ザ・ワンダー・オブ・U(君の奇跡の愛)というスタンドについて

 こんにちは。片山順一です。今回は、私が一巻から集めて読んでいるジョジョの奇妙な冒険、その八部、ジョジョリオンに出てくるスタンドについての話です。

 どういうスタンドか

 ザ・ワンダー・オブ・ユーは、現在連載されているジョジョの第八部に出てくるスタンドです。通称“ラスボス”と呼ばれる存在。各部の最後に出てきて主人公たちと敵対する最も強力な能力だと思われます。3部DIOのザ・ワールド、4部吉良のキラークイーン・バイツァ・ダスト、5部ディアボロのキング・クリムゾンなどが例です。

 その能力は、自分を追跡した者に厄災が起こる、というものだと思われます。
 確定じゃないのは、あくまで私が単行本24巻までから読み取った情報だからです。

『起こす』じゃなくて、『起こる』

 このスタンドは、いわゆる自動追跡型のスタンドのようです。本体やスタンドを追跡したものに、自動的に能力が発現します。対象は一人に限りません。ほぼ同時に何人にでも起こりえる様です。本体が追跡に気づかなくても、起こります。

 厄災は際限がありません。かなり強力に因果関係や物理法則がねじまがります。

 たとえば、主人公たちが最初に本体と思われる存在に出会い、その後ろを追いかけていると、なぜか仲間の一人が傘立てにぶつかります。ただ、ぶつかっただけなのに、脚から骨が飛び出すほどの大ダメージを受けるのです。


 また、バスに乗った本体と思われる存在を主人公が追跡しようとすると、騒ぎにいら立ったほかの患者が声をかけてきます。その指先に少し触れただけで、なぜかその患者がもともと痛めていた首の骨がへし折れ、死んでしまいます。しかも触れるところを、ほかの患者にスマートフォンで撮影されており、殺したと思われて警察を呼ばれ、主人公は逃亡をよぎなくされてしまいます。

 ほかにも、追跡のために、雨の中に飛び出せば、雨粒が全身を貫く銃弾のようになり体中ずたずたにされて半死半生の重傷を負います。雨の中で立っていた、主人公たちを追っている警官たちは、ただ濡れるだけだというのに。

 ここからは私の想像です。たとえば、これを防げる能力があったとしましょう。首の骨が折れても死ぬ前に治せるクレイジー・ダイヤモンドとか、銃弾のような雨粒さえすべて防げる、20thセンチュリーボーイとかですかね。でもその場合も、その能力では防ぐことのできない違う厄災が起こって、追跡が妨害されるでしょう。傘立てで脚を破壊された豆銑礼(まめずくらい)の言葉を借りれば、『強敵だ……強過ぎるよ』というところです。

どうやって倒すの?

 ヒントは、『追わせるのはいい』。作中では、主人公の東方仗助は、本体にとって追跡とみなされない程度の邪魔な動きをして、どうしても、向こうから主人公を始末しなければいけない状態を発生させています。部屋で待ち構えて射程内に来させるという方法で戦おうとしているのです。

 また、明言はされていませんが、どうやらある人に起こる厄災を、べつの人が利用することができるみたいです。

 たとえば、主人公の仲間で、先述の豆銑礼(まめずく らい)というキャラは、留置場で一緒になった無差別殺人犯の男の携帯を盗み、それで自分を追うワンダー・オブ・ユーの姿を撮影します。すると、『携帯で撮影して正体を追跡しようとした』ということで、その殺人犯が厄災の対象になるのです。
 豆銑は携帯電話に映っていた、殺人犯が撮影した犠牲者の死体を見せ、殺人犯を精神的に追い詰めます。すると殺人犯は精神的に苦しむあまり、自分の首を刃物で突き刺して自殺をはかります。自殺を図った殺人犯は、スタンドのいる杜王病院へと搬送されます。
 『同房の男に精神的に追い詰められ、苦痛のあまり自殺を図って病院へ運ばれる』というのが、殺人犯を襲った厄災というところでしょう。ところで、豆銑は自分のスタンド能力、ドギー・スタイルを使い、紐状に変化してそんな殺人犯の服の中に潜り込み、まんまとスタンドのいる病院へ向かうことに成功するのです。

 ここで、豆銑の行動は、結果的に追跡になっていますが、あくまで殺人犯に起こった厄災に便乗しただけだったのです。

 ほかに、ある人に起こる厄災と、別の人に起こる厄災が競合する場合もあるようです。

 たとえば、ワンダー・オブ・ユーを追跡して東方家に侵入しようとしたヒロインは、東方常敏に見つかって捕らえられ、殺害されそうになるという厄災が起こります。しかし、ヒロインが死亡する前に、東方家の東方密葉が自分を追うワンダー・オブ・ユーに気づいたことが追跡とみなされ、『侵入者を取り逃がしてしまう』という厄災に襲われます。その結果、ヒロインは負傷しながらも、東方家から脱出することができました。

