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どんちゃんさんの私についてのインタビューレポート 「10:0でオレ(ドンちゃん/タムさん)が悪い」

前書き


私のnoteでは、思考した事の整理、問題提起、日々生活のログ、新しい経験、味わった多種多様な他者のコンテンツについての感想、読書のまとめ、または入っているコミニティーの関連レポートなどについて書き連ねています。

今回のnote概要

2021年11月11日(木曜日)17:30〜19:10に、某ネットコミュニティー民のどんちゃんさんにインタビューされ、そのまとめレポートを本人から頂いたので載せます。

全文

タイトル:10:0でオレが悪い

ただいま、私は投げやりになっている。
だが、務めて冷静に書く。本来ならばディスタンスを取り、平穏を貫くべきだが、かとうさんのレポートには誠意が感じられたので書く。

今回のインタビューの目的は、
①自分の人見知り克服
②どういうスラム民がいるのかを知る

この2点であった。
話し相手の選別法は受け身スタイルである。全体に声をかけて、反応を待つ。かとうさんは3人目に当たる。

はじめに、かとうさんの生い立ちなどは、以前からスラムでも目にしていたので聞くつもりはなかった。スラムに対してどう感じてるのか、も「飽きてる」とよくいっていたから、その辺について聞こうかな、と思っていた。振り返ってみると、自分は質問を用意してなかった。

それでも、インタビューをしようとしたのは、目的①のためだった。

バーの開催をしようとしていると聞いたので、その辺について質問しようと漠然と思っていた。

バーの話は初めの少しで終わった。ここで自分は質問をなくした。
自分はその後も質問するが、自分の質問は精度が低く、かとうさんには伝わらなかったようだった。なので、かとうさんの話を聞きながら、「◯◯っていってるんですか?」「それって〜〜ですか?」と聞くようにした。これは尋問のように聞こえたらしい。

どこからどこまでが自分の断定か、と言われれば、自分はかとうさんと話す前からかとうさん像があったので、ハナから話を聞くつもりはなかったのかもしれない、と思った。つまり、インタビューをする準備ができていなかったのだ。


↑ここにもあるように、自分の特性について極めて明確に記されているように思った。
痛いところを突くなぁ、と思った。

自分は今までの自分を振り返り、会話という行為について逡巡する必要がでてきた。「人の話を聞くつもりがあったのか?」自問した。そもそも、人は聞きたくない話を聞くことはできないのではないだろうか?という仮説がある。その根拠としては、できないこと(やりたくないこと)はできないからだ。
さて、上の自問だが、答えは言えない。言えないということがなによりの答えだと思った。もし、人の話を聞きたくないと思っている人が、人と話したいと言っているのだとしたら、それは滑稽であるし、何より相手に対して失礼であるいうより他にないと思う。これは自分の境遇から学んだ感覚だが、世間の人もこの感覚に概ね同意するのではないだろうか?と思っている。

かとうさんは3人目だった。もし仮に、自分が失礼な人間だとしたら、これまでインタビューに協力してくれ人に対して、申し訳ないと思った。なので、自分はかとうさんのレポートを素直に受け入れられないと思った。

3、なぜ、自分が人の話を聞けないのか

これを明かす必要はないと思う。

4、かとうさんのインタビューの返答内容について

かとうさんは、不安や恐怖と身近であるようだった。自分もその点において、共感できる。人からどう思うのか、をあまり気にできないと思っていることをどうやって相手に隠すか、そればかりを考えてきたのかもしれない。なので、興味のある素振りをした結果、距離感バグり太郎になる。納得した。

かとうさんは、興味がないことに興味がない、と言える点で自分とは違うと思った。自分がひどく歪んでいるように感じた。

診療は受けてないが、自分はおそらく統合失調の気がある。その点でもかとうさんとは親しみを持っている、そういう前提でインタビューに臨んだ。「刺すど!」はごく親しい友人と話すときに普通に出てくる言葉だった。自分はかとうさんに対してごく親しい友人に振る舞うのと同じように振る舞った。それは自分の感覚でしかないけれど。

かとうさんの行動パターンも、自然と身に染みた反応をするという点で私と似ていると思った。相違点があるなら、私は知識欲がない!ことかもしれない。、学びに対する姿勢は腰がひどく重い。そして、尻が軽い。学ビッチだ。

かとうさんは、自分が自分の振る舞いに然程神経を配らないのと同じように、相手の振る舞いにも寛容だった。そこはかとうさんファンの理由かもしれないと思った。
優しいと感じた。

同時に、人から言われたことを素直に、そのまま受け止めるようにも感じられた。これはかとうさんの知的欲求からなる姿勢であり、見習いたいとも思った。人の発言の意図や前提を共有することはかなわないが、行動に対して指摘することでかとうさんは理解することが容易になるのではないかと感じた。

身体(肉体を通じた経験)により一次的な情報を取得するところに、「行動力のかとう」という異名の所以があると思った。かとうさんは、かねてより人がすべて敵であると言っていたので、敵がいなくなった=その人を知る、であることはまったく違和感のない印象があった。

死に対する恐怖が克明であることから、肉体を通じた情報の取得に固執するのだろうと思った。かとうさんの中では死=恐怖全般、であるのは生育環境において、自分に危害をもたらす存在が多数あったからだと推測した。


5、今後について


人と話すより先に自分と話すべきだと思った。自分は健康か、不健康か、二択のうちどちらかを主張するなら不健康だと思う。
スラムで言われる「呪い」もいくつかあると思う。しかし、自分はこの呪いを解くことに意欲的ではない。こういった言い方に達するに、残念だと思う人はいるかもしれないが、自分は人と話すまでにまだその域に達していなかったと思う。必ずしも人と話さなければいけないわけではない。人と話さずしても生きる道は現代ではたくさんあると思った。人と話はしたいのに、人の話を聞けないのは残念だが、そんな自分にもできることはあるようにも思う。自分はこのクセを肯定的に受け止めるために、人から離れるべきだと思った。結論、去る。

6、このレポートについて


自分が人の話を聞けない、のだとして、ここに、このレポートを書く、この行動特性はまさしくこの人の話を聞けないクセがもたらす一端であるように思う。これで最後にする。自分はまだ、人と話す域に達していないが、いずれ自然とした流れでそうなっていけばいいと思う。

インタビュー1人目であるなすかさんは、自然な流れで沼のようなところから抜け出せたと言っていた。
2人目であるみやじさんは、昔に比べていい方向に向かっている、人の感情が好きだと言っていた。

おふたりの話は希望だと思う。
いつか、人の話が聞けるようになったら、加藤さんの話を聞いて、「何言っているのかよくわかんないです」と真顔で言いたい。
それでは、お付き合いいただきありがとうございました。

7、おわりに


この文章はかとうさんに対するものなので、あげます。

 私のどんちゃんさんのインタビューに受けた感想

最後に

ここまで読んでくださってありがとうございました😊
私の今回のNote記事がよかったら、いいね👍/フォロー/サポート/オススメなどしていってください。

謝辞


どんちゃんさん、ありがとうございました😊

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