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学校ってなんだろう?-JYC研究会

【スキマ時間の投稿:修行期間残り34ヶ月】
どこへ行ってもJYCの仲間がいるのはいい。

昨日はJYC主催の研究会で、埼玉県桶川市にあるHIBIKI CAFEへ。
私自身が高校中退でもあり、近所に定時制高校がある、JYCだしといった単純な動機での参加だった。
つまり、事前知識なし。

ついてみると、一般住宅を見事に改装したHIBIKI CAFEは、一般社団法人Moonlight Projectが経営するCAFEであり、居場所であり、学習支援の場であり、やはり居場所であった。

今回のテーマは「定時制高校が 果たしてきた役割とその現状」。スピーカーは、元定時制高校教員で、現在は駿河台大学教授、moonlight Project代表理事である平野和弘さんや、飯島学さん。
Moonlight Projectは平野さんと、当時の生徒で立ち上げられた場所で、まさに共同実践の場だった。
この場所は、ぜひ現場で味わってほしいので、気付きを得た部分を走り書き。

【学校って、なんだろう】
私学高校の隆盛で、公立高校の意義が問われ始めている。
私学高校の無償化もなされようとするなか、公教育と私学教育、もっと言うならば「教育」ってなんだとの問い直しをする実践が今だから取り組まないと。

「学び」と「教育」の違いもあり、議論醸成が必要。
特にN高校に代表されるような通学しなくても良い中学校や、高校で、高卒資格だけを取るのは、学校の崩壊といったレベルではなく、「教育の放棄」ではないかとの問い。
結果としては「これでよかった」となのかもしれないが、身体感覚の欠如や、青年期の学びや育ちへ目線を向けた時、移行期、混乱期だからこそ「問い」を続けることが必要であり、今後も研究していかなくてはいけない部分。

学ぶことによって、教科ではなく、その先を獲得していくことでもあり、穴埋め式の無意味な内容ではなく、例えば歴史を通じて人権への視座を獲得していくなど、そこには生徒から学生へのポイントと同じ。
学問の奥深さを知ること、師事する研究者、主体性の尊重が「教育」として、どこまで行えるかのか。
これはN高校といった広域通信制高校だけでなく、定時制や全日制でも同じ。

『そもそも、学校ってなんだろう?』

【生徒が主人公】
・私たちのことは、自分たちで決める
→まさに、福祉の"Nothing about us without us"でもあるけれど、それを子ども自身が自治的に行うまでのエンパワメント、そこに至るまでの「学び」のプロセスをどう分析していくか。

・自治的にみんながやる。展望をもって、バックキャスティングで「今」に関わることの大切さ。

・文化づくり
人間が豊かに暮らすのは文化が必要である。生きるではなく、生活をする。
それこそが大切で、それは教員もメンバーに入りつつ「ここって、こんな場所だよね。こんな文化を大切にしてきたよね」を深化させていく作業をどう仕掛けるか、大切にするか。

【その他、思い浮かんだキーワードとして】
18歳の接続、教えるから、支える、学び合う。
外見じゃないんだよ、中身なんだよ。
個人としての限界があるからこそ、組織としての"議決"が大切で、それは同じ方向を向くということ。
保留コーヒーのシステムはいい、取り入れたい。
洋作さんから「三鷹へ遊びにこい」とのことで、若者を連れていきたい。

そして・・・やっぱり、JYCは私の大切な居場所のひとつであると実感。

現場から現代社会を思考する/コミュニティソーシャルワーカー(社会福祉士|精神保健福祉士)/地域の組織づくりや再生が生業/実践地域:東京-岐阜/領域:地方自治|政治|若者|子ども|虐待|地域福祉|生活困窮|学校|LGBTQ