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コワーキングスペースShakeHandsの運営が6年目を迎えたので振り返ってみる。

 こんにちは。コワーキングスペースShakeHands代表の市川です。

 この記事は「コワーキングスペース運営者限定アドベントカレンダー Advent Calendar 2018」の12日目の記事として書いています。千葉県いすみ市のコワーキングコミュニティhinodeでマネージャーを務められている、田村さんの記事「地方のコワーキングスペースの役割について/コワーキングコミュニティhinode」からバトンを受け取りました。

 2013年11月に開業したコワーキングスペースShakeHandsの運営が6年目を迎えたので、開業前から今日まで振り返ってみたいと思います。

コワーキングスペースShakeHands

 コワーキングスペースShakeHandsは2013年11月に、広島県広島市の中心市街にあたる中区紙屋町で開業した広島市初のコワーキングスペースです。施設の専有面積は125㎡で席数は59席。全席がオープン席で、固定席はなく完全なフリーアドレスとなっています。日常会話程度の雑談は可能で、施設内での電話やスカイプ通話なども許可しています。あまりルールなどでがんじがらめにせず、利用者同士が気を使いあって欲しいというのが個人的な思いです。公序良俗に反するようなことでもない限り、ゆるい運営を心がけています。

 電源やWi-Fiが使用できることはもちろんですが、飲食店の営業許可を取得しており軽食やフリードリンクが充実していることも特徴の一つでしょうか。

 おそらく、コワーキングスペース第2世代と第3世代の中間くらいに位置する施設が、コワーキングスペースShakeHandsではないだろうかと思います。

コワーキングスペースと出会うまで

 2011年の年末、当時26歳で食肉を扱う商社の子会社に勤務していた僕は、地域に関わっていこうと一念発起し会社と家を往復するだけの生活を一変させました。

 それから、料理教室を主催してみたり、県内の農家など生産者を訪問して食材を集め地産地食のイベントを開いてみたり、母校のFacebook交流会を立ち上げてみたり、田舎で農業や特産品の生こんにゃく作りを学んでみたり、若者向けの異業種交流会に参加してみたり、食育NPOに参画してみたり、市議会議員が主催する政経の勉強会に参加してみたりと、あれこれと首を突っ込んだ末に活動のなかで出会った仲間たちと立ち上げたものが「Hiroshima Future Center(以下、HFC)」という団体です。

 Future Centerとはざっくり言えば「オープンで(誰でも参加でき)フラットな(参加者全員が対等)問題解決のための対話の場(その形態は様々)」です。2012年は仲間たちとFuture Centerという対話の場をイベントとして設け、広島市の課題や未来について語り合う活動に明け暮れていました。

 そんなFuture Centerという概念を教えてくれた初代HFC代表の上井くんは、Future Centerを専門とする企業へ移り、現在もFuture Centerの第一線で活躍しているので、以下の記事を紹介しておこうと思います。

共感を呼び、熱狂を生み出す。スポーツ選手が持つその力を企業や地域の未来に活かすには? イノベーション・ファシリテーター、上井雄太さんに聞いた。

 さて、会社員のかたわら、夜に集まっては打ち合わせ、週末になればイベントを開催したり参加したりする生活を続けるうちに、僕は考えるようになります。はたしてこれで何が変わっているのだろうか? と。

 そうして、2012年の年末を控えるころ、イベントとしてのFuture Centerではなく、常設の場としてのFuture Center(オランダの水道局が運営するLEF Future Centerなど)を広島につくるということを漠然と考えるようになります。

 そんななか出会ったのが「つながりの仕事術~「コワーキング」を始めよう」という書籍であり、たまさか広島に縁があった著者でありPAX Coworking主宰である佐谷恭さんなのでした。2012年の年末、アイリッシュパブで佐谷さんとお会いし、コワーキングについて直接お話を聞く機会に恵まれ、僕はいよいよ物件を探し始めます。これらのことから分かるように「Future Center ✕ Coworking」がコワーキングスペースShakeHandsの当初のコンセプトでした。

 ちなみに、この頃すでに、横浜の関内に「mass×mass 関内フューチャーセンター シェアオフィス&コワーキングスペース」という施設があったりしたので、めちゃくちゃ参考にしました。

