ルービックキューブ

ココロのカタチ

*たまねぎ

20歳のころ、「心はたまねぎみたいだ」と思っていました。

どこかにある本当のココロを探して、
心の裏や心の奥に辿り着くために皮を剥いていくと、
心の皮を剥く人や剥かれる人から涙が出てくる。
それでも剥き続けると、最後には何も残らない。
だから一、二枚の皮を剥くくらいがちょうど良い。
一、二枚の皮を剥いてもらうくらいがちょうど良い。

*ルービックキューブ
25歳のころ、「心はルービックキューブみたいだ」と改めました。

視点によって見え方が変わる。
視点を固定しても、カシャカシャと部分が入れ替わる。
やっと見えた一面の中には、
いくつもの色が混在したモザイク状になっていることが普通で、
絵が揃う(単一の気持ちが強く発現する)なんて状況は、
人為的に作り出さない限りほぼ存在しない。
そもそも、心の全ての面を一時に認識することは不可能だ。
6面54ピースのうち、半分すら見ることは出来ない。

*認識の変化
どちらも、
「本当のココロ」を仮定するのはミスリードだ
とする点は共通するものの、
自分としては大きな変化があったと思っています。

それは、たまねぎモデルに含まれる「皮の外ー内」という構造、
つまり「心の外ー内」という階層構造もミスリードだと気づいたこと。

そこは要素の序列をフラット化すべきだな、と。
相手や状況によって、優先順位が、価値が、行動が、カシャカシャと入れ替わる。
そういう相反する複数の小さなキモチの集合体として、やっていきたいと思います。

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