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ニューイヤーコンサートと新年の関係

新しい年を迎えて、約10日が過ぎた。そろそろ~と、昨日一昨日あたりは、ニューイヤーコンサートも開かれていたようだ。様々なそれもあろうが、やはりニューイヤーコンサートと言えば、日本では(時差の都合で)元日の夜に中継されるウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものだと思っている。今年は人数を減らしながらも、ウィーン国立歌劇場に観客も入ったようだ。父の趣味で毎年観ているので、どうもウィーンフィルのそれを観ないと年が明けた気分にならない。今年は時間の都合であまり観られなかったので、年が明けたような、そうでもないような、微妙な心持ちである。

そこではたと思い出した。12月20日を過ぎた頃、パソコンに"Seiji Ozawa Best Collection"や"Karajan Best 100", ブラームスの交響曲第一番(小澤征爾指揮/サイトウ・キネン・オーケストラ)などなど、大量に落としたことを。父に頼めば全部CDがあるので、聴かせてくれるはずの曲ばかりだが、自分の好きな時に聴きたいと思った。

ニューイヤーコンサートと言えば、ヨハン・シュトラウス2世が定番だ。「こうもり」や「春の声」「ラデツキー行進曲」である。あまりにも有名と言ってよいだろう。これらを聴くと新年という気分になる。逆にその印象が強すぎて、ほかの季節に聴くとちょっと不思議な感じがする。12月の「くるみ割り人形」や『忠臣蔵』(日本限定)みたいな感じなのかもしれない。

物心ついた頃からスピーカーやアンプといった(巨大な)オーディオセットと大量のレコード/CD(主にクラシック音楽)があったので、耳馴染みのあるクラシックは他人より多いと思う。おかげで、中学・高校でたまにあった音楽鑑賞会がまったく苦でなかった。睡魔に襲われることもなく「家で聴いたことあるわ~」と思っていた。音楽の道に進んだわけではないし、特別何かが身についたわけでもない。だが、音楽的な教養を知らず知らずのうちに吸収できているのかもしれない。

流行り病に覆われることになるとは夢にも思わなかった3年前の3月に、オペラ『カルメン』を観たいと思ったのも、一度でいいから小澤征爾さんの指揮を生で観たいと思ったのも(『カルメン』は小澤征爾音楽塾主催)、すべて音楽の(ひいては父の)おかげである。レコードやCDで小澤征爾さんの指揮による曲は、たくさん聴いてきた(記憶にある、最も幼い頃の小澤征爾さんのCDは、ボストン交響楽団で振られていた時の『ピーターと狼』である。「こんにちは 小澤征爾です。今日は君たちに、とっても楽しい音楽を聴いてもらおうと思います。……指揮とお喋りも僕です」という冒頭のナレーションが忘れられない)。小澤征爾さんを直接拝見できたのはあの時が最初で最後だろうが、それで私の人生に悔いはない。


自由に旅行が可能になり、一獲千金にでもなればウィーンフィルのニューイヤーコンサートを生で観る…などということもできるのだろうが、夢の夢のまたその夢の話である。夢を見るのは自由だ。あの中継を目にすると、華やかな国立歌劇場の雰囲気と音楽に憧れる。そして、新年を迎えた気持ちになれるのである。


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