変わることが普通の「世界」と変わらない「日本」
世界は今急速に変化しています。特にその昔「発展途上国」と言われていた国が次々と変化をしています。その背景にあるのが「デジタル」です。
なぜデジタルが変化を進めるのでしょうか。
デジタルにより様々な変化が気軽になった
みなさまも普段からスマートフォンを利用されているでしょう。2007年にiPhoneが登場し色々なことができるモバイルフォンが一般化しました。しかしながら、当時は「ボタンも無い機器は使えない」などと言われていました。キーボードなどの物理ボタンがなければ操作も難しいと。それから既に17年が経ちました。
今やスマートフォンが無い生活が考えられないまで、活用が進みました。電話としてだけではなく、メール、SNS、地図、財布、カード、翻訳機、辞書、ゲーム・・・何もかもがスマートフォンの中に入っています。実際にスマホを持たずに1週間過ごしてください。と言われて実行できる人の方が今や少ないのが現状です。
このスマートフォンの普及は先進国だけではありません。例えば今インドではスマホを使ったキャッシュレスが一般化し、買い物をするためにはスマホが欠かせない存在になっています。ベトナムではスマホからすべての行政手続きができる様になっており、中国においては街中にQRコードが溢れ、食堂の注文、買い物、広告を見るなど、スマホで行うことが当たり前になっています。身分証明や免許証などもスマホに入っているためスマホを持たない生活はできません。
スマホはいわばデジタルへアクセスを行うための入り口です。デジタル活用が進む要素として、暮らしの中のほぼすべてのサービスがスマホに統一されているのです。
ですが、日本はまだまだこのレベルには達成していません。
物理にこだわる日本
では、日本はどうでしょうか?お金はキャッシュレスが普及されつつある中でもまだ現金のみの店も多いです。案内や手続きも紙が普通に残っていますし、広告なども紙で表現することがほとんどです。身分証明もカードの形をしており、各種サービスもまだまだリアルが中心です。
いまだに「物理」が中心です。
この背景には、モノを手に入れれば幸せになれば時代、「高度成長期」の認識がいまだに残っているのでは無いかと感じることが多くあります。
「物理的なモノの方が良い」
「形のあるものの方が良い」
「モノが溢れている環境が幸せである」
ただ、一方で断捨離が最近ブームになってきています。高齢化などが進み、「終活」の一環として行われることも多くあります。モノがある意味足枷になり得る。という状況です。確かに、モノそのものは所有者にとって価値のあるモノですが、他の人にとっては必ずしもそうではありません。モノの溢れた環境は本人にとっては幸せですが、周囲にとってはそうでもない。ということがあるのでしょう。
一方で発展途上国ではモノや歴史に対するこだわりはそれほどありません。
これはモノを手に入れて幸せになった経験ということがそもそも無く、更にはここ30年で一気に進んだデジタルが背景にあるのでは無いかと感じています。
気軽になんでもできるデジタル
スマホやタブレットはその気軽差が普及の後押しになっています。つまり、デジタルなら物理的なモノと異なり、気軽に所有できるのです。
実際、現金、カード、地図、辞書、身分証などを常にカバンに入れている。という人は日本においても少数でしょう。でも、スマホであれば、同じモノを普通に持ち歩いているのです。
つまり、デジタルであれば、気軽になんでもできるのです。平均年齢がデジタルネイティブ世代の発展途上国であれば、当然の様に「デジタル」を選択するでしょう。しかも、周囲の環境には当然の様にデジタルが存在しました。物理を所有する方が良い。という認識はないでしょうし、逆にデジタルで便利に暮らしている中で物理による制限を受けることそのものが「気軽」では無くなってします。と感じることも多いでしょう。
つまりは、リアル&物理は明らかに不便と感じるのです。
スマホ一本で過ごす
実際、私自身最近財布も持たずスマホだけで出かけることが増えました。
スマホにはお金も、地図も、SNSも、辞書も、翻訳機も入っています。
音楽も聞けるし、買い物もできます。写真や動画も撮れるし手帳にもなります。
その昔であれば、カバンに色々モノを入れて・・・ということも多かったですが、そういう鞄も不要で、ポケットにスマホだけ入れて手ぶらで出かけます。
困ることと言えば現金しか使えない店と物理カードが必要な手続きですが、そういう店や仕組みは避けるようになりました。飲食店でも買い物でもキャッシュレス対応していなければ利用しない。カード不要な銀行&ATMを使う。
よくスマホが壊れたらどうするんだ。と言われますが、今やクラウド時代、データは復旧できますし、二台のスマホを常に持っていてサービスをどちらからでも使える様にしています。その瞬間困ることがあるかもしれませんが、これも「財布を落としたら」という状況と同じです。
物理「モノ」からの脱却が日本を変化させるために必要なことだと感じていますし、世界では既にその方向で進んでいます。
デジタル化が進む現在、世界においていかれ「デジタル後進国」という状況を打破するためにも既存の「モノ」にとらわれないことが必要不可欠です。
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