HPとMPのはなし

数年前のオードリーのオールナイトニッポン内で若林さんがHPが減る・MPが減る仕事について話をしていた。体を張るのがHPが減る仕事、スタジオで誰かをサポートしたり、周囲の力を引き出すのがMPが減る仕事らしい。
HPが減る仕事は周りからしても分かりやすくて、MPが減る仕事は周りにも伝わりにくいと話していた。

社会人2年目になってHPとMPのはなしがスッと入ってくるようになった。
労働とはまさしくHPとMPを削る行為である。パーティーのHP量やMP量、回復スピードなどにも気を配りながら取り組むのだ。敵はこちらのHP・MPなんて気にしてこないし、自らのHP・MP量の管理は当然自分で行わなければならない。瀕死寸前では戦えない、というか戦ってはいけない。なぜなら現実ではザオリクもザオラルもないからだ。

あーこの人ドラクエ派なんだって気づいてくれた人ありがとう。

仕事の話をしたくなってしまう。
日常の大半を仕事に捧げているから仕方ないのだが、悩みの大半が仕事である。逆にありがたいのかもしれない。仕事してなかったら暇に殺されているかもしれないから。最近ようやく仕事をしなくていい土日は目一杯予定を入れるようになった。7月は毎週旅行に行くくらい。土日くらい会社から与えられている役割を降りてもいいよねと言い聞かせている。本来の自分と会社での自分は違うはずなのに会社での自分が無神経に土足で心に入り込もうとしてくる。失礼なやつだよなほんとに。たかだが1年と2か月で傲慢だ。

そのくらい就職前に築いてきた自己のアイデンティティは大切にしている。そのくらい大切に扱うべきものであると思っている。それを失うことは間違いなく忌避しなければならないということは本能的に感じ取っている。

「自己啓発書は読みすぎない、何が何でも小説も読む。」
これは単に自己啓発書嫌いではなく、「役に立つものだけで生きない」ということを指している。役に立つことはとてつもなく甘い蜜みたいで、むさぼりたくなる。それだけを求める方がなんか合理的だし、正しく生きられている気がする。ひろゆきやホリエモンにも馬鹿にされずに済むし、社会からの声に刺されずに生きていける気がする。気がするだけ。役に立つことだらけの自分はとてつもなく面白くなくて、一見役に立たなそうなものだらけの方が飽きないし面白い。

なぜ大人になってつまらなくなるのかを考えた時に、役に立たなさ、難しさと対峙する余力がないからだろうと思う。結婚したり、子どもが出来たり、親の介護が必要になったりするのに、役に立たないこと・分からなさ・難しさと対峙しようとすると社会からの冷笑がどこからか聞こえてくる。
その冷笑がアイコン化したのがひろゆきである。笑えねえ。

HPもMPも知らない間に枯渇してしまう。
いつの間に?みたいな減り方をする。
だから逆に週末に突然北海道とか行くし、美術館とかも行く。
全く行った事がない場所に行くし、分からなさと対峙したくなる。
凄く疲れた体に効くのである。
とっても難しいから刺激的で元気になるのだ。

社会全体は簡単なもの、分かりやすいものに傾倒しようとしている。
誰にでも伝わる分かりやすさ、それ至上主義になっている。
でも多分楽になるのは真逆で難しいものを自分なりに理解しようとすることが一番面白いと思う。

死者を蘇生するせかいじゅのは、間違いなく苦いのはそういうことなんだと思う。いや結局ドラクエで終わるんかい。

おわり

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