5/12 コンテンツ前払い制ってどうなんだっけ?

”私が敬愛する~”とか書くと気持ち悪いですが、
WIRED日本版の前編集長「若林恵さん」が昨年から始めたpodcastを聴いています。最新回がとても面白いのでひと記事書かせて下さい。

タイトルは:メディアのビジネスモデルはどうなるの?

個々人が気軽に発信できるようになり云々のような話ではなく、
私が興味をもったのは「note」に言及された部分です。そう、まさにこれ。

◆これまでのメディアは料金前払い制

言われてみればそうだよね感満載ですが、基本的に新聞雑誌のようなメディア、書籍や映画のようなコンテンツを消費する場合は料金前払い制が基本です。これ、当然のように受け入れていましたが、結構重要なポイントです。

何故なら、我々はコンテンツの中身をよく吟味できないままにお金を支払っていました。本屋で小説やビジネス書を全部立ち読みする奴なんていませんよね?ある意味博打的な要素も考慮した上で、我々は大事なお金を支払っています。それは新聞社や出版社、本の著者など、コンテンツの提供主体への信頼(ブランド)という安心を買っていたと。

それがAmazonレビューはじめユーザーの声が発信、可視化されるようになり、事前に世間がそのコンテンツをどう評価するかが明らかになりました。インフルエンサーなんて職業が出てきたのもこの頃ですよね。我々はネット上で”信頼のおけるらしい”人の声を頼りに消費を続けました。

今となってはオールドメディア代表格になってしまった新聞や雑誌は、「キュレーション力」を掲げ、プロが吟味したコンテンツであることを武器に対抗しています。例えば、雑誌は既にパッケージ化された文章コンテンツの集合体を買っているというのと同義です。

一方、ニューメディア代表であるnoteは素人個人であっても有料課金式の記事(あれブログだよね)を作成することができます。それは対オールドメディアに対して、「うちはプラットフォームは提供するけどパッケージ化されたものは売りません。1記事ずつ個人から買ってくださいよ」という宣言ともとれます。

さて困った・・・

◆見え過ぎることの弊害

いきなり、個人から買えって言われてもねぇ、、、って私は思います。
が、意外と皆さんすんなり課金されているようでもあります。

ネット上に溢れる情報やTwitterなどSNS経由の発信で、課金する先のその人がどんな人であるか何となく分かったような気がするけど、いきなり「私の文章が読みたかったら月額1,000円払って下さい」って言われると正直面食らった気になるのは私だけでしょうか?

しかし、そういう時代が来たということですよね。

いかに、個人としてブランド化するか。何者かになるか。
これまでも企業(法人)という擬人化された人に対してお金を払っていたと思えば今と何ら変わらないのだけど、その人の顔が分かり、声が聴こえ、性格というものが肌で感じる現実のものとなった途端に、感情から湧き上がるような好き嫌いが出てきてしまうのは何故なのでしょうか。その人の懐に自分のなけなしのお金が入っていくと思うと、「何となく嫌」という気持ちが先に来てしまうことがあります。見え過ぎることの弊害。

はあちゅう氏やイケハヤ氏のように、自己のメディア化にいち早く成功した人たちが代表的なモデルになりますが、彼らは夥しい数のアンチに囲まれている訳です。。しかし、よくよく考えれば、彼らのように成りたいのに成れなかった人たちが文句言っているようにしか思えない瞬間もあります。

そして料金前払い制への疑問として、新しい試みも始まっています。

サブスクリプション制が広く浸透した昨今、コンテンツ1つ1つを個別に購入することが逆に珍しくもなった時代。個人もメディア化してしまった現在では、彼らにいくら支払うのが適切なのか誰も何も分かりません。

無料で提供した後に投げ銭的にお金を集めることが厳しい事は言わずもがなですが、何者でもない個人が課金してもらうのも相当に厳しい。

一体、どうしたもんでしょうね。


もしサポート頂けることがあれば、それは金額の多寡というより、そのお気持ちが私に多大なる自信を与えてくれます。それに感謝致します。