潔く敗北できる社会
7payの大混乱ぶりを見て、最近考えていることがますます強化された。
それは「潔く敗北できる社会」が望ましい、ということ。
経営者も労働者もである。
QRコード決済が戦国時代の様相を得ていたこの半年間、どうも違和感があった。
「これって社会の役に立っているのかなぁ…?」
キャッシュレス、ということだけ言えばPASMOやnanaco、Edyなどで十分実現できていた。
そっちの電子マネーの方が便利な感想を抱く人も少なくないと思う。
QRコード決済の乱立は、ユーザー側から見れば決して望ましい状態ではなかった。
では、なぜこんなにも各社がQRコード決済の市場を取りに行くのか?
色々あると思う。
決済アプリは膨大な個人情報データを収集できるので、「データこそ資産!」と言われる現代においては、どの企業も是が非でもパイをとりたい。
また政府が消費増税に合わせてキャッシュレス決済を促進させた。
中小の小売店もその恩恵に授かるには導入コストの安いQRコード決済は魅力的だったようだ。
しかし、どちらも根本的に「QRコード決済で勝つ」理由・動機としては不十分ではないか。
ぼくはこの惨状から、法人が持つ「(自社の)雇用を維持したい」という根本的な理由について考えたい。
右肩下がりのこの時代。
どの企業も今の規模を5年後、10年後も維持できていると楽観視しているところはいないと思う。
だからこそ、新しいことをはじめなければいけない。
QRコード決済は世界(中国)の成功例があり、明らかに金脈だった。
そこに我先にと飛びつく気持ちはわからなくない。
全然わからなくない。
雇用の維持こそ社会に対して責任をおった「法人」が担うべき役割であり、その数は経営者にとっての誇りでもあると思う。
でも、
もういいのではないだろうか。
今は人手不足だ。
つまり「雇用余り」ともいえる。
ひとつの会社がやっきになって雇用を守る必然性は…きっともうこの社会にはない。
市場原理=競争がモノを良くし、社会が豊かになる。
それは資本主義の後ろ盾になってきた理屈に思えるが、最近はとくと疑問である。
激しい競争の中で選択肢が増えるとユーザーは迷う。
迷った挙句、「何も選ばない人」も出てくるので、テクノロジーの普及をかえって妨げている。
さらにサービスの本質とは違う部分での競争にもなってしまう。(1憶円!とか20%還元!といったキャンペーンとか)
つまりはぼくは、むりやり競争した結果がこの7payの惨状なんだと思うのだ。
・ムリな競争→無駄な選択肢の増加と粗悪品の登場
敗北した誰もが潔く敗北を認め、退場できる社会。
そうであったなら…。
悪あがきせず、社会から退場することは誰かを「勝たせてあげた」ことでもあるのではないか?
結果、社会の発展が促進されることが往々にしてあるのだと、このQRコードを戦争をみて思う。
「サポートよりSNSでの拡散がうれしいです!」という人が多いですが、ぼくは普通にサポートうれしい派です。