知ることはできない。だからこそ、他人を愛したり、依存したり、時には憎んだりしてしまうのだろう。

「私、この人と今後もずっと遊んだりするんだろうなと思ったら別れの合図なのかもしれない。」
この言葉に共感できてしまいそうな私は、まだまだ子どもなのが、大人なのか。それさえわからないから、まだまだ子どもなのかな。

もっと大きな画面でこの映画を味わいたかったなあ。

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