「人生万事塞翁が馬〜奇跡を起こせ幸男!」②


辛い時は助けてって言っていいんだって気づきました。
強がってた人生だったけど 
1人じゃ誰も生きられないんだからって改めて気づいた
動けなくても 
「オーロラのように 人々を輝かせる生き方もできるかもしれない」
動けないからこそ
今までお世話になってきた人に 笑顔と幸せになることを心の中で たくさん たっくさん願おう

念じれば花開くー 思いはきっと伝わる
だから いつも笑顔でいると決めた
もし しゃべれるようになったら 「ありがとう」「僕は幸せだよ」「君と会えて嬉しい」とか
相手が喜ぶ言葉を意識したいと願った。

入院中
最初は見舞いに来てくれる親や友達やシングルマザーの方に 喋れないけど 不器用ながら
満面の笑みを伝えた 喋る発声音はだせないけど 密かに口を動かして「懸命に 来てくれてありがとう」と 言ったものだ。
すると どれくらい事故から経っただろうか?
徐々に声が出せるようになってきました。

手足が動き始めたんです。

そして なんと見舞いに来てくれたシングルマザーの息子さんが
「ごめんね おじちゃん
おじちゃんの声  はじめてきけた
涙が出てくるよ。」
とだけ 言ってくれた
シングルマザー「ヒーローショーで実はあなたのことを見かけたことがあります
全力パフォーマンスでしたね!
観客は少なかった でも 全力で演じる姿は私も息子も ほんとに心打たれました。
だから だから また ヒーローとして立ち上がってください」嗚咽

僕は決めた 
再び ヒーローショーの花型となる

しゃべれる喜びーこれにより人との繋がりを深めてきた幸せ
立ち上がれ歩ける喜びーこれにより様々な所を旅行してきた
両手で書き持ち食べれる喜び-両手があるからこそ日常生活はどれだけいつも不自由なくすごせてきたのだろうか

当たり前だと思っていたことに「幸せ」と「感謝」を見つけました


怪我から2ヶ月 
まずはYouTuberとして 今の 動けないけど
しゃべれるので ありがとう 感謝 素晴らしいを 連呼するなどの 動画を投稿するようにしました。
そして事故から半年 ヒーローショーのヒーローとして現役復帰できました。

それだけじゃない。

僕のYouTube動画を入院中ずっと撮ってくれてたのは
「シングルマザーの はるかさん(29歳)だった」

僕は
はるかさんに好意を抱くようになって
そのエネルギーが奇跡的に怪我から早期復帰できた主要な部分だったと思う。

人生万事塞翁が馬とも
言うが
退院後
僕は
はるかさんと より親密な関係になれたんだ。

ずっとずーっと
僕は自分より 若い人と結ばれたいと願ってた。
だから「恋愛アプリ」で一回り下の女性ばかり探してた。
でも あれだけ若い子を狙ってたのに
恋愛アプリって30代後半から40代になって ほとんど いいねは かえってこなかった。
あきらめてたんだ

だけど 今回の大事故で めちゃ辛い思いをした僕が
めちゃナチュラルに ずっと年下の シングルマザーの はるかさんと付き合う事ができたんだ。

さらに半年後


僕と はるかさんは結ばれました。

今は とっても幸せです。

人生って ほんとに
何があるかわからないものだ。

わからないからこそ
人生って 楽しいんじゃないかな。

みんなも 生きてるって素晴らしい
そして
楽しい
そう感じて これからも生きてほしい

劇終

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