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【ネタバレあり】映画『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』感想【あなたの家にもゴーストはいるかもしれません】


こんにちは。これです。今回のnoteは映画の感想になります。今回観た映画は『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』。日本では去年の11月に公開された映画です。かなり遅れての感想ということで、もういいかなと思い、今までになくネタバレ満載となっています。なので、できれば映画を観てからお読みいただくことをオススメします。


では、始めます。今回も何卒よろしくお願いいたします。







―あらすじ― アメリカ・テキサスの郊外、小さな一軒家に住む若い夫婦のCとMは幸せな日々を送っていたが、ある日夫Cが交通事故で突然の死を迎える。妻Mは病院でCの死体を確認し、遺体にシーツを被せ病院を去るが、死んだはずのCは突如シーツを被った状態で起き上がり、そのまま妻が待つ自宅まで戻ってきた。Mは彼の存在には気が付かないが、それでも幽霊となったCは、悲しみに苦しむ妻を見守り続ける。しかしある日、Mは前に進むためある決断をし、残されたCは妻の残した最後の思いを求め、彷徨い始める――。



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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。




テキサスの郊外の一軒家。家の前へと伸びる道は途中で途切れているこの家に、ある一組の夫婦が暮らしています。一見幸せそうに見える夫婦ですが妻Mは夫Cに「なんだか怖いの」と不安をこぼします。二人がベッドで寝ているとき、誰もいるはずのない部屋から物音が聞こえますが、Cが確認しに行ったところそこにはやはり誰もいませんでした。怖がるMをなだめるC。やたらと長いキスシーンを経て、鳥の声で朝がやってきます。


朝になると家の横では唐突に自動車事故が起きています。ここでCは死んでしまいました。Mと看護師が離れ、ワゴンの音も去るとCはシーツを被ったままゆっくりと起き上がります。赤い光に照らされながら、歩いていくC。ゴーストとなり外に出て家に帰ります。



このゴースト。白いシーツに目を表す二つの黒い穴と、かなりシンプルで存在感のあるデザインとなっています。死人に口なしとばかりに何もしゃべりませんが、それでも感情はなんとなく読み取れます。ここがこの映画で凄いなと思った箇所の一つなんですが、目の形のみで感情を語るんですよ。怒っているときは縦長になって、悲しんでるときは横長になる。それだけで感情をこちらに訴えかけてくる。「目は口程に物を言う」とはこのことかとなりました。


しかし、いくら存在感があってもそこはゴースト。妻をはじめとする周りの人間からは認識してもらえません。手を触れそうなほどすぐ近くにいるのに、映像が変わると突然にいないものとされる。ただ立っているだけのゴーストから悲哀がひしひしと感じられて悲しくなりました。特にMが帰ってきて最初のパイを食べるシーンはきましたね。Mは涙ぐみながらパイを食べて、ゴーストはそれを見守るしかない。どうにもできない無力感に溢れていました。


それから、ゴーストがMを見守っていく過程が描かれるんですが、この映画の特徴として、登場人物もあまり出てこなければセリフも少ないというものがあるんですよ。ゴーストは喋りませんし、Mもそんなに独り言を言わない。よって映画は静寂に包まれ、より一層悲しげなムードを醸し出します。なにもセリフがなくて5分とかザラにありましたしね。で、この一連のシーンでかかる音楽がまた切ない。歌詞がゴーストとMの心情に即していて胸が締め付けられるようでした。



さらに、この映画のもう一つの大きな特徴。それはカメラアングルです。『ア・ゴースト・ストーリー』では、固定アングルや遠くからのアングル、バックショットが多用されています。辛い状況にいるゴーストとMを突き放すようなカメラワークで、これは映画の中の出来事なんだということを観客に突きつけ感情移入を許しません。バックショットで表情を映さないようにしていたのも、ゴーストに表情がないこととの共通項が感じられてぞくぞくする演出でした。







