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理想のお葬式の話

死んだあと誰かに見送ってほしいという欲は、結婚したいとかセックスしたいとか子供が欲しいとかそういうたぐいのものの同列で、場合によってはより強欲なんだと思う。

あるいは年齢によってはそれが当たり前なのかもしれないが、若者と言われる類の私が今それを考えることはちょっとだけ欲深い罪を犯している気持ちになってしまう。「罪深い私」に酔っているのではなく、単純な申し訳なさが募る。

私は特に信じている宗教もなにもないけれど、幼稚園からたまたまプロテスタントの学校に行っていたので、どうせなら教会でお葬式をしたい。洗礼を受けていない人がそれをできるか分からないのだけれど、思い付きとして書いてみる。

ちなみに弟は幼稚園こそ確か同じなんだけれど、仏教の学校の出身でそこまで強いこだわりはなさそうだ。ここら辺宗教の多様性の日本の家族の典型かもしれない。

それから、万が一仏教で火葬という流れになったとしても、讃美歌をかけたい。今の気分だと讃美歌30番の「朝風静かに吹きて小鳥も目さむるとき」というやつがいい。ハレルヤコーラスとかでもいいかもしれない。

それからエリザベートというミュージカルの『私だけに』という曲をかけてほしい。主人公が自我に目覚め、エゴイスティックな人生を送る象徴となる曲なのでやはり私の人生には不可欠だ。「私が命委ねるそれは私だけに」を文字通り忠実に生きてきた。誰にも踏み込まれない領域で勝手に生きる私を呆れながら見送ってほしい。皆の明るく酔っぱらう顔が見たいので、お酒と食事も用意しておきたい。

誰を呼ぶのかと言えば、家族と学校時代の友人と趣味の友人だけでいい。ここ数年の仕事の関わりの人たちは未来があるから呼ぶには少々気が重い。お知らせだけはしてほしいなと思う。

骨は焼いて砂漠にまいてほしい気持ちと桜の木の下に埋めてほしい気持ちとあるが、墓を選んでおかないと祖父の田舎の墓にいれられることになる。出来ればそれはやめてほしい。そういえば、母は強い散骨の願望があるから、それは承ったのだけれど、正直どっちが早く死ぬか分からないと私は本気で思っているので弟にも言っておいてほしい。

遺影は宝塚メイクでオスカルの衣装を着た写真にしようと結構本気で思っていたら、「弔問客が本気で困る」というお声をいただいたので、来年袴姿の写真を取るつもりだ。今の時代に20代向け終活サービスなんてあるわけがないので、ここら辺は同じようにお葬式に悩む母の方が幾分か有利だなあと思う。きれいな写真を撮ってもらっていた。

花はマーガレットを飾ってほしい。それからマリンカ。あとは白薔薇。カスミソウをちりばめた花束も置いてほしい。今日だけは引き立て役のカスミソウが主役だという気持ちを込めたい。

ここまで書いておきながら、事故や災害はともかく、病死はないだろうなと思っている。痛みにとても敏感な私は結構頻繁に医者に行くし、よく休んでいる。大きなけがや病気になる前に気が付いてきているので、多分気が付くと思うのだ。だからこれらがいつ行われるお葬式なのかは全く分からないが、ぼんやりと迎えたい人生の終わりの図だ。

欲張りだけど、誰かに見送られたい。今日ぐらい主役は私でもいい。


グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。