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【微ネタバレあり】映画『ドラえもん のび太の月面探査記』感想【スネ夫に泣いた】



こんにちは。これです。観にいってきました。『映画ドラえもん のび太の月面探査記』。ドラえもん映画は3分の1しか見ていない私。でも、去年の『宝島』が面白かったので、今年も行こうというのは早い段階から考えてはいました。最終的に決め手となったのは脚本を書いたのが直木賞作家の辻村深月さんだということ。


私、辻村さんの小説はそれこそ『かがみの孤城』ぐらいしか読んでないんですけど、これがめちゃくちゃ面白かったんですよね。最後の伏線回収にたいへん魅せられて。小説と脚本は全く違いますけど、辻村さんが脚本を書いているならきっと面白いだろうということで、今回映画館に足を運んだ次第です。


で、実際に観たところ期待通り面白かったです。最後の方は泣いてました。なので、今回はその感想を書きたいと思います。致命的なネタバレは避けてると思うので、何卒よろしくお願いいたします。では、始めます。








―目次― ・簡単にストーリーについて ・想像力というテーマ ・スネ夫に泣いた





―あらすじ― 月面探査機が捕らえた白い影が大ニュースに。のび太はそれを「月のウサギだ!」と主張するが、みんなから笑われてしまう...。そこでドラえもんの秘密道具<異説クラブメンバーズバッジ>を使って月の裏側にウサギ王国を作ることに。 そんなある日、不思議な少年・ルカが転校してきて、のび太たちと一緒にウサギ王国に行くことに。そこでのび太は偶然エスパルという不思議な力を持った子供と出会う。 すっかり仲良くなったドラえもんたちとエスパルの前に謎の宇宙船が現れる。エスパルはみんな捕らえられ、ドラえもんたちを助けるためにルカも捕まってしまう! はたしてのび太たちはルカを助けることができるのか!? (『映画ドラえもん のび太の月面探査記』公式サイトより引用)




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※ここからの内容は映画のネタバレをやや含みます。ご注意ください。






・簡単にストーリーについて


映画の冒頭。次で探査機が白い影をとらえたという場面からこの映画は幕を開けます。それは「月のウサギ」だとするのび太にクラスは大笑い。悔しいのび太はドラえもんに今回のキーアイテムとなる異説クラブメンバーズバッジを出してもらい、月の裏側には空気があり生物が住めるという異説を唱えます。どこでもドアで月の裏側へ行く二人。ここの月とのファーストコンタクトのシーンなんですけど、気合が入っていましたね。ぐるっと上から下へと向かうカメラワークや、ピッカリゴケで月の表面が照らされていく様子はとても幻想的でした。


インスタント植物の種をまき、打ち上げドームで隕石からバリアを作り、動物粘土でウサギを作る二人。こことにかくテンポが良くてワクワク感が増幅されていましたね。ムービットはまっとうにかわいかったですし、ウサギの怪獣もキモイんですけどあとでチャント活躍してくれますし。


一方、月見台小学校(のび太たちの通う小学校。今回初めて名前を知った)に転校生ルカがやってきます。いじわるしようとするジャイアンとスネ夫を不思議な力で転ばせるルカ。出木杉に「月に生き物はいないんじゃないか」という表情が虚ろげで非常によかった。


のび太とドラえもんはいつもの3人+ルカを連れて月の裏側に行きます。そこで待っていたのは想像以上に発展したウサギの王国。中に入ると様々な方法で餅つきが行われていてとても賑やかでした。ここで「うさぎのダンス」が流れるんですけど、一番は普通の同様だったのに二番になるといきなり局長が変わってロックになるんですよ。打ち込みのドラムがテンションを盛り上げてくれて、ウサギの国の様子を楽しく見ることができました。


なんやかんやあって異説クラブメンバーズバッジが外れてしまうのび太。ルカに助けられて、のび太を探してきた他の4人もルカのコロニーに案内されます。そこにはエスパルと呼ばれる宇宙人が暮らしていました。エスパルはかぐや星という星で作られた人工生物でエーテルと呼ばれる不思議な力を持ちます。なにがいいのかっていうとこのエスパル、全員うさ耳がついてるんですよ。これがかわいいのなんのって。歩くのに合わせて耳もぴょんぴょん動く姿がいじらしい。俗にいうケモナーの人にはたまらないんじゃないでしょうか。私のお気に入りは後ろにいた金髪のエスパルね。


