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8/8 日本が抱える薄気味悪さ

若干政治的な領域に踏み込んでいる内容なのであれですが、いち芸術好きの人間として書き残しておきたいと思います。

まず、あいちトリエンナーレに脅迫文をファックスした犯人が逮捕されて安心しました。犯人がファックスに何て書いたかというと、

「大至急撤去しろや、さもなくば、うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで」

ネットワーク民・・・いわゆるネトウヨの皆さんでしょうか。ご本人は逮捕される覚悟があってやったのかどうなのか想像もつきませんが、あれだけネット上での脅迫が事件になり逮捕に繋がっているにも関わらず、気軽に言葉として表出(ましてや行動)してしまうことに驚きを隠せません。

このトピックについて考えていた時、ちょうど「無敵の人」というワードが目に飛び込んだのでTOMAKI氏の記事を引用させて頂きました。

私の印象では「大至急撤去しろや、さもなくば、うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで(笑)」のような言外の印象を感じてしまうし、身バレを恐れてコンビニから送るという姑息さも気持ち悪いし、匿名の心地よさというかカジュアルな無敵感を想像してしまって寒気を感じる。

この事件を「京アニの二の舞にならなくて良かった」と片づけるのではなく、”真剣に向き合っていく必要がある”気がしている。

しかし、誰が誰に(何に)真剣に向き合えばいいんだ?

テレビのコメンテーターが、新聞の論説委員が、文章の最後に「この問題には真剣に向き合わないといけません」と言って締めくくるのをよく見るのだが、あなたは一体誰と向き合うの?そもそも、向き合う主語はあなたと思ってて良いの?ということを疑問に思う私がいる。

主体者不在の議論

誰もがしたり顔で問題を指摘しつつも、そこに主体者としての責任感は感じられない。言いっぱなしで終わることに誰も何も言わないからなんだが、それが今の日本だ。我々国民はダメな日本を政治家のせいにするし、政治家は「あなた方国民の信任を得て政治家をやっている」と胸を張って主張し、間接的に国民のせいにするだろう。

この話題に対して、ロバート・キャンベル氏が以下のようなツイートをしていたので引用したい。

ロバート・キャンベルさんは日本長いから日本人のことを良く分かってくれているだろうけど、日本人からもこういう建設的な議論を始めようとする人がいたか?(少しいたんだけど)少ないことを危機に思う。

というより、愛知県知事と大阪府知事が変にやり合っててゲンナリ。

宗教に疎い、教養も疎い、政治も疎い?

経済は辛うじて誇れるだろうか?いや、もはや経済的にも誇れるものは無くなっただろうか?私も含めだが、日本人は疎いものが多過ぎる。そろそろ、疎いと言って逃げずに”真剣に考える必要がある”

またここでも出てきた「真剣に考える必要がある」

真剣に考えることが多いなぁ。

私達は知らず知らずのうちにそうやって傍観者になる。「別に自分はやりたくないから誰かにやって欲しい」そこまでは思ってないかもだけれど、単に考えていないだけの傍観者になってしまう。みんな日常で忙殺されているから仕方ないよね、うん、仕方ないよ。そうやって、いつまで先送りできるだろうか。

この出来事覚えていらっしゃいますか?

黒人差別に対してコリン・キャパニックらNFL選手が抗議の意思を込めて、国歌斉唱時の起立を拒否したことを。2016年に始まり、2018年にも続いていました。NIKEがキャパニックをキャンペーン広告「Just Do It」に起用したこと、NIKEを支持する意見が相次いだ一方でNIKEの靴を焼いたり、切り刻んだり強烈な反対も表明されたこと。

日本だったらどうなるかなぁと想像するんですが、選手を解雇したり出場停止させたりするかなぁとか、世論が割れた状況はそのままに試合を運営できるかなぁとか考えます。恐らく、そんな時も「ガソリン持ってお邪魔します」的な脅迫予告が入り、きっと試合は中止とかに追い込まれるんだろうか?オリンピックは大丈夫だろうか?

日本に感じる薄気味悪さ

香港ではデモが起きている。欧米も反対には反対として行動と表明が成される。日本は??反対は匿名でコンビニから脅迫文ファックスを送りつけてイベントを中止させる、ある意味で暴動とか起きない派手さはないんだけど、水面下で何かが起きている、我々が生活している日常の裏側で何かが進んでいる。そんな薄気味悪さが日本にはある。

失ってはじめて気づく、無くしたものの大切さ

恋人と別れた時によく言いますよね。けど、失うまで気づかないんでしょうか?この場合、何を失えば気づくんでしょうか?

ちょっと不謹慎ですが、人命は分かりやすいですよね。亡くなったらその人の大切さというのに気付く訳です。では国家は?正直、私だって普段生活しているなかで「国家とは何か?」なんて考えることはないです。日本人にとって(一部右派は違うかもしれませんが)、国家など無くなったところで痛くも痒くもないんじゃないかと思ってしまいます。

無くなってもいいんじゃね、ノリで?的な。

日本人に国というスケールで物事を思考するのは難しいのかな。確実に上の世代の方々はできてなかったんじゃないかな。別に自民党がいいとか、れいわ新撰組がいいとか、どの政党の主義主張に賛成するかは人それぞれだけど。ポジションを取ったうえで建設的な議論を推し進めるということを上の世代は怠ってきたように思う。確実にそういう文化はできていないから。

馬鹿にする人も多いようだけど、若い人がそれなりに政治に関心を持ち始めて、これまでとは異なる政治への関わり方をすることで(どんな関わり方だよ?)、少なくとも後退はせず漸進していければいいんではと思う。

だから先ずこれを観よう





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