ある日、Mは引っ越しを決意します。剥げた内装をペンキで塗り直し、壁の隙間に何かを記したメモを忍ばせ、家を後にします。ここでMを見守るゴーストは当然Mについていくかと思われましたが、なんと家に残りMが残したメモを引っ張り出すという行動に出ます。ゴーストはいわば地縛霊になるのです。シーツで丸まった手で壁をガリガリするゴースト。一瞬で時間は過ぎ家には新しい住人が引っ越してきます。ここからこの映画の持つホラー要素が強くなっていきます。


新しい住人はスペイン語(と思われる)を話す、ゴーストにとっては未知の存在。家族で済むわけなんですが、この家族がとにかく幸せそうなんですよね。クリスマスには一緒にツリーの飾りつけをするくらい。ゴーストはそれに嫉妬したのか、家族がいるとメモを引っ張り出せないからなのか、家族を追い出そうとするんです。寝室のドアを開けるんですけど、当然家族にはゴーストは見えていないわけですからただの怪奇現象なんですよね。しまいにはゴーストはキレて皿を手当たり次第投げるんですけど、家族からすれば皿がひとりでにこっちに向かってくるわけだから怖い怖い。ゴーストの作戦が奏功し(?)家族は家から逃げていきました。


しかし、間髪入れずに家では謎のパーティが開かれています。酒を片手に盛り上がる人々。当然ゴーストの姿は見えていません。興味深かったのがここで禿げた男がめちゃくちゃ語るんですよ。2分くらい一人でしゃべってたんじゃないかな。それは要約すると「歴史は繰り返す」「人々は死ぬときに証を残そうとする」「最後にはすべて終わる。地球は太陽に飲み込まれ、宇宙は一点に集約する」。観客からすればなんてシニカルな悲観論者なんだと思わずにはいられませんが、実はこの禿げた男のセリフがこの後のストーリーにおいて大きな意味を持ってくるんです。それはボディーブローのようにじわじわ効いてきます。



塗装は剥げ、天井の木材は落ち、梁が丸見えになった家でゴーストはメモを引っ張り出すことを続けています。ボロボロの家の様子が長い時間が経ったことを感じさせますが、とうとうゴーストはメモを引っ張り出すことに成功します。しかし、その瞬間ショベルカーがドーン!家は取り壊され、跡地には企業ビルが建ち、ゴーストはもうMが帰ってこないことを悟ってビルの屋上から飛び降ります。このとき飛び降りる直前のゴーストには赤い光が照らされていました


ただ、ゴーストは幽霊なので当然これ以上死ぬことはありません。ゴーストが目覚めると周囲は一面の野原。男が杭を打ち、馬車が走っています。ゴーストは先住民の時代にタイムスリップしてしまいました。ここに家を建てると語る父親。そのなかでゴーストはメモを隠す女の子を見つけます。ただシーンが転換して朝になると家族は全員槍に刺されて死んでしまっていました。ここ唐突で悲しかった。







そして次の瞬間。なんとゴーストは家の中にいます。ゴーストが見つめる傍でやってきたのはCとM。この後の生活について会話に花を咲かせています。ここで怖いのがCとゴーストが同時に存在していること。生前の姿と死後の姿が一緒にいるということは本来ありえないことなので、その禁忌を破って同じ画面に二人が入っているというのは単純に背筋が寒くなりました。でも、ここで一気に引き付けられて身を乗り出すようにして観てたんですけどね。


ここでMが「なんだか怖い」といった最初のシーンが生きてきます。Mの恐怖の正体はゴーストがいるということ。Mはそれを無意識下で感じ取っていたのでしょう。ベッドシーンでの物音もゴーストの仕業でしたしね。序盤のシーンがストーリーを追っていくにつれて異なる意味を持ってくるという構造に『ア・ゴースト・ストーリー』はなっており、構成が上手いなと感じます。


