2019/09/13〜10/5 29歳になって志村正彦(という人)について考える

■今年のお盆休みから、なんだか志村さんのことを考えてる。
私が高校生の頃彼は生きてて、デビューアルバムなどを、すごい、変わったバンドが出てきたな。かっこいいな。と思って夜な夜な聴いていた。寝れない夜に最高に合ってた。

■気がついたら私はこの間の9月13日に29歳になり、あと1年したら今まで憧れて見ていた志村さんの年齢を越してしまう。なんか、ぼんやりしていたら志村さんに胸を張れない30歳になってしまいそうだと思い(とっても勝手な感情ですが)改めて彼のことを考えてみようと思った次第。

■まず、志村さんというかフジファブリックの魅力というのは既にデビューしたての頃に音楽性がどっしり出来上がっているのに(無論、この音楽性が大好きだったこともあるけど、セカンドアルバム以降も聴き込んでいる)、本当にアルバムを作るごとにテイストを変えてくる幅の広さと思っている。
くるりと似たものを感じる変遷(内容ではなく、進化ぶりが)があって、インタビューと照らし合わせながら、「あー、今はこういう音楽を聴いてたり、こういうモードなんだ、で、それをフジファブリックがやるとこうなんのぉ〜?」という楽しみをくれる。
バンド(というかアーティスト)って2種類あると思っていて、
アジカンとかサチモスとか椎名林檎とか、◯◯っぽい音を確立して、
そのバンドを演じることが仕事のプロと、音楽の中でどんなことを追求していきたいか変化し続けているアーティスト肌な、音楽家が仕事であるタイプで、プロはプロで凄いし、音楽家は音楽家で凄い(椎名林檎なんて期待に常に応える「本当にプロ」で、あの逞しさはたまらなく好きで、初めてライブ見たときは号泣した)。
まさに志村さんは後者で、実際は例えば1〜2枚目のアルバムでほぼ確立されていた「フジファブリックっぽい音楽」をやり続けていたらJ-Rockに置いて一定のポジションを築いたと思うけど(今の存在感もここの影響が大きいとは思う)、志村さんはバンドのことを凄く冷静に、厳しく見ていて、同じところにい続けることを許さない真面目さがあったんだろう。

■ぶっちゃけ、そうやって「フジファブリックぽい音楽」の方法論を確立して、それらを求められたら一定のクオリティで返すという、確立された方法の中でこなせるある種ビジネスモデルができてしまえば、運用フェーズというか、精神をすり減らす「産みの苦しみ」のようなこともなく(ゼロではないと想像できますが)、もしかしたら今やちょっと太ってハゲた39歳の志村さんが見れていたかもしれないと思う。
が、詰まるところ志村さんの魅力ってそういうことが器用にできない、自分に「もっともっと上に行かなきゃいけない」と精神やら魂を削りながら「や〜っとできました…」ってアルバムを差し出してくる全身全霊感・まさに生き様だと思う。
音楽的なすごさについては言わずもがなというところではあるので、私が志村さんについて考えるとしたらやっぱりその人間性についてである。

■インプットした音をオリジナルに変換してハイクオリティでアウトプットできる才能、シンプルで平易な言葉なのに真に迫った歌詞、真っ直ぐすぎる歌い方、綺麗な顔なのに喋ったり動いたりすると変、更には志村さんを信じてずっとそばにいる演奏レベルが高すぎるメンバーとか、大層恵まれていたのに、なんであんなにいつも辛そうで、最終的に寂しさとか自分の心に負けたようにこの世からいなくなってしまったのか、やっぱりどうしても考えてしまう。

■理想像と、実際の今の自分との差がすごく辛くて、寝食を削って音楽と向き合うしかその距離の埋める方法がなかったんではないかと思う。「理想像と違う時でも自分はだめなんかじゃない」、とは思えないくらい他のことは見向きもせず(恋愛でも、子どもでも、ペットでも、他に賭けるものがあれば人はきっとバランスが取れるんだろう)その物差しだけで自分を評価していたんだと思う。
志村さんの歌詞を聞くとキュッとする理由でもあるし、あのストイックさの裏側にあったものとして「こうありたい」が本当に強い人だったんだと思う。
打ち込みとロックを掛け合わせた音楽がやりたいな〜とか、ブラジル?パキスタン?っぽい音を出したいなーとか、音楽好きとして無邪気な部分もあったんだとは思うけど、基本的に彼の根底にあったのは「音楽で認められる=自分の存在理由」というところだったんじゃないかなと思い、「こうありたい」との差があるたびに「あれ?」と衰弱していったように思う。

■「何かを成し遂げたい」というのは、生き甲斐だし目標で、あるべきだろう。だけど、私の勝手な推論でいうと、志村さんの場合それを「音楽でこういう境地に行く」という自分本位なものではなく「音楽というツールで人に認めてもらいたい」という、物差しを自分の外(他人)に作ってしまった人なんではないかなと思う。
自分はもっともっといけるという理想(ある種そういった面では限定的に自分に自信のある人だったんだと思う)がありつつ、そういう状態で褒められても何かどこかで「自分、もっといけるけどここで褒めてくるかあ、この人」みたいに受け止めてしまう部分もあり、自信はあるけど自分を好きにはなれない、みたいな。

