鋼鉄の発達の歴史と兵器の装甲の進化について

今日はあらゆる兵器についている重要な材質、装甲というものについて、主に軍艦、そして一部戦車の知識を交えつつ、話していきたいと思います。と言いつつ戦艦リットリオ級の舷側装甲の面白さについて語りたいんですが、それを説明するために前置きが必要なんですということなんですよ。

今回話す装甲の話題は主に鋼鉄に関する話題、かつ第二次世界大戦までの戦車、軍艦の装甲に関する知識であり、またここに書いている情報は全て自分が独学で勉強した内容が含まれているので一部不正確な情報が混じっているだろうし、説明が不適切だったりする場合もあるだろうけれども、できる限り正確な記述ができるように努力するのでよろしくお願いします。

というわけで始めるんですが、日露戦争の時の日本海軍の主力艦6隻のうち初期に建造された富士級の舷側装甲の厚さをご存知でしょうか。そう、457mm、18インチです。これは第二次世界大戦に建造された世界最大の戦艦、大和の舷側装甲410mmを上回る、異常な分厚さでした。

それを見た当時子供だった僕は実は戦艦富士の防御性能は史上最強なのではないか??という疑問を抱いたのでありました。ただ実際にはそうではないわけです。

他にも日清戦争の際の清国北洋艦隊主力艦でありのちに日本海軍に接収される定遠級戦艦に関しても1880年代の設計でありながら舷側装甲の厚みは355mmという圧倒的な分厚さで、これは第二次世界大戦時の条約型戦艦などに匹敵する厚みです。

賢明な諸兄ならもうお分かりでしょうが、実はこれほどまでの分厚さを誇ったのには装甲板の材質という難しい問題があったのでありました。この装甲板の材質の改良に至る人間の努力というものには涙ぐましいものがあり、非常に興味をそそられる部分なのでこれを紹介していきたいのです。

そもそも装甲というのは敵の戦艦(戦車)などから飛んでくる砲弾を防ぐための板で、軍艦(戦車)の防御の根幹をなす部分であります。そして戦艦(戦車)というのは常に民生品よりも先に最新技術が投入され、常に最高の技術を持って作られるわけです。人類の叡智の結晶と言える部分です。

19世紀末期の軍艦はまだ機帆船、蒸気動力と帆走能力を両立していたりしたのですが、その頃鋼鉄を安く大量に製造する方法が開発されたこともあり、軍艦の装甲に鋼鉄を用いるという発想が生まれ、実際に鋼鉄の装甲を貼った軍艦というのが登場します。

ただ鋼鉄というのは非常に硬く、敵の砲弾を弾くことには適していましたが、その硬さゆえに強い衝撃を受けると割れてしまうという問題点がありました。これを解決するには敵の砲弾を弾く硬さと、衝撃を受けても割れない粘り強さという二律背反する要求を満たさねばならなくなったのでした。

そこで当初は鋼鉄の装甲の裏にチーク材を貼るという二重の装甲で防御していたのですが、次第に大砲の性能が向上しそれだけでは防御能力が不足するようになります。

そういうわけで1880年代に登場したのが「複合装甲」という概念です。さっき上げた富士や定遠は実はこの複合装甲というものを採用しているのでありました。

鋼鉄というのは簡単に言えば炭素の含有量を増やすことによって硬さが増し、粘り気が落ちていくのですが、一度硬い鋼鉄の板を作り、その上に少し柔らかい溶けた鋼鉄を流し込んで固め、硬い層と柔らかい層の2層構造にすることによって上記の割れる問題を解決しようとしたのがこの複合装甲です。

これはただの鋼鉄の一枚板の70%の厚みで同じ性能を発揮する、つまりはただの鋼鉄に比べて3割以上の性能向上を果たしました。日清戦争で定遠級と交戦した日本海軍は定遠級の355mmもの舷側装甲を最後まで抜くことができず致命的ダメージを与えられなかったりしましたし、富士に関して言えば舷側の複合装甲457mmは鋼鉄一枚板600mmの厚さと同等の耐弾能力を誇るわけです。まあめちゃくちゃに強力なわけです。

ただこの装甲にも問題があって、裏側の鋼鉄の靭性、粘り強さが不足していたので予定していたほどの性能は発揮できなかったという点と、二つの鉄板を貼り合わせるという構造上の欠点から、被弾した際に裏側の装甲が剥がれるという致命的問題がありました。

その後鋼鉄のニッケル含有量を増やしたニッケル鋼というものが1889年に開発され、これは複合装甲と比べて装甲としての性能は変わらずに鋼鉄にニッケルを混ぜるだけで製造できるので生産性が向上し、近代戦艦の始祖とも言われるロイヤル・サヴリンもこれを採用しています。

そして1890年代に生まれたのがハーヴェイ鋼です。これはハーヴェイにより発明された新たな鋼板であり、複合装甲の硬い層の後ろに柔らかい層を重ねるという構造に着目し、そして二枚の鋼板を貼り合わせているが故の問題点を解決したものでした。

