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最愛の方へ(二通目)

今日で、丸16年です。あなたに想いを伝えてから。

16年前のあの日(16年後の今日)があなたの誕生日だったのは、偶然です。お誕生日に合わせて伝えようとは思っていませんでした。この日より(遥か)前から寄せていた想いを、一人で抱えることがしんどくなり「もう伝えてしまおう」と思ったのです。大人だったから、私の暴走を止めるのも、あなたの仕事だと思いました。私だって、本来は然るべき時が来るまで待つべきだということぐらいは分かっていました。でも、出来ませんでした。

私は自分の想いを伝えられれば、それで十分でした。だから、想いを伝えているのか、そのことを謝っているのか分からない、その二つが入り混じった言葉を綴りました。何も望まなかった。いや、一つ望んだのは、これまで通り接してもらうことでした。変化を望まなかったのです。

あなたは今と同じように、私の言葉に返信を下さいました。それを見た驚きが顔に出そうになるのを必死で抑えていた私は、そっとあなたの方に目をやると、いつもと何一つ変わらない表情で仕事をしていました。

それから10年後ぐらいでしょうか。何年か前の2月14日にかこつけて渡したチョコレートと手紙。職場でチョコレートを渡されても何も問題が無かった(貰っている人は他にもいた)あなたは、普通にそれを受け取ってくれました。「手紙(の内容)、引かないで下さいね」そう私が言ったところで、内容は読まずとも見当がついたことでしょう。

自分で何を書いたか忘れましたが、どこからどう読んでも(行間などなく)ラブレターにしか読めないものを書いたということだけは、覚えています。直接読んでもらう二度目のラブレター。そんな内容だったのに、動揺も怒りもなく、チョコレートのお礼を律義にメールして下さいました。

性格的に気になるのでしょうが、チョコレートを受け取る度に「返せないよ」と言わないで下さい。私は、あなたに渡すこと(渡すことができる)が大切なのです。たぶん、貰いっぱなっしになるのが気がかりなのだと思いますが、私は渡しっぱなしが良いのです。

感染症の流行でお会いするどころか、一目お顔を拝見することすら叶わなくなってしまいました。多忙な折に時間を捻出して頂く心苦しさは無くなりましたが、やっぱり、私の心は我が儘な時があります。今だって叶うなら、許されるなら、お顔を見たいです。余計にお忙しい時期だと知っているので、煩わせることは絶対にしたくありませんが。

多くの場合、誕生日は「お誕生日おめでとうございます」と言うのでしょう。でも、私は何故か「おめでとうございます」と言う気にはなれません。「おめでとうございます」ではなく、あなたを強く想う日です。会えない分だけ、勝手に心配になるのです。身体を壊していないか。無茶をしすぎていないか。無理をしないで下さいと言っても、それが無理だということぐらいは、知っています。仕事や他人が優先で、自分のことは後回しですから。

でも、私は本当は、ご自分のことを先に考えてほしいのです。「便りがないのは良い便り」という人間関係ではないから。

あなたがどこかに居て下さると信じているから、生きていられます。たぶん、私が何かメールをすれば返信を下さるのでしょう。その嬉しさと心苦しさで、葛藤するのです。

16年前の方が、もっとずっとシンプルでした。時間が経つほど、自分の感情がこんがらがり、複雑に絡み合う。「大人」になった分だけ、言葉や気持ちに慎重になりました(ならざるを得ませんでした)。

でも、あなたが一番大切な人です。今日までの16年も、これからも。

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