■自分のことを好きになれないって一番しんどいことだと思う。多分彼の中で「こんくらいの人にまで聞いてもらえたら・売れたら俺の理想」っていうところまでいけるまで、極端じゃなく24時間音楽と向き合ってたんだけど、そりゃあ追い込まれているから体も心も辛くなり、それにより思考は120%の自分ではなくなり、インプット無くしてアウトプット無しなのにインプットする余裕も許せなくなり、というサイクルに落ちていってしまっていったんじゃないかと思う。

■自分で自分を好きになれない志村さんは「愛すより愛されたい、マジで」という人だったんではと勝手に想像する。
本当は「愛してるし愛されてる」が最高峰なんだけど、そのためにはまず自分を好きでないと、人を本当に愛することはできないと思う(マジで)。
人からの評価を全て自分の評価として取り込むことは、危険だ。
そういった段階を経て、自分の理想と存在価値は分離されるというか、いろんなことが許せるように(気にならないように?)なるもんなんだと思う。
最初から自分を肯定できている人もいるんだけど、志村さんは、違ったんだと思う。「愛すより愛されたい、マジで」というフェーズは、人生で必要な人も多いと思う。だけど、最終的にやっぱり物差しは自分の中で持てるようにならなくてはいけない、と思う。(なんでこんなに音楽性ではなくパーソナルな話を勝手に深く推論しているかというと、やっぱりこの不安定な部分が志村さんの音楽のストイックさ・魅力を裏打ちしていたものであるし、裏を返せば弱点でもあった、根強い要素だと勝手に想像しているからだ)。

■だけど、志村さんは自分を認めてもいい物差しは「恋愛」とか「家族」とかでもなくやっぱり「音楽」であって、少しずつ削り取られて行くサイクルに取り込まれてしまったように思う。「ロックをやる男は孤独であるべき」という美学(理想)を持ちながら、本当は自分で自分を好きになれないタチだから誰よりも孤独が苦手だったんじゃないかなと思うけど、それでも彼は「音楽で認められて自分を好きになってからじゃないと、何もかも逃げだ。」と思っていたんじゃないだろうか。

■年々、ライブをするキャパは大きくなっていったし、アルバムの売り上げも伸びていっていて、もしかするとあと数年あったら、志村さんが「自分を好きになれる認められ方」がされていたのかも知れないとも思う。
なんだけど、そこにたどり着く前に削り取られるスピードに追い抜かれてしまったんじゃないか。

■余談:ところで、最初に、バンドには2種類あると書いたけど、文章にまとめて行くうちに、一つ目である「プロ的」な運用型アーティストって「求められて」成立するもんなのではと思い始めた。
ある程度自分が理想とする「求められ方」(ライブのキャパとか、売れ方)をし始めたら、そこにおいて「求められていること」に返して行く、というスタイルに切り替えて行く(場合もある。音楽家的に変わり続ける人もいる。)。

■改めて書いて行くと、動機はなんにせよ、異常なまでの理想に対して精神や魂をすり減らして音楽を繰り出してきた志村さんはとんでもなく「ロックンローラー」だったんだなと気がつく。(彼の動機はいわゆる怒りが根底にあるものよりも、もっと、パーソナルで、繊細で、文学的ロックとでも言うんだろうか)。
最終的に削り取られるスピードに追い抜かれていった、まるで横に死神がいたかのような儚さは、こんなこと絶対に言っちゃいけないんだけどやっぱり心を鷲掴みにされてしまうのだ。
人が亡くなっていい理由なんてない。他人が人の死についてそもそもどう思うかなんて語るもんじゃない。人の死を美化なんてしてはいけない。
彼の生き様を「ロックだった。心を鷲掴みにされてしまう。」なんて、なんとも無責任な消費者だと、思う。
御察しの通り、勝手にここまで推論するくらい彼に対して人として関心を持っているものだから、「幸せになってからこの世を去れたらよかった」という悔しさみたいなものも確実にある。
志村さんに魅力をここまで感じてしまうのは何故なのだろうと考えた時に、どこかちょっと嘘っぽくなってしまいそうな気もして、言葉にすることは難しい。でも、クロニクル以降、確実に今までとは違う音楽の方向に向かっていた段階だと思うし、今のこの時代に、志村さんだったらどんな音楽をやっているのか聞きたかったと言うのは嘘がない気持ちだ(デスメタルみたいなのとか、期待をいい意味で裏切ってくれそうだ。同い年のサカナクションをどう思うかとかも聞いてみたい。)。

■好きなアーティストから、何かを学び取るにしたって、結局私の自分の視点で自分勝手な分析なんだと重々承知なんですが、志村さんの残した音楽とか生き様によって、私の生活は数パーセントでも影響をやっぱり受けちゃっていて、動機は結局推論の域をでないにしても、そのストイックさに恥じない年の取り方や、向き合い方をして生きたいと思うんですよ!すごいよあんたは、と言う言葉で結ばせていただきます。

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