 なかなか現地へ視察に行くということも難しかったので、ウェブで調べて参考にすることが多かったように思います。

物件探しは苦難の連続

 事業計画をつくりながら、僕は確信していました。この事業はこれから必要となっていくであろうと。しかし、こうも確信していました。この事業はおそらく儲からないだろうと。

 なので、物件選びは非常に重要でした。立地と価格。この2点は外せませんでした。しかし、立地が良ければ価格は高くなるものなのです。物件探しは難航しました。

 さらに、壁は立ちはだかりました。「コワーキングスペース」が何ものなのか、広島ではまだ知られていなかったため、物件所有者の理解が得難かったのです。店舗を借りる際、だいたいの契約書に最初から存在している一文があります。「転貸の禁止」です。コワーキングスペースの説明をすると、転貸にあたるという指摘を受けることが多く、前例がないもののためか敬遠されることも多々ありました。

 半年以上、足しげ街を歩き、ようやく物件を見つけ、法人の設立、融資の手申し込み、内装工事の契約、退職へと進むことになります。

 よもや自分が起業をすることになろうとは思っても見なかったことです。人生なにが起こるか分かりませんね。

幕間

 開業に際し、市の創業支援担当者にボロクソに言われた話や、資金調達の苦労、起業することへの恐怖、思っていたのと違う内装工事、などなど書きたいことは多々あるのですが、キリがないのでそれらは割愛します。

初年度の命綱はイベント(2013.11 - 2014.10)

 こうして、人が自然と集まり、対話が生まれる場所が広島市に誕生しました……というのはもちろん幻想に過ぎず、人は理由がなければ集まりません。これまでの異業種交流会などで知り合った人の95%は来場せず、残りの方もほぼ利用することはありません。だいたい友達が来てくれるからと飲食店を開業すると失敗するのです。お祝いはしてくれますが。

 アンテナ感度の高い方がすぐに来場されて月会員になってくれたり、ちらほらと利用してくれる友人・知人のおかげで売上が0円という日はありませんでしたが、日々の経費に比べれば微々たる額に過ぎません。財務諸表は真っ赤っ赤です。どうするのか? イベント利用の誘致です。

 ホテルやコンベンション施設にはない雰囲気と低価格。様々なイベントがコワーキングスペースShakeHandsの上を通り過ぎていきました。異業種交流会、IT系の勉強会、婚活パーティー、ローカルアイドルとファンの交流会、テレビ局のロケ、etcetc……。

 はて、僕は何が作りたかったのだろうか? と思うことが、あったりなかったり。

やってみないと分からないということが分かりだす2年目(2014.11 - 2015.10)

 右も左も分からない1年目が怒涛のように過ぎると、まだまだ多いとは言えませんが利用者も増え始め、少しずつ運営というものも分かってきます。

 そうなると思っていたのと違うというようなことや、足りなかったと思うようなことも増えてきます。例えば、オシャレな木の椅子は見栄えはいいけれど長時間座っているとお尻が痛くなる、テーブルの奥行は60cm欲しい、などです。備品を買い替えたり、新規でテーブルをいれたり、お金がないので試行錯誤が始まります。

 月会員が増えるにつれ、貸切で利用できない状況を生み出すということが申し訳なくなってきました。イベント用の別の場所が欲しい、などという思いが2年目にしてむくむくと頭をもたげてきました。貸切にはしたくない、しかしイベント貸しの収益は欲しい……得も言われるジレンマにさいなまれます。貸切は月2回ぐらいにしておこうかなあ……。

 2015年5月に、貸会議室・セミナールームとして新たに物件を借り、ソーシャルスペースmisociaという施設をつくることになるのですが、低予算と借りた物件が老朽化していたため、新たな課題を抱えることとなるのでした。

 2014年は、広島県が主催する瀬戸内しまのわ2014という大規模なイベントがあり、その活動に携わるために広島を訪れた県外の方に利用していただいたりすることもあって、「場をもつとつながりが増える」ということを実感した年でもありました。

 また、この年に、movin'on(現在は閉業)、port.incSO@R Coworkin'、などのコワーキングスペースが誕生しました。広島におけるコワーキングスペース開業の最初の波がきた年と言えようかと思います。

