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サミダレ町スケッチ 10 デビルエスプレッソ

  客用の日よけも兼ねて、かわいいオレンジ色のパラソルを広げてみたが、やはりこれが露店であることには変わりなく、どうにも貧乏くささが残ってしまう。テーブルや椅子がプラスチックだからだろうか。あたしは頭をひねる。テーブルクロスでも敷いてみようか。それならレースつきの白がいいけれど、汚れが目立ちそうなのがネックだ。
  でも、あたしの店に来る連中が洒落っ気のようなものを求めているわけではない。きれいなカフェなら他にきちんとした店がある。コーヒー豆も、ドリップの腕も、ついでに接客態度まで文句なしのカフェ。あたしも研究のためにそこへ通ったものだ。
  客たちは朝っぱらから訪れる。みっともないというのか、垢抜けないというのか、だらしない感じの客たち。彼らにコーヒーを淹れるのがあたしの仕事だ。一杯ではたいして取れないが、使うのは安い豆なので構わない。
  朝一で必ず来る客といつも話す。彼は肌がきれいだ。外国製の腕時計が自慢で、時間を見るときの仕草が少しわざとらしい。
「これ、ドイツ製でさ、いいものなんだよ」
「高いんじゃない?」
「定価は高いね」と彼はいう。「中古だったから安く買えたんだ」
「まあ、似合ってるんじゃないの」
  そういってやると露骨に喜ぶ。そしてカップのコーヒーをがぶりと飲む。もうちょっと味わってもらいたいな、と思うけど。
  彼と話しているうちに他の客も集まってくる。常連同士でおしゃべりが始まり、あたしは忙しくコーヒーを淹れる。
  厄介な客も多い。言い寄ってくるような連中だ。こういうのには若いのもいるしそうでないのもいる。あたしが特別かわいいわけでもない。ただ女に飢えているだけのやつらだろう。
「これだけ通ったんだぜ」ある男がいう。「なんかサービスしろよ」
「パラソル、かわいいでしょ。これであんたに紫外線が当たらない。これサービス」
「そういうんじゃなくてさぁ。夜とかさ、寂しいんじゃないの?」
  話がこうなってくると無視を決め込む。
  そしてそんな面倒なとき、決まってあの老人が現れる。
  黒いハットの下、刃物のような眼光で周りを威圧して、ゆっくりと席につく。言い寄っていた男は黙り、店全体も静まり返る。代金をテーブルに置いて帰る客もいる。あたしは注文を聞く。
「エスプレッソをくれ」ぼそりとそういった。
  そうしてミルク入れのような小さなカップを出すと、ひとしきり香りを楽しむようにしてから、一気に飲み干す。ふう、と息をつく。くつろぐように背もたれに寄りかかる。
  この静かな老人が恐れられているのは、その風格がすごいこともあるのだが、主に噂のせいなのだ。いわく、悪魔崇拝のまじない師だそうで、関わるとよくないとか、呪い殺された者がいるとか、いい話は聞かない。
  でもあたしにとっては普通の客だ。むしろ嫌な客を黙らせてくれるから、ありがたいくらいだ。
  エスプレッソを頼むのは彼だけで、そこに何かまじないの事情でもあるのか、ただの好みなのか、それは気になるところだ。
  いま、ハットの下の目は閉じられている。再び目が開かれたとき、二杯目のエスプレッソが注文されるだろう。静かな店の中、あたしはパラソルを見た。まだ、誰も褒めてはくれない。

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