白日を聴きながら考えたこと

King Gnuの白日という曲を先日初めて聴いてみるなどしたのだが、ものすごく刺さりすぎて鬱になってしまった。参ったものである。取り返しのつかない過ちをしてしまうこともありますよね、というそういうお話。

前にSNSでそういう話をしたら、横から失礼おじさんに「それは君の人間性に問題があるのではないか」などという余計なツッコミをされ非常に不快だったりしたのです。そりゃあ自分の人間性に問題があることなどとっくに承知の上で、それでもやってしまった問題について悶々としてしまう日々もあるし、それをどこかで吐き出せればいつか楽になるのだろうかと思ったりしながらも、それでも吐き出したところで楽にならないから墓場まで持っていくつもりなんですよという、そういう話なんですよ。

人生はうまくいかないことばかりだが、それでも前に進み続けるしかない、という結論には至っているのです。

オンライン対戦ゲームで重要な、「チームメイトは味方などではなく敵が同じだけの人間」すなわち本質的には味方に何かを期待してはならず、最終的には自力で状況を打破する能力が必要という考え方を最近もっといろんなところに応用していくべきであろうという結論に至った。人間生きているとどうしても他人に何かを期待してしまうのだが、期待すればその期待に答えられなかった場合には少なからず失望もする。ある意味それは自己満足なのではなかろうかと最近思うようになった。勝手に他人に何かを期待して、勝手に失望する。全て自分の中で完結している心の起伏である。

そんなことを考えるぐらいならそもそも他人に何かを期待してはならないと思うのだ。期待していいのは失望することがない人間だけであろうと思う。そして私は失望するタイプの人間なので、そもそも期待もしないことにした。何かをやってほしい場合には明確にお願いをするべきであろうと。どこをどうすべきなのか、指示も明確にして、出来るだけ齟齬が起こらぬように配慮することにした。それこそがおそらく重要な要素で、日本人が曖昧にしがちな個人間の依頼の問題点を解決しうる方法でもあるとは思っている。

そしてそれぞれの個人がその与えられた仕事を最大限にこなそうと努力する。あくまで私はフリーランスであるから特に自分でできる範囲内で最大限の努力をし、皆がそうやってスタンドプレーに徹した結果生じるチームワークこそが至高であると考える。

すなわち攻殻機動隊の

我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。
あるとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。

このセリフである。これを理想とする。

つまり何が言いたいかというと、自分が今できる範囲内で最大限の努力を重ね、年間4000時間以上をそれに費やし、それを続けて初めてやっと見える何かがあるということに気づけた。それは本当に良かったと思う。

最近の結論として、もし自分が精神をやらかしてなかったとしても多分会社は辞めていただろう。ただそのあと努力し続けることができたかどうかはよくわからない。もしかしたら追い詰められたからこそ全力をそっちに傾注することができたような気もしているし、そうじゃない気もしている。

最近はそんなことを考えています。

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