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やがて「不完全な世界」を生きることになるなら、「間違いだらけの絵本」をつくりたい

年が明けた。

3歳の息子は、正月休みの間にトトロを4回も見た。ハマっている。まだ絵本も一人ではうまく読めない子どもを、1時間集中させられるジブリは本当にすごい。

そして、息子が生まれてから「絵本をつくりたいなあ」と思い始めて、はや3年が経つことを思う。まだつくれていない。少し、焦っている。
絵本というジャンルは「昔のものがずっと売れる棚」だから新規参入のハードルはとても高い(親の目線になってみても、そりゃできればずっと売れてる安心できる絵本を読ませたいもの)ので、手が出せない。という言い訳にまだ自分の心が勝てていない。

でも、つくりたい企画はある。その1つが「間違いだらけの絵本」だ。

きっかけは、3歳になる少し前のこと、物語の一部をわざと間違えて読んでみたことからだ。息子はゲラゲラ笑いながら、「違うで!○○やで!」と訂正することを楽しんでいた。たとえば、ぐりとぐらがホットケーキをつくるシーンなら「オムライスをつくりました」とか。たとえば、はらぺこあおむしなら「月曜日から、おなかがいっぱい」とか。

「想定した話と違う方向へ行った」ということがおもしろいのだろう。

基本的に、子どもたちの周りは意外と「完全」であふれている。
絵本は基本的にいい話だ。いろんな失敗や不思議が途中で起きても最後は「めでたしめでたし」。
実生活においても、親がだいたいのことを準備するので、だいたい時間通りにことは進むし、ごはんはだいたい美味しいものが出てくるし、だいたい楽しい何かが待っている。
その中で「不完全」なことが起きると、子どもは笑う。たとえば、高い高いをしていて手を滑らせて突然地面に落ちそうになるとケラケラと笑う。お風呂で急にシャワーのノズルが暴れて顔にしぶきがかかると、それから子どもはノズルで狂ったように遊び出す。
いつも、「不完全」な出来事がきっかけで、子どもの感情は動かされているように思う。

しかし反対に、大人の周りは「不完全」でいっぱいだ。

大人になることは、「完全だ」と思っていた多くのことが「不完全」であるということを知っていく過程だ。
寝坊すると電車には乗り遅れるし(そして誰も待ってはくれない)、たった1つの言葉の使い方の間違いで人間関係は乱れるし、美味しそうと思ったランチが冷凍をチンしただけの味なのに1000円だったりする。「想定した話と違う方向へ行った」ことはストレスとなる。

完全の中の不完全は心地いいが、不完全の方が多くなると人はストレスを感じ出す。そして「完全」を求め出す。効率的になり、正解を調べるようになっていく。だんだんと「不完全」を楽しめなくなっていく。(旅行なんかに行くと喜怒哀楽の感情が揺さぶられるのは、この時ばかりは「旅行の間だけ」という「期間限定の不完全」を楽しむことができるからなのかなぁと思う。)

だから、子どもの頃の間に。

もっと不完全を楽しむ、ということを体で覚えられるような、頭に染み込ませられるような「間違いだらけの絵本」をつくりたい。内容はわからないけど、とにかく「間違い」がストーリーの中にいっぱい仕込まれた絵本。それを親もおもしろがりながら子どもたちに読んであげられる本。

息子が小学生になるまでにはつくってあげたい。そして「父の仕事は本をつくることだよ」と教えてあげたい。

誰か一緒につくりませんか? 


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