人の複数の顔を成り行き上みてしまった時の話

他人の顔を覗き見するのは、とても面白い。

先週旅行に行って、友人が普段仕事に使う車で旅をして、それから友人たちにお土産を配り、友人の勤め先の近くとか最寄りまで届けに行った。その時に社会に見せる顔、友人に見せる顔、家族に見せる顔が切り替わっていく光景は結構面白いと思った。

普段私は友人と遊ぶとき、仕事終わりにご飯というより、休日に一緒に出掛けるとか喫茶店でしゃべり続けるとかの方が多い。家まで行くことも結構ある。しかもグループではなく、基本は1対1なので、私とその人しかいない空間になる。だからどちらかというと「素」というか、気の抜けた、生活している顔の方を知っている。

旅行中友人は基本的には私に見せる友人の顔だったのだけれど、友人の母が現れた時の女性特有の少し甘えて出来事を報告する声というのはなるほどこの人も持っていたのかと思わされた。少しゆったりとそれから少し幼くなる声と言葉には私にも心当たりがある。「○○でねえ」「○○なのぉー」という感じ。私も友人を家に呼ぶとき出来るだけそこが出ないように気を付けるが、何故だかどうにも意識しすぎて無言になってしまうことすらある。

そして帰ってきてからお土産を持って友人の勤め先の最寄りまでいった時、友人が分からなかった。妙に背筋がよくて小さな顔の人がいるなあとは思ったが、それが私の友人だと思わなかった。私服勤務だから色味の違いはあれど、さして格好に違いはないはずなのに、なんというか横顔が社会に見せている方の顔だったので、何だか妙な恥ずかしさを覚えた。それから普段とは違う筋肉が動いた立ち方をしていた。

正面から見ると、なるほどその人なのだが、何だか夜遅くまで働いているにしては顔が輝いているように感じた。しゃんとしていたというのが正しい言い方かもしれない。それから駅のライトが少し白色で明るかったことも影響があるかもしれない。「眠いな」の言葉も普段会っている時の眠る寸前ではない、人前での「眠いな」だったので本当にこの人は眠いんだろうか?眠いんだろうけど。などと失礼なことを思いながら私は帰路についた。

多分、職場の人とかみたいな「素」を知らない人の職場での切り替えだったらなんてことはないのかもしれない。電話が終わった後、お客様が帰られた後、上司が現れた時。それは全部仕事の顔だから。

「素」を知っている人の切り替えに偶然居合わせたというのが、私がなんだか面白いなあと思ったわけである。

蛇足になるのを覚悟で書くが、私の面白いはもしかしたら普通の会話で使う「面白い」とは少し違うかもしれない。感覚としては「をかし」という古語をイメージしてもらうと分かりやすい。第三者の立場から客観的に見て趣き深いなあとおもうという意味の言葉だが、私はそんなニュアンスで現代の「面白い」を使っているところがある。






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