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電車に乗る能力の欠如。

昨日、人生何十回目の電車の電車の乗り過ごしをした。

寝ていて、乗り過ごしてしまうなら、まだわかる。

ちなみに私の人生最大の寝過ごしは、片田舎の急行の一駅だ。伯父が一時間先まで車で迎えに来てくれた。田舎は寝過ごしたらやばいということを学んだ。

私の多くの場合は寝過ごしではない。朝だと何となく気を失っていることが多く、夜だと単純にドアの開閉に気が付かない。目は開いたままどこかにトリップしてしまう。

音楽はほとんど聞かない。車内の音を聞きながら、思考していることが多い。気が付いたら、一駅先の大きな駅にいる。正確には地下と地上の切れ目で違う世界に来てしまったと気が付くことが多い。窓から入り込む光の変化で慌てて周囲を見回す。

それからすぐに電車が到着すると、電光掲示板の急行の表示でああまたやってしまったという気持ちになる。私の駅に急行はない。

電車に関するエピソードはまだまだあって、電車とホームの隙間に落ちたことがある。

正確には柔軟性をいかして右足を残したまま落下したり、背負っていたリュックがひっかかって助かっている。周囲からの目が気になるが、むくりと這い上がりそのまま電車に乗る。あざはあれど大きなけがはない。こちらも常習犯というか何度かあるので、次またやる日がきてもおかしくはない。

毎度周りの人をめちゃくちゃ心配させるのがよくないなとは思う。私は根っからのポーカーフェイスなうえ、もう気持ちは慣れたものなのだ。身体はびっくりしてるけど。

最近では開き直り始めた。乗り間違いとか行先間違いとか急行か各駅かそんなのは日常すぎてもはやカウントすらしていない。私は電車に乗る能力が欠如しているから仕方ないと思っている。

理論だけでいうなら、移動が徒歩か電車の二択であるために電車に乗る機会が多いから起こる確率が高いだけとも言えるし、車だったら事故になっているとも考えられる。そう、私自身の能力の低さと確率論の問題だと思っている。

他に原因があったとしても多分大きな問題でないから追求する気も起きない。周りの友人も両親も「やばい」「大丈夫?」と笑うだけだから。わたしもやばいとは思う。

やらかした翌日、まっすぐに家に帰ってこられたら、謎の高揚感が巻き起こる。今日も今から楽しみだ。


グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。