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【書評】1,500円の三國志。(他称)ビジネス書『読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術』 田中泰延

こんばんは。昨日終わった授業のレポートをついさっき終わらせた美川です。

この本をヒトコトでいうなら

1,500円の三國志。

どういうことかって?それは、奥付のひとつ前のページにある、

が、全てをかっさらっていくから。

最高すぎかよ。
まじめな本のカテゴリにいるはずなのに、大爆笑したわ。

どういう流れで関羽に行き着くかは、本書を読んでみてのお楽しみ。

では、以下書評に入っていきます。

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【「文章術」などない】

文章のノウハウ本などはたくさん出てますが、「文章術」など、存在しない。ただ、シンプルに「自分が読みたいものを書けているか」どうかが大事だと、著者の田中さんはおっしゃってます。ていうか、もうこの本自体が

田中泰延の読みたい文章のオンパレード

みたいになってます。恐るべし、「読みたいものを書くこと」。

この人かなり好き勝手書いてて、マジで面白い。好き勝手に書いてる部分をざっと抜き出しますとこんなかんじ。

タダで読めます。なんでやねん。(p.38)
なんとかバエとかなんとかバエとか、おまえはショウジョウバエかと言いたい。(p.97)
『読みたいことを、書けばいい。 episoseⅤ 帝国の逆襲』『読みたいことを、書けばいい。第14章 フレディvsジェイソン』『読みたいことを、書けばいい。パート43 最後の聖戦』(p.265)

・・・とまぁ、誇張抜きにこんな感じのノリで一冊が書き通されている。なんか面白いのが悔しい。筆者がモニターの前でめちゃくちゃニヤニヤしながら、小声で笑いながら書いてる情景が思い浮かんでくる。悔しい。筆者が一番楽しんでそうな感じが滲み出てきて、まじで面白いんだか悔しいんだかよくわからなくなる、そんな文章。

でも何より悔しいのが、これだけむちゃくちゃやってても
論理展開が全く破綻しておらず、文章も説得力に満ちている

ということ。この人はコピーライターのプロで、「書く」という仕事で稼いでる人種なため、「うまい人の文章」を否が応でも感じさせられた。

本書の内容は、「読みたいことを書くこと」のメリットが一貫して貫かれており、その途中で「本編よりなぜか真面目なコラム」「筆者の宣伝」「お役立ち情報」を盛り込んでいて、とても内容が濃い。

内容が濃いのに、本編の分量は少なく、ユーモアも混じっていて読みやすい。

とまぁ、この人が言ってることもそうなんですが、文章の雰囲気(簡潔さ、例の巧妙さ、ユーモアの絶妙な面白さ)全体から「自分が読みたいものを書いてる」という感じが伝わってきて、読んでるこっちもハッピーになってくる。改めて、「自分を楽しませる」ことの重要性が浮き彫りになってきます。とにかく「読みたいものを、書けばいい。」

好き勝手に書いていても、論理が破綻していないのは、王道のフォーマット「起承転結」にのっとって書かれているからなんですね。

「起承転結」については、本書でも以下のように強調されています。

よく「型通り書いてはいけない」という本がある。起承転結でなくていい、などという本だ。わたしに言わせると、とんでもない。起承転結ができない人が多すぎて、そこから訓練しないと話にならない。(p.196)

ごもっとも、と言わざるをえません。というか、「型通り書いてはいけない」ってふざけてるでしょ。型がなくてどうするんだ。「論理の構成」なしに文章を書くなど、そんなことできるのだろうか。

「型」のない文章は「ドラえもんのいないのび太」「刀のない侍」「ゼルダのいないゼルダの伝説」「猫のいない猫カフェ」のようなもので、全くもって崩壊してるものでしょう。

「起承転結」がよくいわれるのは、それがとても便利だから。それを使えば大抵の文章、レポート、報告書もろもろはうまくいくし、そもそもそれができていないとお話にならない。せっかくある便利なフォーマット、使わない手はないでしょう。

「読みたいものを書く」と言ってますが、筆者が勘違いしてほしくないのは、「読みたい」からといって好き勝手書いていいわけではなく、ある程度「型」をしっかりしろ、ということなのでしょう。