ルカたちエスパルと意気投合したのび太たち。月面でレースを行います。のび太とペアになるルカ。ルカは1000年以上生きていて友達を知りません。のび太はそれに驚きますが、少し考えたのちに


「友達は仲間だよ。友情でつながっている仲間」
「ただ友達っていうそれだけで助けていい理由になるんだ」


とルカに話します。ああのび太なんていい子。どこまで純粋なんだろうか。心が洗われる気がしました(この言葉がこの後の物語の中で重要な意味を持ってくるんですけど、それは映画を観て確かめてみてください)。バッテリーを交換して埃まみれになる二人。互いに微笑むシーンはこの映画で一番落ち着くシーンでした。


しかし、ルカたちエスパルはかぐや星人にさらわれてしまいます。彼らを助けるためにかぐや星へと向かう男4人(しずかちゃんは留守番)。ここからの内容はあまり詳しくは言えないのですが、強いて言えば親子関係がけっこう重要になってきます。1000年という時を超えた親子関係が。


それと、ひらりマントや空気砲、通りぬけフープなどのおなじみの道具が活躍します。私が思うドラえもん映画あるあるに「空気砲が酷使されて使い物にならなくなりがち」というのがあるんですけど、今回の空気砲はピンポイント起用で見事役割を果たしていました。空気砲好きは歓喜しますよ。


あとは笑えるシーンもちゃんとありますね。のび太のシーンで。周りの子どもたちも当該シーンで大爆笑していましたし。楽しみにしててください。








・想像力というテーマ


今年のドラえもん映画『のび太の月面探査記』のテーマは間違いなく想像力です。映画の予告編の冒頭でドラえもん言ってましたよね。「人類の歴史は異説が切り開いてきたようなものだよ」って。ガッチガチに凝り固まった定説。そこには想像力の入る余地がありません。その定説に風穴を開けるのは異説です。そして異説は「こうなんじゃないか」という想像力から生まれます。


そして、のび太はこの異説を唱えるのが大得意です。『魔界大冒険』や『雲の王国』などのび太の異説からスタートした映画は数多い。これものび太が想像力に溢れている証拠です。のび太が異説を唱えたとき、周囲は突飛なことだとして受け入れようとしません。しかし、それでも想像力を信じたのび太は行動を続け、ついには異説を現実のものにします。『月面探査記』はまさしくそういった映画でした。


人類は過去と異なる発想を得たことで進化を続けてきました。それはまさしくのび太のような旺盛な想像力によるものです。昨日までできなかったことができるようになる。異説が定説になり、また新しい異説が生まれる。この繰り返しで人類は発展しました。想像力から作られた異説が未来を作ってきたのです。


ドラえもんが言ってました。


「想像力は未来だ!人への思いやりだ!それをあきらめた時に、破壊が生まれるんだ!」


今聞いても鳥肌の立つような名セリフです。ここで注目したいのが「破壊」という言葉。敵のディアボロは破壊を目的としていました。この映画でのび太たちが行ってきたのはその反対、創造です。のび太たちは月のウサギを作り出し、ウサギ王国を創造しました。そして、このもとになっていたのは想像力です。「想像」と「創造」は読みも同じ。つまり、想像力によって人間は創造を繰り返して未来を切り開いてきたというのが伝えたかったメッセージで、観ている子供と大人に想像力の大事さを『月面探査記』は訴えかけてきていました。


でも、この想像力というのは行き過ぎると毒にもなるんですよね。今回ののび太たちの敵も人間の想像力からできていましたし、「人間が想像することは人間が実現できる」というウォルト・ディズニーの言葉ではありませんが、全世界を征服したいという想像がディアボロを作らせました。


かつて、かぐや星で作られた兵器。その力を知らしめるために、かぐや星人たちはそれを衛星に向けて発射しました。しかし、結果は衛星のかけらがかぐや星に降り注ぎ、かぐや星の上空は塵に覆われてしまいました。これ、明らかに現代に対する風刺ですよね。自らを全滅できる兵器を持ってしまった人類への。人間が扱えないオーバーテクノロジーへの警鐘ですよ。


もともと『ドラえもん』ってこういう風刺的なところあるじゃないですか。それは原作が寓話的なこともあるんですけど、映画でも『鉄人兵団』や『雲の王国』なんかはこういった風刺的な要素が多かった。今回の『月面探査記』はその黒さを濃すぎず薄すぎず、ちょうどよく受け継いでいたような印象を受けました。ちょっとの黒さは隠し味です。


