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凧揚げとタブレット

 正月、小学校の運動場は入場できなかった。門が全て閉ざされ周りは高いフェンスと防球ネットで囲まれていた。暴漢によって多くの児童が殺害された池田小学校の事件を思い出し「仕方ないか」と諦める。それでも「公園まで行くか」とは考えなかった。孫を連れて雪のちらつく中を家まで帰り、小学校と反対方向にある公園まで歩く気はしない。
 小学校の創立は1874年(明治7年)だから約150年前の創立、私が通っていた校舎は東京オリンピック前1960年に当時としては珍しい鉄筋で建てられた。その時、私は8歳だから小学校3年生だ。その鉄筋校舎は60年後の昨年、怖ろしくおしゃれな校舎に生まれ変わった。教室も廊下も綺麗な木材が使われ冷暖房完備。体育館はなくなりメインアリーナとサブアリーナと、これも綺麗で冷暖房完備になった。樹齢100年以上あった桜は全て切り倒され綺麗な運動場に整備された。駐車場も200台以上収容できる立派な代物になった。公民館や児童施設も併設されて災害時の避難所としても利用される。我々は広々とした駐車場で凧揚げをしたが、翌日は小学校とは反対方向にある運動場よりはずいぶん狭い公園に向かった。狭くても、凧揚げと並行して行った鬼ごっこも楽しい思い出になったのは土と樹木のお陰だと思われる。
 池田小学校のような凶悪な事件が起きると警備が強化され自由に出入りできなくなる。古い校舎だった頃、授業のある時間帯に運動場に入り込む住人はいなかったし、休日に運動場への出入りは自由だった。たとえ、入り込んだ人物がいても問いただして出て行くように言うだけで何も問題はなかった。問題を起こそうとする凶悪犯は門を閉ざしたぐらいで防ぐことはできない。そう言えば、我が家の施錠が始まったのは40年ほど前だった。
「万に一つも間違いが起きてはいけない。」
一つでも間違いが起きないために万全の体制を整えることが組織のトップに求められるようになった。責任問題に発展する。その結果、運動場で正月の凧揚げができなくなった。寛容さがなくなり世知辛くなった。古い校舎と運動場の隅に咲き誇る桜に通行人が心を癒された頃が懐かしい。
 ここまでは昔を懐かしむだけで誰も非難するつもりはないけれども、後述する内容は学校や教育委員会への批判であり要望である。

望ましくない動画が見えるからと言って、YouTubeのような動画配信サービスをブロックしないでほしい。
いじめに使われるからと言って、生徒間通信を遮断しないでほしい。

生徒全員に配布されたタブレットは情報通信機器であり、知っていると役に立つ知識(=情報)を得るために通信する必要があります。フィルタをかけて制限する方法は生徒に万に一つも間違いを犯させないための手段です。門を閉じて暴漢を入れなければ事件は起こらないかもしれませんが、学校や教育委員会の仕事は生徒が暴漢にならないように指導する機関です。何が良くて何が間違いなのかを考えさえ、話し合わせ、指導する場所のはずです。数学の学習と同様にいくら指導しても間違いは起きます。指導しても起きる間違いを見つけて個別指導するのが教育機関の本質です。タブレットに強固な制限をかけたのでは間違いは減るかもしれませんが情報通信教育ではありません。小学校低学年から全く自由に使わせるべきだとは思いません。段階的に使う時間を増やしたり制限を緩めたりして少しずつ情報通信機器の使い方を指導すべきです。

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