「型」にのっとりさえすれば、あとはある程度自由。エピソードⅤとか書いちゃってもいいわけです。

Noteを書く我々も肝に銘じておきたい教えですね。

ユーモアは大いにけっこう。しかし、論理展開はしっかり。

「論理展開」と「ユーモア」をうまく融合させると、面白い文章ができあがりそうですね。自分も今後の参考にしていこうと思います。

【他人の人生を生きてはいけない】

文章や知識は、ためておいてはもったいない。Note、Twitter、他人などに発信して、フィードバックを受けて、そこで初めて得られる学びもある。だから我々は日々Noteを書くし、人前で発表するし、日記を書くし、他人とコミュニケーションをする。
いうなれば、こうしたアウトプットは「他人の評価にさらされる」こととおんなじ意味です。自分だけ楽しければいい、それは単なる0721ですが、アウトプットしたとたんに、それは客観的な判断に委ねられてしまいます。

書いた文章を読んで喜ぶのは、まず自分自身であるというのがこの本の主旨だ。満足かどうか、楽しいかどうかは自分が決めればいい。しかし、評価は他人が決める。他人がどう思うかは、あなたが決められることではない。(p.114)

ネットにいは色々な人がいるので、甘い言葉をかける人もいますが、きつい暴言を吐く人もたくさんいる。

「うんこ!!」とツイートして、「ギャハハハ!!おもしれー!!」というリプもくれば、「汚いです。やめてください。」という人もいる。

これと同じく、自分がおもしれーと思った文章も、時にはきつい評価を受けることもあります。

僕も実際にこれを目撃しました。他の人のNoteを見ていたのですが、そのコメント欄で、わざわざ「いやー面白くないねー」とコメントしてる人を見かけてしまいました。「面白くない」はずなのに、コメントするとこまで行き着いてしまうというアンビバレンス。まさにゲスのKIWAMI!!

逆に評価されるともっとバズろう!!と必死になってしまう。そうすると、「自分」ではなく「他人」のために書いてしまう。そうするとつまらなくなっちゃーう

いずれにせよ、評価の奴隷になった時点で、書くことがいやになってしまう。(p.115)

我々Noterも、このことを肝に命じておきたいですね。「楽しく」書く。いいね数や目先の評価だけに捕らわれないで、自由に「うんこ!!」と書いていく。そうすることが、よいNoteを産む秘訣ではないでしょうか。

他人は好き勝手にいう。それが世の常。だいじなのは、「自分」をしっかり持つこと。書くことも同じで、「自分が読みたい」を規範にすることで、いい文章ができあがっていくのではないでしょうか。

文章に限らず、「自分がまず満たされる」ことなしでは、「他人」をどうこうできるわけがない。

このことはおとといの対談でも話が出ましたね。「働く」のは「自分が満たされる」ため。死にそうになってガリガリなやつが、他人のために働けるのかよ!!??というツッコミは、ごもっともだと思います。

「都民ファースト」ではなく、まずは「自分ファースト」。

【結論】

「読みたいものを、書けばいい。」は、「自分の読みたいもの」を書くことの重要性を教えてくれる本。この本も、田中氏の「読みたいもの」がびっしり詰まったものだ。「自分を満たす」ことが、結果的に「他人を満たす」ことになれば、それで万々歳だ。ただし、「起承転結」を核とした「文章のフォーマット」は忘れてはいけない。

書き忘れましたが、本書は「一次資料」に当たってかくことの重要性もといていました。例えば、この書評でも「読みたいものを、書けばいい」という「一次資料」に基づいて書いてるわけですし。「読みたいものを、書けばいい」の書評で、「資本論」「ドグラマグラ」を一次資料に書く人は、まずいないでしょう。一次資料に基づく。これもまた基本。インターネットは「又聞きの又聞き」情報が溢れてるので、見落とされがちだけど大切なことです。

「真面目に」おふざけをしているのが、本書の魅力。ふざけているようで、内容がしっかりしている。悔しいけど、面白い。ためになる。なんだこの本は。なんですか。

この本がどうして「そんなものはない」で締め括られるのか。
その理由は、あなた自身でご覧いただきたい。

美川

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