寿司日乗38

2019年7月28日(日) 晴れ

昼食を食べに外に出る。
いつもとは違う道を通って帰路につく途中、立派な家の前に喪服の団体が見えた。「家で葬儀なんて、今時珍しいなぁ」独り言。
ボソボソと会話する団体の前をゆっくり歩く。「〇〇さんも向こうでまた夫婦でね、一緒に居れたらいいわね」「寂しくなるわね」
家の前を通り表札に目をやる。「あれ、なんだろう。知ってる」
しばし立ち止まり考えて「あっ!!」と声が出た。自分でもビックリするくらい大きな声だった。団体の老若男女がこちらを振り返る。「あの......」と、言いかけてやめた。早歩きでその場を立ち去る。
「きっとあのお婆様だ。絶対、そうだ」
表札の性と盗み聞きした会話の中の名前。とても綺麗な名前だったので忘れずに覚えていた。

2017年6月12日
「あじさい」  
よく電話をする日だった。
「誰かが言ってたけど人生はくちびるから生まれるんだって、すなわち言葉があんたを、人生を作るってことよ」
「ピンとキリ、どっちも知ってりゃ真ん中なんか簡単よって森繁久彌が言ってたよ」
なんとなく印象に残り覚えているふたつ。
誰かに言われたことばかりが言われた当時より最近になって身に染みる。染みるというより体当たりされている感じに近いのか。

電話を切って昼食に出る。
食事をすませて帰路の途中、最寄駅近くにある富士見橋でぼんやりする。
今自分の住んでいる町があまり好きではないのだが、この場所だけは唯一好ましく思う。電車が流れていくのをぼんやりして眺めるだけの数分。
「〇〇しゃん、あのお花はあじしゃいですか?」という声がして隣を見ると、なんの気配もなくそこに突然現れた上品なお婆様と女の子が隣で電車を見ていた。(私がぼんやりしすぎているだけだが)
「そうよ、あじさいよ。」「かわいいね」「そうね」
なんともない平凡なやりとりに勝手に癒されていたのだが「なんであじしゃいはいっぱい咲いてるの?」女の子が私に聞いてきた。一瞬「え…?」と思うも突然で普通に答えてしまった。
「これからの時期、雨がたくさん降るときに電車が往来する線路に土砂崩れなんかあったら困るから、あじさいを植えてるんじゃないかとおもいます。あじさいは、根っこがふかくて梅雨の時期に咲く花だし、花も、正確には花びらじゃないんですけど、その色鮮やかさによって景観もよくなるだろうし、根っこが土砂崩れを防いでくれるからじゃないかと。」
「......」女の子はじーっと私を見たまま表情を変えずに凝視している。会釈して立ち去ろうとした時
「よくご存知なんですね。」と、お婆様。
「昔住んでいた家の庭にこれでもかというくらい咲いていた唯一の花だったので......」
「この近くでいらっしゃるの?」「いえ、九州の方です。」
「あら、そうなの。今はこの辺りですか?」「あー...はい。」
「ごめんなさいね、突然。」「いえ、お孫さんですか?」
「えぇ、ひい孫になります。」「ひい孫...」
「そう、ひい孫。」「(向田氏の本を持っている手を見て)向田さん、好きなの?」
「え?あ、はい。」「むかーしにお会いしたことあるわ」「え!そうなんですか。」「えぇ、もう随分前のことですけどね」「編集のお仕事かなにかされてらっしゃんたんですか?」「いえいえ、私じゃなくて主人がね。」「あぁ、そうなんですか。」「赤坂にね、ままやっていうお店があったのよ。」「あぁ、知っています。」「そこにね、よく行っていた時期があってね......」
まさかこんなところでそんな話になるとは思ってもなく、時間にすると10、15分位なのだがもっと長く話をしているような時間の流れ方だった。
その間、女の子はぐずることもせずにじっとあじさいを見ていて、
子供なのに、私よりも随分大人だなと思ってしまった。
別れ際お婆様が
「あなた、お名前なんておっしゃるの?失礼じゃなければ教えて頂ける?」と言われ
「あ、見汐です。見汐と言います。」と答えると
「いいお名前ね。名前はねその人の人生の題名だからね。」「題名ですか.....。」

お婆様と女の子と別れた帰り道、
そう言えば、お婆様はひい孫に自分の事を名前で呼ばせていたなと気づく。
「名前で呼んでもらえることがどれだけ幸せなことかをね、皆当たり前すぎてわかってらっしゃらないのかもしれませんね。」と最後に言っていたお婆様の名前はとても綺麗な名前だった。【寿司日記より】


「亡くなったのか」不意に声が漏れた。
一度きり、2年前のたった数十分のやりとりを思い出す。
悲しいとか、つらいといった気持ちはない。そう思うだけの関係性も何もない。ただ、ひととき、淡い交わりが確かにあったひと。それだけのこと。
もう一度家を出て、富士見橋に向かいなんとなく手をあわせていた。
往来する電車の脇に咲いていたあじさいは全部枯れている。
「夏だよ、暑いねぇ」独り言。
お婆様の名前を人生の何処かでまた思い出すことがあるのかなと考える。
もしまた、思い出す時があるとすれば、それはどういう時なのか。
いや、もうないかもしれない。忘れてしまうだけかもしれない。
今日という一日があったことすら、数日後には覚えてないかもしれない。








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