ハーヴェイ鋼はまず鋼鉄を普通に製造し、その表面を木炭で覆って高温で焼き入れを行うことで鋼板の表面に浸炭処理を施し、急冷することによって製造されます。表面は炭素含有量が高いため硬く、内側に進むにつれ炭素含有量が減っていき柔らかくなっていくという、「表面硬化装甲」です。ハーヴェイ鋼の表面の炭素含有量は10%程度アップし、複合装甲の問題点であった裏側が剥がれるという問題に関しても一枚板を加工するという工法により解決、これは装甲の材質として革命的な存在となりました。

ハーヴェイ鋼、そしてニッケル鋼に浸炭処理を施したハーヴェイ・ニッケル鋼というのは軍艦の装甲に多く採用され、特に日露戦争時の日本海軍の戦艦敷島にハーヴェイ・ニッケル鋼が採用されています。ニッケル鋼はニッケルによる焼き入れの性能向上が大きく、ハーヴェイ・ニッケル鋼は非常に優秀な装甲でした。

実際の数字を上げると富士の舷側装甲457mmに対し敷島級は229mmと装甲の厚みが半分になっていますが防御性能は敷島の方が上とされています。この数字からも分かる通りハーヴェイ鋼と浸炭処理の発明によって鋼鉄と装甲板というのは飛躍的進化を遂げたのであります。

それと同時期にニッケル鋼の改良というのも進められており、ニッケル鋼にクロムを混ぜたニッケルクロム鋼が開発、これも複合装甲と比較した場合に倍近い性能を発揮、非常に優秀な装甲でした。クロムが混ざったことにより焼き入れ硬化をしやすくなり、それが飛躍的に性能を向上させた要因だと思われます。

さて、ここまでをまとめると鋼鉄に始まった装甲は二種類の鋼鉄を組み合わせた複合装甲、そして鋼鉄にニッケルを混ぜたニッケル鋼が近代戦艦の極初期の装甲板でした。やがてその装甲を大幅に上回る性能を発揮する新たな鋼鉄として表面に浸炭処理を施したハーヴェイ鋼、そしてニッケル鋼にクロムを混ぜたニッケルクロム鋼というのが出来たわけです。

ここで一つの発想として、非常に強力なニッケルクロム鋼の表面に強力なハーヴェイ鋼の浸炭処理を施した場合「ぼくのかんがえたさいきょうのこうてつ」になるのではないかという疑問が起こるわけです。

このニッケルクロム鋼に浸炭処理を施して生まれた鋼板がクルップ鋼、いわゆるKC鋼というものです。これはハーヴェイ鋼からさらに性能が向上し、ハーヴェイ・ニッケル鋼と比して3割の性能向上を果たしました。クルップ鋼は当時ドイツの軍需企業クルップ社が特許を取得しましたがその後世界中がその特許を購入したぐらいのものです。

クルップ鋼の表面数mmは非常に硬度が高く、表面1/3程度に浸炭処理が施されています。そして後ろに行くに従って粘り気の強い鋼鉄となっています。

敷島級戦艦の4番艦三笠にはこのKC鋼が採用されており、これにより甲板装甲を薄く出来、重要部分の装甲を厚くすることができました。三笠が当時世界最強の戦艦と言われた所以はここにもあるわけです。このKC鋼は画期的な発明であり、あらゆる装甲板にKC鋼が使われていました。

ニッケルクロム鋼の表面を炭素を多く含む空気に触れさせ高温にすると文字通り鋼鉄の中に炭素が浸透していくわけですが、高温の状態では結晶の構造が不安定なので冷却すると結晶の構造が変わります。その作用を生かし、浸炭処理を施した鋼板を急冷して急激な変化を引き起こすことで非常に強い構造を実現しました。

ただその結晶の構造が変化する際に体積も変化するため、浸炭処理を施した部分と施していない部分で冷却後に体積の違いが出てきてしまい、一枚の板の中で予期しない負荷が生まれます。

これを放置しておくと製造後に鋼板が割れたり、鋼板の装甲としての性能にマイナスが出たりするのでその問題を解決するために急冷したものを再度高温で処理する必要があります。いわゆる「焼き戻し」です。この焼き戻し処理によって上記の負荷を解決することができ、装甲板として優秀な鋼鉄が生まれるわけです。ただ、焼き戻し処理によって鋼板自体の硬度は下がってしまいます。

日本陸軍の場合にはこの鋼板の硬度の低下という事実を嫌い、「装甲は硬度こそ命」という考え方に基づいて鋼鉄の焼き戻し処理をせずに使用していたらしく、しかも焼き戻し処理をすべきという現場の意見を無視して使い続けるという無能っぷりです。つまり硬度を高めるために鋼板自体の強度を下げていたというわけです。よく日本軍戦車の撃破された写真を見ると装甲が大きく割れているように見えるのは実はその辺が影響している可能性もあります。それ以前に日本軍戦車の装甲が紙とか言うのは無し。