 私はこの場面を『ある人に起こるはずの厄災が、別の人に起こった厄災に上書きされた』と捉えています。

能力の現代的な意味

 これを書いていて思ったのですが、自分にとって都合の悪いもの、自分を追う者を自動的に始末する、なくしてしまう。それは、検索におけるトラッキングの排除や、フィルタリング機能にも似ているような気がします。

 今やほぼあらゆるサイトや検索エンジンで、アカウントごとの閲覧データを管理者側で管理し、アカウントが選びそうなコンテンツを先回りで表示して、ページビューやアフィリエイトに活かすのが常識になっています。

 2020年末現在、もはやインフラとなったインターネット上では、あらゆる行動が誰かに見られ、管理し追跡されているのが常識的ではないでしょうか。当然、人によってはそれを嫌う傾向もあり、トラッキング排除をうたった検索エンジン、発言の規制をしないSNSなどが注目されています。

 また、フィルタリングについても、恐らくアカウントの年齢認証やし好によって、合わないものを排除し、少しずつ遠ざける仕組みが出来上がっているのではないでしょうか。

 ただ、仮に、どれだけ自分を見えなくしても、危険そうなそうなすべてを排除しても、隠した、排除したということの結果は引き受けなければなりません。

 自分を察知させない、危機を未然に防ぐ、安全になるということが、なにかべつのことを引き起こしてしまうのかも知れない。

 戦いの行方はまだわかりませんが、24巻時点で、ほぼ無敵のワンダー・オブ・ユーが主人公たちから一太刀浴びることがあるとすれば、ここらへんがヒントになりそうです。

 そしてそれは、テクノロジーの恩恵にどっぷり浸かり、自分の存在をうまく隠し、目前の危機をどこかに遠ざけ、安心できるものにだけ囲まれて生きていきたい現代人への、強烈な一撃に、なるのかも知れません。

ジョジョリオンの評価

 じつは、第八部のジョジョリオンは、古参ファンによる、あまり面白くないという評価があるようなのです。出てくるキャラクターは、現代人の悪い所ばかり濃縮してしまったかのように魅力がないとか、スタンドの能力が複雑で難解なものが多いなど。

 ただ、どうか、荒木飛呂彦がこの八部を、私たちの暮らす現代として描いている意味を考えてほしいと思います。

 現代を、世相を、若者を、正確な目でしっかりと見つめ、耳が痛いほど正確に描写した結果が、この作品に結実しているのではないでしょうか。つまり、現実ではそんなにキャラの立った人もいないし、政治や経済や技術の最先端で行われる真剣な暗闘は、一見複雑で難解になっているという。

 くそみたいな現実なんて、もう見たくない。漫画を読んでるときだけは、魅力的なキャラクターと一緒に、わくわくどきどきの世界で過ごしたい。それが、基本的に漫画の世界で想定される読者像です。その傾向は、近年さらに強まっていると言っていいのかもしれません。

 が、本来、荒木飛呂彦はデザイナー志望であり、ファッショントレンドや、ポップミュージック、映画や芸能ゴシップに関する教養を長年蓄積してきた、還暦の老紳士なのです。トレンドも、音楽も、映画も、ゴシップも、すべて現実とは切り離せません。むしろ、現実を濃縮した結果が、それらの流行に結びついていると言っていいのです。いつの時代でも、今このときへの透徹した視点を持っているというのが、荒木飛呂彦の本来の良さではないでしょうか。

 2010年代から、2020年代初頭の、この国の現実を焼き付けた芸術品として、私はジョジョリオンを傑作だと思います。
 そして、最後の敵となりそうなスタンド、ワンダー・オブ・ユーを、各部のラスボスと比肩する魅力的なラスボスだとも。

 漫画としてのエンターテインメント性も保持しつつ、今、ここを的確に描いたこの作品は、荒木氏の面目躍如といえるでしょう。まあ確かに、ちょっと保守的だったり、悪意のある感じがしないでもない気はするんですけど……。私的には仗助の血縁上の母親とか、一巻の最初で助かるために笹目桜二郎の手伝いをした若い女性とか、特に女性の弱さへの底意地の悪さがあるような気がします。

 とまれ、ジョジョリオン、新参にも古参にも、お勧めです。数年内には完結しそうなところもポイントです。

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