私にとっては、たった一年と半年前の出来事です

 今回ばかりは、私が私の感じたことを語ったために、怒ったり不快になったりする方が、いらっしゃるかもしれません。

 でも、書きます。ニート同然の何もない人間が、ただ行って、見ただけのことを。

 これから一生、実際に東北に行くことのない方もいらっしゃるでしょうし。そういう方の感想に共通するなにかが、見出だせたら、望外の喜びというところです。

さんざんだったボランティアの顛末


 2019年の晩秋。私は初めて東北の地を訪れました。目的は、その年の秋の集中豪雨で被害を受けた、宮城県丸森町のボランティアです。

 もっとも、こちらには、滞在期間一か月のうち、たった三日しか行っていません。ろくに働かぬまま三十代も半ばを通り越した身には、ボランティアに集まってこられたあまりにもいい人達と一緒にいると、自分の情けなさを感じていたたまれなくなるんです。あと、絶対やらないと思ってたのに、熱中症で途中棄権してしまい、被災した丸森町の方に軽トラで駐車場まで送っていただいたことが、相当響きました。

 もう二度と自分みたいなクズは、姿を見せてはいけないと思い込んだものです。足が遠のき、だんだん離れていきました。

 ただ、洪水の被害のしゃれにならなさは、しっかりと認識できました。それは収穫かも知れません。これから私は周囲から馬鹿扱いされようと、豪雨の折は必ず逃げます。

で?

 では、あと二十七日何をしていたのか、というと。ネットカフェでエロサイトを見たり、観光したりしていたわけです。

 観光。仙台城、松島、山形城、東北歴史博物館……そうやってさぼりながらも、自分を正しいと思いたい私は、ただ楽しむなんてことはできませんでした。

 それで、やったんです。思いつく限りの東北大震災の傷跡巡りを。

根城は多賀城

 一か月の間、私の根城は、多賀城市の国道沿いにある安アパートでした。ホテルは高いので、月極でアパートを借りられるサービスを利用したのです。少しでも安くするため、ネット回線もありません。付属の狭い駐車場に留めた軽自動車に乗り込んでは、あちこち繰り出しました。

 南は丸森から山本、亘理(わたり)、閖上(ゆりあげ)、東北道を利用して北は東松島、石巻に南三陸、気仙沼。

 事前に調べてもいないのに、誰も私に見てくれと頼んだわけでもないのに。

 主に車の窓からでしたが、被害は走るだけで目に付きました。家があってしかるべき場所の原野、ごく最近造られた新しいお墓、道端にある津波到達地点を示す看板。目に付いた所では降りて、海に向かって歩いては、変わってしまった光景から元あったものを想像しようとしました。

 町があったこと、それがもうなくて、戻ることがないということ。

 今から思うと、悪いことをした気がするのですが。私のような人間に笑顔を見せ、観光客として歓迎してくれる東北の方々に、震災の体験を、つい尋ねてしまいました。

 顔つきが変わる人が居ました。特に被害に遭ってないし、今は地震に備えた備蓄もやめたという人も居ました。あるいは、その時のことを、見知らぬ私にいきなり語りだした人が居ました。

 私は土足で人の心に踏み込んだのです。
 その割には、驚かされた程度で済んだのでしょうか。うまくやったものですって。

 いえいえ。ちゃんと食らいましたよ。

 東松島市の震災復興伝承館。ガイドの方にはみっちりお世話になりました。すさまじい被害の様相、お聞かせいただいただけですが、家に居てエロサイトやゲームをあさっているだけでは、決してできないような体験を心に刻み付けていただきました。

 言葉だけの街の復興、絆というきれいごとの裏に押しつぶされたものについては、石巻市の南浜つなぐ館において、ボランティアの方から一時間以上体験談を叩きつけていただきました。その方が怒りと共に私に吐き出したものは、まだなにひとつ、顧みられていませんでした。私はもう二度と、何も知らない人向けの震災報道を見て、心を慰めることはできません。

 しかもさらに重たいのは、こうして私が必死に回ったのは、宮城県の被害のほんの一部に過ぎないということなんです。青森県、岩手県、福島県、茨木県。私の訪れていないところに、私を打ちのめしたものと同じか、あるいはそれ以上の被害がのしかかっているのです。

 失われたもの、変わったまま戻ってこないもの。脳がすりきれるほど想像しても、ただただ戦慄するばかりです。

十年前

 あの津波が来たとき、東京よりさらに遠い西日本に居た私は、不良学生と無職の間のふらふらした身分でした。テレビもなく、インターネットでは、単に自分の心を慰めるものがかりを見て、すべて黙殺していました。それから時が流れ、出入りしていたライブハウスで東北のボランティアの体験談などを聞きながらも、まさか自分がそこに居ることにはならないだろう、なんて根拠なく思っていました。

 だから私の震災は遅れて来たのです。作家を目指すニートになって、ふらふらした無責任な心が、そういえばあの被害どうなったんだっけ、とふと思って行動力を発揮したときに。

