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【コラムvol.9】プロローグ それでも人を愛する私でいたい

私のなかで生涯変わらない、変えたくない部分がある。


それは人を愛すること。


余程のことがない限り、目の前にいる人すべてを愛し、何か間違いをおかしても、愛し続けたい。


キリシタンでも、何かの宗教に属しているわけでもない。


私は私。


産まれて、生を頂いてから、自分ができることは何かを肌で感じてきた。


憎まれようとも

差別されようとも

それでも人を愛そう。と決意した。


手をとり、愛し、笑顔を交わせば、生きていけるような強い愛を

父を早く亡くし、母に育ててもらった。
兄姉妹はいたが、みんな(私も含め)自分ばっかりな生き方をしていた。

21歳頃に、営業で成功し、一時的に年収がはねあがった。気を良くして、更なる年収アップのために転職した。

しかし、転職先の上司から毎日「死ね」と言われ続けて、うつのようになった。


23歳頃に、「人を愛し、奉仕し続け、自分の生が終われるなら、こんなに素晴らしいことはない」と思った。

自分の人生を使って、大袈裟ではあるが、「奉仕して死ぬ」ことを決意した。


特に人より才能もなく、目立って前に出る性格でもなかった私には、それくらいしか私は出来ないと思った。


才能がなくても、誰でも生まれた瞬間から備えているもの。それが愛と奉仕だった。

それをただ繰り返すことで、沢山の人を幸せにできるのであれば、私にでもできると思った。



24歳頃から介護の仕事を始めた。

どんな高齢者さんであろうとも、愛し続けた。

何があろうとも。例え排泄物を投げつけられることがあろうとも、その目の前にいる人達を愛し続けた。



毎日の景色に色がついた。

淡いオレンジのような、薄いピンクのような。


毎日が愛に溢れ、人に愛された。


この時期は、とても幸せな生き方だった。



天職と感じてしまったのもあり、気がつけば3年目には管理者・4年目には施設長になっていた。


私の資格は介護福祉士しかない。

それと奉仕して死ぬと決めた覚悟だけ。


人を愛し、憎まれようとも、その人を愛し、手を繋いでバグをした。

出会う高齢者さん全員を幸せにしたいと思って、奉仕の気持ちで仕事をした。


愛した人が亡くなっていくのを、目の前で蘇生させようと心肺蘇生する時は辛いものがあった。

涙が止まらない。胸が潰されそうになった。



それでも愛することは辞めなかった。

それしか自分にできることがなかったから。





次第に組織をみないといけなくなった。

組織内の人間だけではなく、同業者やドクターや関係機関や市町村など沢山の人と関わることになった。


直接、顔を合わせて介護をする時間がなくなった。事務的に忙しい日々。

しかし、これも役割と思い、健全な運営こそ高齢者様にとっての恩返しと思うことにした。



数年前を懐かしく思った。

淡いオレンジのような、薄いピンクのような景色が、薄れていくのがわかった。



組織をみるようになり、関わる人が増えて、色んな人と関わるようになった。

素晴らしい人とも出会ったが、

どちらかというと、自分の保身ばかり気にしている人・人を傷つける人・奉仕の気持ちがないのに福祉の仕事をしている人・自分中心的な人・悪口ばかり言う人…


その人たちも、みんな含めて愛そうと思った。


それでも人を愛そうと思った。


そのおかげかわからないが、周りは皆優しかった。


今まで生きてきた中で、こんなにも関わる和が広いのは初めてだった。



そんなこともあり、人を愛する以外に、自分に何かできないか?と一歩、足を横に出してみた。


それがコーチングだった。

言葉は好きだった。営業の時も、言葉遊びみたいで楽しかったから、コーチングも楽しくて、人を愛する以外で、人へ奉仕できるならと思い学んだ。




意外だった。


コーチングは、クライアントへ話しかける言葉が少なかった。むしろ数少ない質問で、成功へ導く内容だった。



組織をみる立場になったこともあり、奉仕する場面も減り、経営をするドライな日々になった。

人に厳しくなっていく自分が大嫌いだった。

生きてる意味が薄れていく気がした。



自分の魂と行動が反れていくのが、ヒシヒシと感じた。


もっと直接…人と話して、人を癒し、人を愛する自分でいたい。と心から思った。



役割が増えたことで、自分が本当にしたいことと、周りが求めている私との差が生まれた。

周りが求めている私の部分は、完璧にこなした。




この環境で何か、私にできることを考えると、そこには部下がいた。

そんな思いもあり、数名の部下を愛しながら育てることにした。




そんな流れもあり、コーチングやカウンセリングをさらに学んだ。部下や関わる人たちの人生に良い転機になればと思って、勉強や実績をつんだ。



奉仕の気持ちを胸の秘め
それでも人を愛すと決め


コーチングを、プライベートでも無料でやっていった。


私にとって、コーチングも介護も営業もツールに過ぎないと最近になって感じるようになった。

「人を愛し、その人が幸せに生きていける」のであれば、どんなツールをつかおうと、奉仕の気持ちに変わりはない。


人を愛することが、

才能も何もない私が、唯一できる才能だから。



そして今、コーチングをしている時の自分が一番好きだ。

そんなこともあり、今コーチングをしている。

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