PVやアクセスってそんなに大事ですか?

(タイトルは、ある人から言われたコトバです)

コウモリは、PVやアクセスの話ばかりするヒトが好きではありません。
PVやアクセスのために書かれた記事が好きではありません。

多くの人に見てもらうことよりも、見てくれた人にどんなものを残せたか。
PV(ページビュー)よりUX(ユーザーエクスペリエンス)。
量より質。

そういうのを大事にしていると感じるメディアやヒトが好きです。
ヒトは、そういうメディアやヒトを「信頼」するものだと思います。

1000人に読まれて、嘘の情報を伝えたり嫌な思いにさせたりするよりも、
たとえ100人でも、正しい情報を伝えたり楽しくなってもらったりの方が、
良いに決まっている。

メディアの現状

けれども今は、個人のブログでも大手のメディアでも、
「PVが何より大事!」と考えてしまうPV主義の風潮があるようです。
→旅客船沈没事故で恥をさらした醜悪な韓国メディア | 민용준
韓国のメディア状況を伝える記事ですが、どこの国でも同じような問題があると思います。

PVのためなら嘘を吐いても構わないと考えるメディアがある。
PVのためなら他人を傷付けても平気だと考えるヒトがいる。


メディアの未来

ただ、こういう風潮も長くは続かないんじゃないかな?とコウモリは推測しています。
「PV主義のつまらない記事や炎上記事にはウンザリだ」
そう考えるヒトが、たくさんいるだろうと思うからです。

きっと15年くらい後には、ウェアラブル端末が脳波を測定して、
「嘘を吐いたり嫌な思いをさせたヒトやメディア」に対するメタデータを転送して、
そういうヒトやメディアのページランクを下げてくれるんじゃないかなー?

もちろん、それほど極端な未来にはなっていなかったとしても、
ネット上に溢れるコンテンツを濾過・精査するシステムが進歩して、
今のPV主義みたいなつまらない考え方は絶滅するんじゃないかなー?

もしPVを重視するのだとしても、
「PVを得てたくさんの人に読んでもらうためには、
 本当に他人に喜んでもらえるコンテンツでなければダメだ」
そういう考え方が主流になってほしいし、そういう未来を作りたい。


WWWの未来

インターネットWWWは、まだ生まれたての子供。
ヒトの「信頼」が、完全には可視化されていない世界です。

それでも、最初の頃に比べれば、だいぶ進んできたんだと思います。

Yahooやグーグルなどの「検索」がもたらしたページランク。
はてなブックマークやフェイスブックなどの「SNS」がもたらしたバイラル。

それらによって、徐々に「信頼」を可視化できるように進歩してきたし、
これからも進歩していくだろうと思うのです。

そして、そろそろ次のブレークスルーがあるんじゃないかな?


数字じゃなく、ヒトを見よう。決めつけずに、読み込もう。

それを踏まえて、ブログを書くときに自分が気を付けていることがあります。

たとえばコウモリは、「この人は毎日アクセス解析を見ているんだろうな」と思えるような書き方を見た途端に、PV主義を感じてげんなりしてしまいます。次もそのブログを訪れようという気持ちが40%ダウンします。

もちろん、自分の記事のPVを気にするのは普通のことだし、コウモリ自身も、家族や友達と「あの記事はたくさん読んでもらえたー!」という話をします。でも、それがインターネットに書く内容だとは思えないし、アクセス解析なんて一週間に一度くらい見ておけば充分だと思います。

だいいち、アクセス解析の数字を見ている暇があったら、自分の記事にコメントをくれた人に話しかけてみたり、そのヒトのツイッターやブログを辿って、「次はどういう記事を書けば喜んでもらえるかな?」と考える方が有意義だと思います。

数字を眺めている暇があったら、目の前のヒトに聞いてみればいいじゃん。ポジティブなものもネガティブなものも、全部のコメントとその背景を読み込めばいいじゃん。


喧嘩じゃなく、提案しよう。生産的なことを書こう。

あるいは、「他人の名前をタイトルに出して文句を言う記事」も、残念な気持ちになります。誰かを否定する形でしか意見を言えないヒトは、信頼できません。

記事のタイトルに個人名を出して、その名前を否定することで自分を大きく見せようとする、喧嘩することで注目を集めようとする、PV主義を感じるからです。

もしも記事タイトルに他人の名前を使うなら、応援する意見を出すときか、そのヒト個人について皆の知らない情報を提供するときか、だと思っています。

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