見出し画像

SONGS

ASKAが事件を起こす前年、彼のソロコンサートへ1人で行った。

熱狂的ファンだった高校時代から20年以上経っており、当時チャゲアスとして人気が出、入手困難だったチケットも、ソロではあるけれど一般から回された当日券も出ていた。
それでも久しぶりに彼の姿と満席に近い会場を見た時は感慨深く、ファンと公言しつつ、いつしかメディアや世間と呼応するように離れていった自分が恥ずかしくなるほど素晴らしいコンサートだった。

当時観た、チャゲアスの大掛かりで華々しい舞台演出とは違う、マイクスタンド1本と向かい合い、一筋に放たれるライトの先に佇む彼は神々しくもあった。
50代前半だった彼の声に衰えはなく、全盛期以降のソロ作品も叙情的でありポップでありロックであり、彼独特のメロディーラインと歌詞は際立っていた。かつ、往年の名曲は時を経ても、時を経たからこそ熟されたように甘く、そして清々しい余韻を残した。
懐かしいイントロと変わらない切ない歌声がホールに響き渡ると、私の周囲からもすすり泣く声がした。

ああこの人は、どんなときでもずっと歌を作り続け、歌ってきたのだと実感させられた。
事実、テレビドラマの主題歌であまりにも有名になったかの曲以降、ヒット曲も落ち着いてメディアの露出も減った時期に2人が作り上げた楽曲は地味だけれども名曲が多い。
ASKAの、比喩をふんだんに使った歌詞も誰も思いつかないようなメロディーコードも、私たちに寄り添ってくれる、らしさ、が溢れて出ていて、もしかしたら1番彼らが自然体だった時期なのかもしれない。

2019年。
チャゲアスが事実上解散となり、2人が舞台に並ぶ姿も永久に見れなくなった。
どこから歯車が狂ったのか、と深く掘り下げればいろんな過程が見えてくるのかもしれない。けれど2人にしか分からない内情は、おそらく今後も私たちが知り得ることはないのだろう。
しみじみファンとは何なのだろう。と、出戻りの自分が述べることではないけれども考える。
復活コンサートの朗報に歓喜し、病気に悲観し、事件を起こした日の、テレビ画面に映ったニューステロップに絶望し、そこから溢れ出る幾多の情報や記事に翻弄され、信じた人の真実と嘘の境目を何度も往復させられる。メディア越しにしか見えない2人。

高校生の頃、夜通しカセットをかけて同じ曲を何度も巻き戻して聴いて、憂鬱な明日を何とか乗り切ろうとした。
令和の今では、かつて私を励ましてくれた歌声がiPhoneから流れてくる。音楽を聴く形態は変わっても、いろんな音楽を聴いてきてもなお、30年前のWALKとLOVE SONGの美しい旋律は私の中で今でもNo.1ソングで攻めぎあっているし、プライドやOn Your Markは己を奮い立たせてくれる。年を取り、いろんなことが変わっても懐かしい曲たちはすぐに私を取り戻してくれるし、今の自分が見る景色にも新たな色付けをしてくれた。
大げさでもなく、私と同じような思いで彼らを待ち、2人の歌声がようやく戻ってくると期待していた人も多いだろう。ずっと応援してきたファンなら尚のこと。

アーティスト自身の環境の問題、社会的な問題。人間関係。何より彼らも私たちと同じ1人の人間なのだ。いろんな経験をし、年も重ねた。譲れないプライドも譲れない思想もあって当然だと思う。こんなにもすれ違っているように見えて、2人のメッセージにある「自分が1番あいつのことをわかっている」の言葉はなんと悲しい皮肉だろう。
それでもなお、それゆえにファンの存在とは何なのだろう、と思ってしまう。
2人が抱えている背景などどうでもよくて、ただ2人が一瞬でも同じ舞台に揃い、あの頃のように楽しそうに歌い奏でる姿が再び見たいだけだったのに。だってそこに2人はいるのに。それは、どのような状況をも覆せないほど難しく成し難いことだったのだろうか?
彼らが歩んできた道のりの半分も知らない私は、駄々をこねる子供のようなことを思ってしまう。

かつてASKAのソロ楽曲「はじまりはいつも雨」がCMに決まり、まだサビのワンフレーズしか出来ていなかったものがテレビに流れているとコンサートで語っていたっけ。
「ようやく、みんなに全て聴いてもらえる」
嬉しそうな、どこか誇らしそうなまだ若い彼の横には相棒がいて、ステージ上でいつもふざけあって私たちを笑わせてくれたのはもう遠い遠い日のことなのだ。

みんな歳を取ったなぁ。

描いた絵を
何度でも
なおす手を僕は持とう

そこに立って
その時わかることばかりさ
それが自分と思えたら
軽くなる
歩ける

「NOT AT ALL」
CHAGE and ASKA



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?