さて、この映画のテーマである想像力。これを語っていくうえで重要なキャラクターがいました。それは想像力たくましいのび太でなければ、想像を具現化してくれるドラえもんでもありません。この映画の想像力テーマを語る上でのキーとなっていたキャラクター。それはスネ夫です。









・スネ夫に泣いた


映画中盤、のび太とエスパルたちはかぐや星人に襲われます。次々に捕らえられていくエスパルたち。のび太たちとルカはどこでもドアへ逃げ込もうとしますが、のび太たちが部屋に戻ったのを見届けて、ルカは一人で月に残ります。かぐや星人によって破壊されるどこでもドア。もう月に行けないと悟り、悲しみに暮れるのび太たち。


ただ、ルカの乗ってきた宇宙船を使うことで再び月に行けることが判明し、のび太たちは再び月に行こうとしますが、ここでドラえもんが言います。「危険な旅になるぞ。覚悟ができないなら地球に残った方がいい」と。4人はそれぞれ家に帰って出かける準備をします。どこか悲しげな音楽に合わせて、4人がそれぞれ決意を固めるシーンは、本業作家である辻村さんならではのエモーショナルなシーンでした。


パーカーを一枚羽織って外に出るのび太。飼い犬に不安な気持ちを癒してもらうしずか。家族にばれないようにそっと外に出るジャイアン。3人が走り出したとき、外には月が出ていました。画面は上昇していきその月を映し出します。満月ではなく少し欠けた月。それは3人の少し不安な気持ちを表しているかのようでした。


ただ、ここでスネ夫は橋の上で立ち止まっています。行こうかどうか逡巡しているさまはそのままスネ夫の迷っている心内を表しているかのようです。ただ、ここで川面に月が浮かんでいました。ここで3人と違うのが、3人のシーンでは月が映っているのに、スネ夫のシーンでは月が直接的に映っていないということ。スネ夫のシーンはそれまでとは全く違います。



のび太たち5人の中でも、スネ夫はとりわけ現実的なキャラクターです。Wikipediaによるとかなりの唯物論者で、神仏や幽霊、妖怪などを一切信じません。それは映画序盤にも表れていて、月に白い影が映ったというニュースを見てジャイアンが宇宙人説を唱えているのに対し、スネ夫はゴミが映っただけという極めて現実的な説を唱えています。のび太が月のウサギ説を唱えた時もほかのみんなと一緒に大きく口を開けて笑っていました。


そんなスネ夫は当然、のび太が月のウサギ王国に連れて行くといっても簡単には信じません。のび太とドラえもんにウサギ王国に連れていかれてもなかなか信じようとはしていませんでした。しかし、ムービットやルカたちエスパルとの交流で徐々に想像を信じようとしていきます。そして当該の、この映画にとって極めて重要な橋の上のシーンを迎えます。


ここで考えたいのがこの映画で繰り返し出された「あべこべ」という言葉。この映画では異説が定説になる、定説が異説になるというあべこべが事態の解決のカギとなっています。考えてみれば、この映画はあべこべ、言い換えるならば反対が重要な意味を持っていました。親と子、機械と人間、創造と破壊。これらの対比が効果的に用いられて、映画を彩っていました。


そして、このあべこべや反対はこのスネ夫の橋の上のシーンでも適用されます。水面には本当の自分を映し出すみたいな意味もありますが、ここで注目したいのは水面が鏡になっているということ。鏡に映ったものは左右反対、あべこべになります。「想像」の反対は「実際」です。スネ夫たちが月で体験した出来事は傍から見ればあくまで想像にすぎません。スネ夫は唯物論者ですし、超科学的なことを信じません。よって月での出来事も最初は信じていませんでした。


しかし、ここでスネ夫にとっては「想像」の象徴である月が水面に映った。ここで「想像」が反対になって「実際」となっています。スネ夫もムービットから歓待を受けたこと、ルカたちと一緒に過ごしたこと。同じ時間を共有し、「友達」となったことで「想像」が少しずつ「実際」となっていっています。水面に映った月はそんなスネ夫の心情の変化を表していたのではないでしょうか。





