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きっと確かに愛してた。

高校三年生の夏休み、閉め切ったドア、古ぼけた蛍光灯が私たちを照らしていた。
狭い部屋にニ段ベットが四つもあって、私たちは右奥の下のベッドに横たわっていた。

授業を抜け出すような狡さはなかったから、休憩時間だったのかもしれない。避暑地らしい涼しさと独特の湿気が私たちを包んだ。静かで、人の声は何にもしなかった。蝉ぐらいは鳴いていたかもしれない。

そしておそらく私たちは会話をしなかった。

あの日の私とKは「別れ」をしていた。
後から考えればそれが最後だったと気が付いただけで、その時の私たちが何を考えていたのかは分からない。少なくとも当時の私は「別れ」だとは気が付いていなかった。

私とKは周囲から見れば少し仲の良すぎる友人だったのだと思う。正確に言うのであれば、一番近くにいる他の友人たちは私たちの間に何かが交わされていないことは分かっていたはずだ。私たちはもう一人を合わせた三人で行動していた。

先輩や後輩、部活の同期たちは時折噂をしていた。背格好の似た二人だったからよく一纏めにされた。
付き合っているのかと何度か聞かれたことがある。でもそのたびに私は曖昧に笑うだけだった。私が聞きたかった。恥ずかしそうに笑うだけの私をKが部屋から連れ出してくれることもあったし、Kがその場にいないこともあった。私がいないときに聞かれたKが何と答えていたのか私は最後まで知ることはなかった。

私たちはどちらも女の子だった。周りもみんな女の子だった。

女同士であっても肉体的な結びつきを得ることは出来る。周りにはそんな激情に突き動かされるような人たちもいたし、流行り病みたいな恋も確かにあった。

私たちにあったのはおそらく互いに少し触れあう程度の肉体の結びつきと思考を交換する精神的な結びつきだった。


読んだ本をすすめあったり、一緒にアニメを見たり、政治の話もしたし、将来の話もした。部活の話もしたし、10年後の現代日本にはMDがなくなる話もした。本当にMDウォークマンはなくなって、スマホからデータで音楽をきく時代が来たのは妙にうれしかった。

学校であっていたのに長電話をすることもあったし、メールもした。書いた文章を見せ合うこともあったし、互いの思考の中に互いの血が流れていたことは確かだった。

よく喧嘩もした。私は面と向かって怒るのが苦手でうじうじと考えてばかりだったから、Kに怒られて指摘されて無視されることもあった。他人を巻き込まない私たちだったけれど、何かに怒ったKが私と口をきかなくて、部活の同期の空気を最悪にしたことはあった。原因も結果も覚えていないけれど、あれほど他人から「謝りなよ」と言われたことは後にも先にもない。

あの日私たちは、赤ん坊がすやすやと眠るように、くの字にした身体で、同じ場所の空気を吸った。Kという人の手のぬくもりと鼻の頭の柔らかさは私の中に眠っている。

私たちは夏を終え、受験生になった。卒業式を迎え、私たちは何者でもない人になった。大学生にはならなかった、なれなかった。

そして、私をユートピアに置いたまま、Kはこの大体一年後に私と連絡を絶った。

こんなにSNSで人とつながれる時代にKとは何のつながりも持てないまま今に至った。上手にネットの海を泳ぐことの出来る人だから、きっとこういう場所にはいるのかもしれない。

私とKの関係は私とKにしか分からない。誰に分かるものでも分かられる必要を感じるものでもないのだ。でも一人で抱えるには寂しくて重すぎる思い出だから、誰かに聞いてほしかった。

グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。