先が見え始めると落とし穴にハマる3年目(2015.11 - 2016.10)

 月会員やドロップインも増え、朝活などテーブル単位での利用もあり、初年度に比べれば売上も雲泥の差。贅沢を言わなければ持続可能な未来が見えてきました。金額そのものはたいしたことありませんが、伸び率は高く、Shaコワーキングスペースという場が認知され始めているという実感ができた1年でした。

 一方で、コミュニティ、地方創生、スタートアップ支援、というようなワードでくくられる事象、開業前に持っていた「こういう場をつくりたい」という思いはどれぐらい実現できているのだろうか? という疑念を抱くようになってきます。変に焦ってしまい、新しいことに取り組んでは失敗し、せっかく固まりつつあった土台を崩してしまうなど、わりとやらかした1年でもありました。

 こうして、3年目は自分の弱さから再び経営難に陥って終わるのでした。

地に足がついた活動が大事だと感じる4年目(2016.11 - 2017.10)

 昨年の反省から、目新しいことや派手なことはするまいと決めた1年でした。決めたことは新しいことをせずコワーキングスペースShakeHandsの運営に注力しよう、ただそれだけのことです。地域を元気にすると言えばカッコいいですが、運営を事業として捉えたとき、それを支えてくれるのは利用してくださる方が支払ってくれる利用料です。利用者を第一に考えずして、他のことなんてやっていられません。もし、潰してしまったら、どれだけの迷惑がかかることか。

 こうして、前年でだいぶ散らかしてしまったものを整理し、再構築しました。ありがたいことに利用者は増え続け、高い成長率を維持、どうにか難局を乗り越えることができました。

 社員や家族の支えがあったことは、感謝する他ありません。

 2017年、バニヤンツリーデジハコいいオフィス広島Fabbit広島駅前と、4つのコワーキングスペースが開業し、第2波が押し寄せた年となりました。また、広島の施設も大型の複合施設になる傾向が見受けられました。

基礎を大事にする5年目(2017.11 - 2018.10)

 週末になるとほぼ満席になり、相席をお願いしたり、利用をお断りしなければならない状況も見られるようになり、まだまだ伸びしろはあるものの、施設の規模としての成長限界も見えてきました。移転を視野にいれるのか、(可能なら)増床をするのか、今後のことを考えなければならない状況になってきました。考えるだけの余裕が生まれてきたと言い換えることもできます。

 そして、コワーキングスペースShakeHandsとしては貸切営業を終了し、貸切イベントで使えないという日は完全になくなりました。背景的に、同様の施設が増え、当施設がその役割を担う必要はないと感じるようになったことも理由の一つです。小規模なものであれば、貸会議室・多目的室をご案内しています。

 この1年で、空気清浄機を導入したり、デスクマットを敷いたり、看板を付けたり、マグカップが割れたりして数を減らしていたのでオリジナルマグカップを製作したり、あたらしいことに資金をまわす余裕も出てきました。

 2018年、ひろしま国際ホテルの回転展望レストランを転用したコワーキングスペース空庭、穴吹興産によるco-ba hiroshimaと、2つのコワーキングスペースが開業しました。10に満たないながらも広島市内に様々なコワーキングスペースが存在し、少しずつ身近な存在になっていっていると感じています。

ゆるやかに変化していく6年目(2018.11 - )

 何億円も調達して爆発的にスケール、というような事業をしているつもりはないので、なんにせよ変化は緩やかなものとなりますが、ShakeHandsとしては初めてのアルバイトを雇用できるようになりました。人が増えればこれまで手の届かなかったこともできるでしょうし、新しい風を取り入れたいという願いもあります。今後も余力さえあれば、そちらにまわしていく腹づもりです。

 間接金融からの借入返済というひとつのゴールも見えてきました。日々減少していく通帳残高を眺める日々とはおさらば、この世の春と言えば言い過ぎですが精神的なゆとりが違います。

 しかし、コワーキングスペースという店舗型ビジネスには箱の大きさという成長限界があります。これが飲食店であれば回転率を上げる、客単価を上げるという試みも出来るかもしれませんが、それは僕たちが担うべき役割としてはそぐわない選択肢だと思っています。