 ただ来ただけだろうが、と言われればそれまでです。

 ですが、来ることすらしていない人の方が、この国には多いことは指摘しておきましょう。いっそどこかの独裁国家みたいに、政府が国民全員の移動の自由を奪い、年に数回強制的に被災地を見学させれば、もっと真剣に復興議論が行われ、じゃぶじゃぶの金融緩和で『億り人』を量産する以外の政策も打ち出されたはずではなかったでしょうか。

 東北に来て良かったことは、西日本の夜郎自大から脱したことです。私は西日本の人間ですので、やれ東の味が塩辛いとか、人間性が冷たいだとかいう言説をたびたび聞いたことがあります。

 そんなものは嘘です。おいしいものは、たくさんありました。いい人は、たくさんいました。東の人が冷たいなんて、嘘なんです。

 では、なんでそんないいひとたちが、こんな目に遭わなければならなかったのか。

 どう考えても、答えが出ません。だって、人間が遭っていい目じゃないですこんなの。

 ゲーム、アニメ、漫画に出てくるような強大な悪、人間を嫌い過ぎて恨み 抜いているような奴が計画して起こしたことなら、どれだけよかったか。

 そいつを殺して、悪の血で傷が癒せるなら、どれだけいいか。

 でも違うんですよ。ただ、災害があった。そして、またいつか、どこかであるかも知れない、ということだけなんです。

 災害という、突然の命の危機が誰にでも突然降りかかってくる。そのとき、少しでも痛みを軽くするために、何をするか。ただそれだけなんです。


逃げた私

 一か月の滞在後、私は逃げるようにアパートを引き払いました。そして、今のところまだ津波が襲っていない西へ帰りました。

 巨大すぎる災害のほんの上澄みの追体験でしたが、確かに私の心に大ダメージを与えました。私は、逃げることでそのダメージから遠ざかろうとしたのです。

 でも、遠ざかり切れませんでした。私はたっぷり一か月東北の空気を吸い、半田屋の定食を腹いっぱい食べて、はらこ飯やほやも食べて、紅葉鮮やかな松島の四大観の凄まじい美しさに網膜を焼かれたんです。

 素晴らしい体験でしたよ。来てよかったと本当に思いました。
 でも、そんな素晴らしい場所が、深く傷ついたんです。
 この事実が、私を離してくれません。

 もう、私は小さいころ釣りに行った綺麗な海を思い出すことができません。同じ海に行ってもだめです。津波の痕跡を見てしまった今、西日本のあらゆる海辺もまた、ある日突然、あの全てがもぎとられた状態になる。そんな確信が恐怖ととともに沸き上がるんです。

 もちろん、私の感覚はいいかげんです。だから、こう言いながらも、海に行くことはできます、釣りに行くこともできます。あの爽やかな潮風や日の光に、心を洗われることもできます。それでも、ふとした瞬間、その海が牙を剥けばどうなるかに、想像が走ってしまうんです。
(余談ですが、その海ともう一度生きて行こうと決意なさって、漁業の再興を目指す三陸海岸の方々には尊敬以外の感情がありません。皮肉ではないんです。それでも海へ出るということが、どれほど勇気のあることなのかが、伝わってくるんです)

やっぱりまとまらない

 震災から十年。私の体験からは、まだ一年と数か月です。

 私は今、東北での体験について、私の心を持て余しています。ろくに恋愛したこともなく、仕事で追い込まれた経験もなければ、のるかそるかの人生の決断からも逃げ続ける。そんな私が、好奇心で東北を訪れて背負ったものは、あまりに異質で重た過ぎました。この先の人生で何が起こったとしても、何度だって顔を出すでしょう。

 もう私は戻れないんです。あの震災の前には。
 ちょっとだけ、見なきゃよかったと思うときもあるけど。

 私は望んで行ったのです。望んで尋ね、望んで見て、感じて覚えてしまったのです。何もなくても、年だけは勝手に大人になっています。やったことの責任は取らなきゃならない。

 だから、この暇人のばか者は、死ぬまで勝手に苛まれ続けているでしょう。そしてそれでいいんです。暇人が生きていていい理由は、忙しい人の背負えないものを背負えるからなのかもしれない、と最近思いました。

 だからもしこの文章を、何かしらあの震災で引っかかる方が読んでいらっしゃるなら。

 あなたは一人じゃない、と申し上げておきます。

 あなたの一億分の一かそれ以下、あるいは何も考えてないのと同じほどわずか、かも知れませんが。勝手にやって来たこの馬鹿もまた、苦しみ続けようと思います。

 たぶん、死ぬまで。

 注記ですが、私が勝手にやってるだけなので、私を苦しませたとかは、気にしないでください。

 私だって、自殺するほど苦しむつもりもないので、本当に気にしないでください。さじ加減ができる程度に、私は嫌な大人です。

 本当に。あのとき、あの場所に居なかった者には、何も言う権利はないのだと思います。

 やっぱりまとまらないな。まとまる人なんて、いないのかもしれない。

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