ほっとするサイバーパンク

心配しすぎてたせいもあるだろうけど、とりあえず、結構ほっとした。ただ、「ほっとする」ということにどれだけ価値があるのかというと、それはそんなに大したことはないのかもしれない。

実写化が発表された時から心配、予告編でさらに心配、完全にその心配を燃料に観に行ってしまった「ゴースト・イン・ザ・シェル」。結果的には、募りに募ったその心配は解消された。ビジュアルは過不足なく攻殻機動隊って感じだし、たけしが頑なに日本語しゃべるのも、主に海外で騒がれてしまったらしい「主役がスカヨハ…!?アジア系俳優の大役のチャンスだったのに!!」問題も、まあでも攻殻機動隊なら別にありっちゃありなんだよな。アジア系俳優問題は別としても。

攻殻機動隊は懐が深い。なんたって、脳が直接ネットにつながって体がサイボーグ化する世界なわけで、もう表面上の人種とか言語とかはなんでもありだ。ただ、代わりに人間の定義も揺らぐ。劇中には架空の娘と妻の記憶を植え付けられた男とかも登場するわけで、じゃあもう「自分」とはなんぞやと。こうなった時に最後に残るのが「ゴースト」だ…ってことでいい?あってる?

※以下、若干ネタバレ

で、今回の実写版でも、一応主人公はアイデンティティーの稀薄さに苛まれる。これはアニメ版とも同じ。ただ、今回のそれは「1年前にサイボーグ化したからそれ以前の記憶がない」であり、その苦悩は結構きれいさっぱりと解決される。すごくざっくり言うと、1年前の誘拐事件を解決する話になってる。最終的に主人公は「色々あったけど、あたい、ここで生きてくよ!」(こんなセリフはない)ってな感じだ。

アニメ版では、主人公の草薙素子は最終的には広大なネットの海に溶け込んだ、ゴーストだけの存在みたいになる。高次元の存在になるって意味では、まどマギとかに近い。スカヨハつながりで「her」(そもそも人間じゃないけど)とか。それを思うと、今回の実写版の話はえらくこじんまりしてる。ある意味では、ほっとした気持ちで最後までのんびり観られる。最後は「よかったね」って思った。しかし、それがなんだよとも思う。

冒頭のクレジットを観ながら、「ああ、やっぱあれはマトリックスでやられちゃったからいまさら真似出来ないんだろうな」と思った。「あれ」とは、画面を埋め尽くすようにザーッと緑色の数字が流れてく、押井守のアニメ版、それに死ぬほど影響を受けたマトリックスのやつだ。思えば、この時点で「じゃあなんで今?」だったんだ。マトリックスの10年以上後に実現した、ほっとする感じの実写版攻殻機動隊。はじめて「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」や「マトリックス」を観終わった後のとんでもなく不穏な気持ちを思えば、「ほっとする」なんて空虚なもんだ。

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