さらにこのシーンに込められた反対はそれだけではありません。『ドラえもん』の主人公である(と私は思う)のび太は姿勢が基本的に未来に向いています。自分のダメさ加減にへこむこともありますが、過去をくよくよ振り返ることはあまりせず、あんなこといいなできたらいいなと未来への希望を語ります。前向きで未来を変えるためには道具を使うことも厭わないのび太のおかげで『ドラえもん』の話は進んでいくのです。


そして、この未来志向ののび太と対比になるのがスネ夫です。スネ夫は金持ちならではの自慢話をして、のび太を羨ましがらせます。嫉妬したのび太がドラえもんにせがむというのが『ドラえもん』の話の一つのパターンになっていますよね。でも、スネ夫のする自慢話って結局は過去の話なんですよ。スネ夫の矢印は過去に向いていることが多いんです。ほかの3人は自慢話をあまりしませんよね。なのでスネ夫は『ドラえもん』の中で過去を一手に背負っているキャラクターだと私は考えています。


そして、スネ夫は橋の上に立っています。眼下に見下ろすのは川の流れ。川は止まることなく流れていく。よく止まることのない時間の流れは川の流れに例えられますよね。時間は過去から未来に向けて流れていて不可逆なものです。これを川に適用するならば上流という過去から下流という未来に流れている。つまりこのシーンは未来に向かうことを表す川の流れと過去を背負うスネ夫というキャラクターが対比になっているシーンなんじゃないかと思います。スネ夫がルカたちを助けに行くという未来に矢印が向いている行動を選んだのも、未来に向かって流れる川を見て思いを新たにしたんじゃないかなと思います。



集合場所である裏山にはスネ夫を除いたのび太たち4人が集合しています。スネ夫はなかなか現れません。ここでちょっと待ってくれというのがジャイアンだったのが熱かった。そして、現れたスネ夫。「前髪が決まらなくてさ...」と迷っていたのを気丈にごまかすその姿に思わず泣いてしまいました。怖いのに勇気を振り絞ってるんですよね。こういうの弱い。


で、なんで脚本の辻村さんがスネ夫が決意を固めるシーン、内面的成長をこういう風に書いたかっていうと、それは多分スネ夫が私たちに一番近いキャラクターだからなんですよね。大人になると想像力って少しずつなくなっていくじゃないですか。どうしても現実的にならざるを得なくなって。月にウサギがいるなんていつしか考えもしなくなっていきます。映画を観ていても異説クラブメンバーズバッジをつけていない私たちは「これは想像だ」って知っているわけで。


さらに想像力がなくなると未来に視線を向けることも難しくなって、結果話すのは過去の自慢話や武勇伝、愚痴ばっかりになってしまう。そういう人も多いと思います。スネ夫と同じように矢印が過去に向いている。大人になるとどうしても過去は増えっていって未来は減っていってしまうものですしね。


でも、このシーンでスネ夫は決意を固めて、本当の意味で異説クラブメンバーズの一員となるんですよ。これはスネ夫と同じように想像だと断じて、過去に矢印を向けていた私たちが、これは(のび太たちにとっては)実際の話であると感じ、未来へと矢印を転換する。つまり、映画により一層移入できるようにする仕掛けが施されているんです。なので辻村さんは私たちがこの物語を自分事として観れるようにスネ夫のシーンを入れたんじゃないかと私は推測します。



『月面探査記』でスネ夫は最初は「想像力」や「未来」というテーマの対比として存在していました。このスネ夫の存在が映画のテーマをより際立たせていたという点で、スネ夫は『月面探査記』でかなりのキーキャラクターでした。そんなスネ夫が「想像力」を受け入れ、「未来」に向かって進んでいく。その姿に私はやられてしまいましたね。スネ夫の内面的成長が映画に深みと奥行きを与えていたと思います。『月面探査記』は『宇宙小戦争』と並ぶスネ夫の映画ですね。なので、スネ夫に注目して見ていただければ、この映画をより面白く見れると思います。ありがとうスネ夫。








最後になりますが、今年の『月面探査記』は想像力の光と影、親と子、友情、未来の創造といった多岐にわたるテーマを含んでいました。そのどれもが絶妙なバランスを保っていて新ドラえもん映画の中でも指折りの名作だと思います。私はドラえもん映画には教育的な面もあると思ってるんですが、それも風刺を入れることでカバーしていましたし、ぜひとも親子連れに限らず幅広い年代の肩に見てほしいと思います。オススメですよ。


お読みいただきありがとうございました。


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