 とはいえ、消費税が5%から8%になる際は据え置きましたが、これが10%となると、近年の物価上昇(体感では売上に占める仕入原価率が2%ぐらい上昇しているような気がします)もあり、多少は見直さないとさすがに成り行かないので、10%になるタイミングで多少の改変は行うと思います。多少は。

 5年が過ぎ、6年目。折り返し地点だと感じています。日本全国のコワーキングスペースを見れば、コワーキングスペース運営を卒業した方、残念ながら事業を継続できなかった方、増床した方、移転した方、新規事業に参入した方など、様々な変化を見ることができます。

コワーキングスペースを運営してきて

これまで散文的にコワーキングスペースShakeHandsの5年間を自分なりに振り返ってみましたが、コワーキングスペースを運営してきてよかったことを以下にまとめます。

自分の世界(観)が広がる
 コワーキングスペースには多様な人が集まるため、異業種や異文化と触れ合う機会に恵まれます。僕自身、フリースクールを運営する一般社団法人の理事、テクノロジーを活用してより良い広島づくりと未来を考えるCode for Hiroshimaの共同代表、一瞬だけCoderDojo紙屋町のお手伝いなど、自分が培ってきた分野外の事柄に関わるようになったのは、コワーキングスペースを通じて出会った方々からの影響です。

 現在、広島駅の近くでクラフトビール&クラフトジンを主に提供する小さな飲食店を経営していますが、そういった楽しみを教えてくれたのも、コワーキングスペースつながりの方たちでした。COEDOビールとの出会いは惜しまれながらも閉店した佐谷さんのパクチーハウス東京です。

情報が集まる
 
先述のように様々な人が訪れるため、世界中のナマの情報を得ることができます。なかなか会えないような人と会える可能性が高いのもポイントです。

つながり
 今回のアドベントカレンダーのようなコワーキングスペース運営者同士のつながりなど、共通言語をもつことで人との接点を持ちやすくなります。また、日々同じ空間を共有することで、自然とコミュニケーションも生じます。

刺激を得やすい
 コワーキングスペースの利用者は勉強や仕事や趣味など、なんらかのことに打ち込んでいる方や、地域社会などに関心を寄せている方である可能性が高いため、そこから刺激を受け、自分の取り組みに対するモチベーションを高められる可能性が高いです。一歩踏み込めば、一緒に仕事をしたり、ともにプロダクトをつくる機会もあるかもしれません。

利用者の喜びの声で喜ぶ
 
受験を控える学生さんから偏差値が上がったのはここのおかげと言ってもらえたり、集中できる、仕事が捗る、などの声を聞くことができるのは喜びです。同じくらい怒られもしますが、反省するとともに、それもまた良い経験値になっています。

人の成長や、転換期と出会える
 ものすごい多いわけではありませんが、コワーキングスペースを通じて新しいステージに移っていく方もいます。そういった方々の一助となれること、自分にではきないことを実現していく人々と出会えることも喜びの一つです。

(超個人的な話)結婚ができた
 妻とはコワーキングスペースを通じて知り合いました。いわゆるコワー婚ですね。よもや自分が結婚できるとは思っていなかったので、感謝です。2018年には第一子にも恵まれました。苦労をかけてばかりなので、これからすこしでも楽をさせてあげたいものです。

コワーキングスペース活用のすすめ

 既に職場がある方でも、家と職場以外の第三の場としてコワーキングスペースを活用することをオススメします。人生を変える出会いであったり、新しい何かと出会えるかもしれません。行動をしなければ0ですが、行動すれば少しずつ何かが積み上がっていきます。それが何かは分かりませんが。

最後に

 まだまだ先は長いですが、これまでを支えてくださった利用者の皆さんと、コワーキング関係他お付き合いくださっている皆さん、家族や母校の同輩や諸先輩方に感謝して、このとりとめもない振り返りを締めたいと思います。

 コワーキングスペース運営者として利用者の皆さんの活動を応援するとともに、ささやかながら自分自身も挑戦者であり続けたいと思っているので、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 最後に、明日13日は、愛知県名古屋市でコワーキングスペース「ベースキャンプ名古屋」を運営している、自社開発CMS「a-blog cms」の展開や、「WCAN」というWeb制作者のためのイベントを主催している山本さんの記事「」です。

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