さらに種明かしはこれだけではありません。この映画で執拗なほどに繰り返された固定アングル、遠くからのアングル、バックショットといったカメラワーク。実はこれらはゴーストからの視点だったのです。突っ立ったまま動かないゴーストをカメラワークで表していたのです。みなさんお気づきだろうと思いますけど、ゴーストもカメラにアングルに収まってますよね。これは一周目のゴーストと二周目のゴーストの二体のゴーストがいたことを表しているんです。実際このゴースト2体が同じアングルに収まっているシーンもありましたしね。



映画は二周目のゴーストがメモを見つけて、それを読んだところで成仏して終わりという形を迎えていますが、本当のことを言うとここで終わりじゃないんですよね。なぜなら一周目のゴーストがまた二周目のゴーストが辿った道筋を同じように辿るわけですし、歴史は繰り返してゴーストは際限なく生み出される。つまり『ア・ゴースト・ストーリー』はざっくりいうとループものなわけです。なので、あの終わり方は「終わり」というよりは「区切り」と称した方が正しいかと思われます。


そして、この「歴史は繰り返す」というテーマやループものといった映画の特徴はいくつかの演出によって雄弁に語られていました。ここではそのうちの2つについて考えていきたいと思います。


まず最初はゴーストを照らす光について。この映画で印象的に使われていたのは赤い光です。赤い光はこの映画の中でゴーストが生まれて間もない場面とビルから飛び降りる直前の場面で用いられていました。私はこの赤い光が表すものは太陽だと考えています。禿げた男が言っていました。「地球はやがて太陽に飲み込まれて終わる」と。つまりこの映画の太陽は終わりを表していると考えられます。太陽が巨大化して発せられる赤い光がゴーストを照らしていたのです。


ゴーストはある程度の期間しか二体同時に存在することはできません。それは裏を返せば一体のままならゴーストは永遠に存在できるということを示しています。しかしそこに一周目のゴーストが生まれれば二周目のゴーストは消えてしまいます。ゴーストの誕生の際に照らされた赤い光は二周目のゴーストの終わりを表していたと考えることができます。


そして、ビルから飛び降りる直前にもゴーストは赤い光で照らされました。ここは分かりやすいですよね。ゴーストの到達点です。ゴーストがこれ以上先に進むことのできない地点。いわば一つのゴール、終わりです。それが赤い光によって示されていたと私は考えます。







次に考えたいのが家の前から伸びていた道この舗装された道は途中で途切れてしまっています。映画の中では、この道とその奥にある家のカットが何度も登場していました。繰り返し登場したということは、この道が映画の中で何か意味を持っているはず。そう考えた結果、あの道はループの回数を表しているのではないかという仮説に辿り着きました。


あの道がループの回数を表していると考えると、あの道が途中で途切れているということはこの映画で描かれた場面はまだ繰り返している途中だったと考えられます。ループの回数が増えていくほどあの道は伸びていくはずで、家の前の道路に辿り着いた時、それはすなわちループが終わることを意味しているのではないでしょうか。


でも、まだ辿り着いていない。でも全くないわけじゃない。ということはつまり、映画の前にも後にもループは繰り返されていたということ。『ア・ゴースト・ストーリー』はそのうちの単なる1ループを切り取っただけなのではないかとまで考えられますね。怖っ。



最後になりますが、ゴーストの他に別種のゴーストがいたことについて言及してこの感想を締めたいと思います。この映画で描かれたゴーストの正体。それはCが言っていたように歴史です。ゴーストも歴史も繰り返すという点で共通しています。そして別の家に別種のゴーストがいたということ。それはどの家にも歴史が存在しているということを言いたかったのではないかと私は考えます。


どの家にも歴史は存在している。つまりどの家にもゴーストがいるという可能性があるということです。ある日開くはずのないドアが勝手に一人で開いたら。それはもしかしたらゴーストの仕業かもしれませんよ。


お読みいただきありがとうございました。

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