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何のためのプレゼンテーションなのか

 プレゼンテーションの相談をされた際、よく「資料やシナリオをどう作っていいかがわからない」というお話をいただきます。シナリオ作りや資料作りにはそれぞれテクニックがあり、色々な技術を合わせて作成する必要があるのですが、相談の際、それ以前に・・・と思える話がよくあります。今回はそんなお話です。

素晴らしいプレゼンテーションが良いこと?

 プレゼンテーションを行う際に「綺麗な資料」「きっちりとしたシナリオ」が作りたい。という相談が非常に多いです。
 エバンジェリストが作っているような綺麗なプレゼンテーション資料で流れるような話ができるシナリオが作りたい。
 そういう相談を受けることも多いのですが、話を色々深掘りしていくと違った部分に課題があることがあります。それは、

「どういうプレゼンテーションをしても、相手が関心を示さない」
という背景です。

 綺麗なプレゼン資料を用意して綺麗に話ができれば相手に納得感が生まれるのではないか。と考えられている方が多くおられます。

 つまりは、
 「素晴らしいプレゼンテーション」
 さえできれば
 「相手は感動し、こちらの思い通りに行動をしてくれる」
 という考えです。

 私の経験からすると素晴らしい資料をいくら用意しても相手が感動し動くことは稀です。また、プレゼン資料やシナリオの完成度を高めることは、あることをしっかりとやった後必要となるテクニックです。

そもそも誰に何をさせたいのか?

 そもそも、プレゼンテーションの目的はなんでしょうか?綺麗にプレゼンを行うこと、ではありません。綺麗な資料を作って感動させることでもありません。

 「内容をいかに理解させるか」
 「理解したことで行動を促せるか?」

 が目的です。

 「資料が綺麗なら理解できる。」
 「喋りが上手であれば行動してもらえる。」

 という訳ではありません。

 まずは、相手を理解し、その相手の立場に立って、相手の目的を考え叶えることが重要です。この部分が曖昧で、綺麗なプレゼン資料やシナリオを作ったとしても、誰も動かすことができません。

 資料やシナリオはあくまでも手段であって、それを向上させることが手段のアップデートでしかありません。

 重要なのは相手の目的を達成することとそのための納得いく材料の準備です。

 手段がいくらよくても相手の目的が達成できなければ、プレゼンテーションを行なっても意味がありません。今、何に関心があって、どういう背景を抱えていて、どういうことをやりたいと思っているのか。その部分がずれているといくら綺麗なプレゼン資料でも、良いシナリオでも、理解して行動することはないのです。

見た目ではない、本質が重要

 エバンジェリストという立場から講演を聞かれたことがない方からは「綺麗なプレゼンテーション資料で流暢な語りを行う人」というイメージを持たれていることが多くあります。ステージの上で素晴らしいプレゼンができれば、誰もが納得してくれるのではないか?そう考えられる方も多くいます。
 エバンジェリストのプレゼン資料を使えば自分も納得感のあるプレゼンができるのでは?と。

 「資料だけ使わせて欲しい」ということを言われることも多くあります。

 ただ、目的を認識せず綺麗な資料を使ったところで、相手を納得させることは非常に難しいです。実際、私は講演ごとに資料を変え、話し方も毎回変わっています。年間240回を超える講演をしていますので、240ファイル以上のプレゼン資料が毎年生まれます。シナリオ自体はメモなどなく、繰り返し講演をする場合にも場の違いに合わせ話し方を変えます。
 オンデマンドなどで提供する場合にも1ヶ月程度の期間を最大にしてもらいます。

 なぜか。

 参加される方々ごとに目的は違いますし、地域や業種によっても違います。
 全て同じ話し方は通用しませんし、資料についても見る人によって見え方が異なります。

 さらに、1ヶ月もすると新しいことが起きる時代です。

 常に本質を認識し、柔軟に資料や話のアップデートが必要なのです。
 完成度の高い資料やシナリオがあっても、常に変化をさせなければなりません。

 そのくらいのことをしなければ、納得感を与え、行動をとってもらうことはできません。

 綺麗な資料、流暢な喋りはあくまでも手段なのです。

 手段にこだわりすぎても目的が達成できなければ意味がありません。

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