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【つぶやき】「誰かの夢の中の私」が見る「私の夢の中の見知らぬ存在達」の話

素粒子世界、それよりも小さい弦の世界を司るのが4つの力(強い核力・弱い核力・電磁気力・重力)であるとは、インフィニティ・ガントレットと5つのジェムの様に「手に入れればなんでも願いが叶う様なもの」と言える。

そこで私はマクロ世界、いやものの大小を問わない真の物の理(ことわり)を考えて、もしそこに一つ加えて、あるいは4つの力がその一つの別々の側面を現しているだけだったとして、その力は「可能性をパラメータとして現される『想像力』」なのかと思う。

想像された全てはどこかの宇宙で確かに成されているが故に正しく、しかし主観認知としての自分がいるこの宇宙ではまだ成されず、あるいは成されないが観測できない他の宇宙で成されている為に正しくない。

想像の中で時間は重なり合い、空間はいくらでも続いてその姿形は思うままにある。

そう、無意識に誰もが想像の中の神であり、想像の中で私は「この宇宙やその他の宇宙も含めた世界も、誰かの想像の中の様」に思う。

数千年かけて巡ってきた異国の街も海中の遺構も、未知の惑星や久しぶりの田舎でさえ、想像が私に見せるそれは結局夢であり、永遠の現在に拘束されていることを思い知らせる。

私が夢で見た見知らぬ存在達が「私が支配する想像の中でしか存在できず、覚めればいたことさえ証明できない無力さ」に確かに生きていた様に、この世界に生きる私も「誰かが想像した中に生きる無力な存在」なのだろう。

であれば私は私の想像の中で神でありたいと思ってしまったが、「弱く幼い私には仕方ない」と反論もできなかった。

強く賢ければこの「誰かの夢の中」でどうすればいいのか、どうか教えてほしい。

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