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俺の親父は55歳で死んだ。〜世界対がんデー〜

家でアサヒスーパードライを飲みながら書いてます。
2月4日は世界対がんデーというらしい。

このツイートにある動画で知りました。
皆さん、ほんと、ぜひ、見てみてください。


今から20年前の高3の夏、インターハイで優勝した。


大会後、1週間のオフ明けの練習再開した日。
軽く流した練習では、全国優勝の余韻で自分も含めてみんなまだ浮かれていた。

練習帰りにインターハイの大会中にみんなが聞いていた19の「あの紙ヒコーキ」のCDを借りて、練習から続いたウキウキ気分で家に着いた。

しかし、それとは真反対に家のドアを開けたら空気がいつもと違かった。

靴を脱いでる途中で、次男の兄貴が玄関に来て、やるせない表情で言った。

「お父さんが癌宣告を受けた。余命は7ヶ月みたい」

え?
よく飲み込めないままリビングに入ると母親と長男が天井を見つめたまま。暗く重い空気が支配するその空間で状況が理解できてきた。


その後、親父が家に帰って来て少しだけ会話をしたけど内容は覚えていない。

その後、自分の部屋で、あの紙ヒコーキをリピートで聴きながら泣いてた。
次男が来て、一番辛いのはお父さんとお母さんだから、と慰めに来たことだけ覚えている。

次の日から、もう一度お正月にある高校最後の全国大会で優勝して、元気づけよう、と切り替えて頑張った。結局、高校最後の大会は県の決勝で負けてしまった。

そして、宣告からちょうど7ヶ月の3月。
55歳で親父は死んだ。

命は有限。それを強烈に意識した出来事だった。親父の母も親父の兄貴2人もみんな癌で死んだ癌家系。

だから、自分も55歳くらいで死ぬ、という固定観念が生まれて、生き急いだ。

寝ずにがむしゃらに仕事したし、それだからこそ目の前のことに集中しすぎていた時に、親父の死んだ年齢を振り返って残された時間は多くない、と起業した。

自分のビジョンのメッシ超えバルサ超えの期限は2035年。
これは自分が55歳になった2037年にバッファを入れて2035年にした。

死ぬまでにサッカーで世界No.1になりたい、と。

そういうきっかけや期限を作ってくれた親父には感謝してる。

そして、昨年に健康診断で検診で胃が要検査だった。

「とうとう来たか」

1月に精密検査の結果をドキドキしながら聞くと、

単なる慢性胃炎。

ただ、ピロリ菌がいるので除染しておかないと癌の確率が上がるとのこと。

除染の薬はご飯がまずく感じるとのことだったので、美味しく夜ご飯を食べたい予定がたまたま2月4日にあったので、それが終わった夜から飲むことになった。

そして、今日1日遅れでツイッターに流れてきた冒頭の動画で世界対がんデーを知って、自分がピロリ菌の薬を飲み始めたことが重なり、親父のことを久し振りに偲んだ。

もっと早く癌が見つかっていれば。
ピロリ菌を除染しておけば。

親父も息子と酒を飲んでみたかっただろうなぁ。そんなことを思いながら、普段は家で1人では飲まないけど、親父が好きだったアサヒスーパードライをコンビニで一つだけ買って飲みながらこれを書いてる。

みんな、検診に行こう。
後悔しないために。





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