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2019 ヨルダン渡航記 PART②「難民キャンプの今ってどうなってるの?」

>最近読んだ本の1つにFactfulnessという本があります。内容は我々が発展途上国や紛争地域に持つイメージはかなり前のもので、実際は以前よりもはるかに改善されているというものです。後出しだと思われそうですが、自分はそのギャップに7年前気づきました。アメリカ留学中に出会った途上国からの留学生はどの子もみんな、勉強へのモチベーションが高く、しっかりとした未来設計を持っていて当時の鼻たれ野球少年は衝撃を受けました。それ以降、発展中の国の持つエネルギッシュな空気感や人々の活気に触れ、自分も励まされ背中を押されながら走っていき、気づいたらとりこになって現在の仕事に至っています。前置きが長くなりましたが、今回はイメージしていた難民キャンプと実際の感想のギャップについて書いていきます。

 今回のヨルダン滞在で訪問した難民キャンプのうちまず紹介するのが、シリア国境沿いのザータリキャンプとアズラックキャンプだ。前者は現在8万人、後者は7万人のキャパがあるのに対し、もっともその数が多かった時は毎日のように何千人規模での到着があり20万人近くが生活していた。この数はヨルダン第5の都市の人口に匹敵する。流れとしてはまず「保護」から入る。UNHCRで難民登録を行い、健康診断(予防接種)を受け、指定されたシェルターに移動する。保護によって教育・医療・食料・法へのアクセスは可能になるが、あくまで一時的なものなので居住権や就労権は認められていない。これらの流れはルワンダ難民保護の際の課題点から生まれた、スフィアスタンダードという初期対応基準をもとにしている。その基準を少し紹介すると水が1日15リットル(日本人の平均は130リットル)、食糧費が1カ月28ドルとなっており、あくまで最低限と言わざるを得ない数値だ。また、教育面ではアクセスはできるもののキャパシティーが不足しており、場所によっては1人の先生につき90人近くの生徒が冷房のないテントで勉強しており、毎日新しい生徒が来るためカリキュラムが組みづらくなっている。

 ここまでが日本で仕入れていた情報。数字は2015年前後のものが多い。果たしてそこからどのように変化しているのかが今回の調査だ。まず教育に関して、一時のキャパオーバーは午前・午後の2部制の浸透により解消されており女性のための職業教育や保育所も運営されていた。太陽光パネルの普及により多少電気の供給が増え、冷房もついていた。宗教上の理由で男女が時間によって分かれているが、どちらの生徒にも学校給食が支給される。給食センターではお母さん世代の女性が働いており、難民キャンプ内での雇用にもつながっていた。なお、生活が長期化するにつれて仕送りや貯金を利用して店を運営する難民も多く、中にはシャンデリゼ通りという商店街まで存在し、多くの買い物客でにぎわったいた。キャンプの住居や人口、年齢層、店などの情報はGIS(地理空間情報システム)によって管理されており、学校や病院などの公的施設は一定区間内に配置されている。そのため移動は徒歩か自転車で十分な距離だ。

 食糧支援に関しては、つい最近まで主流だった現物支援から現金支給に代わっていた。その分栄養が偏る恐れがあるが、選択の自由ができるので難民たちの反応は以前よりも良い。現金支給といったが実際に支払いに使われるのは紙幣でもなくカードでもなく自分の目。虹彩反応によってお金を管理しており、犯罪のリスクも回避できる。また、保健医療に関しては都市キャンプであるバーカキャンプの例を紹介したい。ここでは対象の患者に対して家庭医と呼ばれる総合医が一時対応をし、必要に応じて専門医に振り分ける。日本でいうかかりつけのお医者さんだ。カルネはすべて電子化されており、赤ちゃんには母子手帳もある。家庭医が活躍している背景には、メンタルヘルスへの対策や生活習慣のチェックが必要なことがある。以上の内容でお気づきの人もいるかもしれない。そう、難民キャンプの暮らしは想像しているよりもはるかに近代的で効率的で最先端だ。

 しかし忘れてはいけない。そもそも難民キャンプの目的は難民の「保護」であり、長期滞在を良しとはしていない。母国に帰れる環境が整えば即出ていかなくてはならないし、そうでなくても自立できるのであれば自ら生計を立てていく必要があるのだ。もっとも、難民たちの多くも現状の生活を完全に良しとは思っていないようだ。砂漠の中にポツンとあるキャンプ。出るにはIDが必要となる。資金・資産に余裕はないので支援は最低限で十分ではない。自ら働いて生活リズムを創れるのはまだまだ少数で、娯楽もなく、実際は生きがいを見つけるのが難しいのが現実だ。都市部の難民に話を聞くことができたが、都市では生活費の出費があるものの生活に自由や選択肢があり、キャンプよりはましだという声も聴いた。本来の目的とは異なるものの、滞在が長くなるにつれて人間の幸福、“well-being”についても考えていく必要があるのかもしれない。

 ここで大事になってくるのが国連・ヨルダン政府・NGOの連携だ。それぞれの強みや弱みを把握したうえで無駄のない効率的な支援を行う必要がある。そこで導入されているのがクラスター制度で、OCHA(国連人道問題調整事務所)が中心となって人々のニーズを11分野・短中長期にわけて検討する。先ほどのWell-beingの話になると公的な機関よりもNGO/NPOのほうが自立支援や学校外教育などに強みがあるかもしれない。また、キャンプに入っている難民は全体の2割に過ぎず、残りは都市難民だ。彼らのほうが支援へのアクセスは不安定で、セーフティーネットから取りこぼす可能性があるのでそこも調整機関の役割だ。次回以降は支援機関ごとの視点から見た難民支援の現状とこれからの施策について詳しく見ていこうと思う。

 >今回も読んでいただきありがとうございました。一般人・単独ではなかなか許可が下りない国境沿いの難民キャンプへの訪問、ほんとに貴重な機会になりました。実際にスーパーや学校、病院で人々と交流して感じたのは、難民キャンプといいながらもここは人々が暮らす普通の街。交わしている会話や人々の表情は、どこの国でもそんなに変わりません。でもそこまで持ってきたのは彼ら自身の強さでもあるし、“町”を作ってきた世界中の知のおかげなのかもとも思いました。

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