そして戦車の話が出たついでに述べると、ドイツ陸軍戦車も最初はKC鋼を使っていたのですが(戦艦と比べて)薄い装甲の表面だけを浸炭処理することが難しく、うまく表面だけを硬化させることができませんでした。結果としてドイツ軍戦車の多くは装甲板が割れる被害が相次ぎ、のちに均質圧延装甲へ置き換えられていきます。

さて、先ほど生まれたKC鋼をさらに改良、ニッケルとクロムの含有量を上げつつ焼き入れの時間を延ばし、さらに性能向上を図った鋼板としてVC鋼が登場、これは巡洋戦艦金剛を購入した際にイギリスより導入され、のちに戦艦の主要防御帯(舷側など)の装甲として広く使われることとなります。

しかし戦艦大和建造の際、舷側の厚さ410mm、最大で650mmという途轍もない分厚さの鋼板を製造せねばならなくなった日本海軍は非常に困ります。分厚い鋼板を均質に浸炭処理をすることの難しさ、そしてそれにかかるコストと時間を考えた際に合理的ではない。つまり、多少性能が下がることを考えてでももう少し作りやすい装甲を作ろうということになりました。

これがVH鋼です。VH鋼はVC鋼と成分は全く同じで浸炭処理をせずに表面を焼き入れのみで硬化させたもので、いわば生産効率を上げたVC鋼と言えるものです。多少性能が下がると言っても大和に関しては装甲が過剰で3番艦信濃から装甲が薄くなっていることを考えても、十分な性能でしょう。そして何よりその後の流行りとなる均質圧延装甲の先取りと言ってもいい装甲です。

均質圧延装甲というのは簡単に言えば硬くするのではなくニッケル、クロムなどを混ぜた合金に熱処理を施しただけの靭性に富む鋼板を用いて相手の砲弾を受け止めるような装甲です。浸炭処理を用いず、基本的には鋼に何を混ぜるかという成分の違いによる性能の違いです。

軍艦の甲板装甲(水平装甲)というのは基本的に遠距離から飛んでくる砲弾が前提なので割れにくく、相手の砲弾を滑らせるような働きを持った鋼板の方が向いているというわけです。主に日本海軍の軍艦ではNVNC鋼が知られていますがこれはVC鋼と成分が全く同じで浸炭処理を施していないというだけの違いです。

ただ資源の少ない日本やドイツではこれら鋼鉄需要の高まりの中でニッケル不足となり、代用鋼板としてニッケル含有量を減らしたものの開発が進められます。いわゆる代用鋼板です。

日本で開発された代用鋼板としては色々あるのですが、まずはCNC。これはニッケルを減らし、その代わりに銅を混ぜた代用鋼板です。主に軽艦艇の75mm以下での使用が前提となっています。さらにCNCにはモリブデンを混ぜた改良型もいくつか作られています。そして戦艦の甲板装甲などの比較的分厚い部分の代用鋼板として開発され、大和の甲板装甲に採用されたのがMNCです。これもモリブデンを混ぜた粘り気の強い鋼板です。

一方ドイツで開発された代用鋼板がビスマルクなどに使われたヴォタンです。これもMNCなどと使われ方は同じで戦艦の補助装甲としての用途だったようです。

末期のドイツ軍ではニッケルの不足が深刻で、のちに戦車の装甲に関してもニッケルの含有量を減らした結果装甲の性能が低下し、これもまた割れる被害が相次ぎました。また、クロムモリブデン鋼の性能を見るにどうしても鋼鉄自体の硬さという部分ではモリブデン鋼は性能が落ちるという感があり、代用鋼板は所詮代用鋼板であるという感が否めません。

こののち装甲の発展としては先ほど書いた表面硬化装甲はいくら裏面に粘り気があると言っても表面の硬化部が割れた場合には裏面にも予期しない負荷がかかって装甲自体が割れてしまうという問題があり、結局表面硬化装甲にも限界があるという結論に至り、戦車に関しては全面を均質圧延装甲にしていくという風潮が強まり、そして戦艦という種族は第二次世界大戦でその有用性が否定され、表面硬化装甲という装甲は消えていくのでありました。

ついでに戦車について書いておくと、戦車では鋳造砲塔や鋳造車体というのがしばしば使われますが鋳鉄は自由に形を作れる代わりに不純物が多く、形を複雑にすればするほど均質な焼き入れが難しく、そして融解させた場合の粘性を下げなければならないため理想的な鋼の分量にできないという問題があり、量産性は向上しますが装甲としての性能は低下します。まあつまりは鋳造砲塔というのは量産性に最大の魅力があるのであってどっかの国みたいに分割して鋳造した砲塔を溶接するとかいう意味不明なことしてるのはほとんど無意味なんですよね。

とまあここまで装甲についてうだうだ書いてきたんですが、本来はリットリオ級の装甲のすごさについて語る予定だったんですよね。正直長くなりすぎてこれ以上語っている余裕がないので、リットリオ級のすごさに浮いてはまた明日語ろうと思います。

というわけで今日は鋼鉄と装甲のお話でした。最後まで読んだ人がいたなら本当に本当にありがとうございます。

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