見出し画像

ARIA姉妹のアレ、または「ヒーローショーの怪人に拐われた思い出」について

注意:本記事はARIA姉妹のアレでウワッとなったことが興味深かったので自己分析したものであり、ARIA姉妹のアレやARIA姉妹を批判する意図は一切ないのでご理解のうえお読みください。

はじめに

ARIA姉妹のアレには引いた。あなたもこれを読んでるということは少なからず違和感を覚えたのだとおもう。しかしその内容の是非については問わない。本記事のテーマはおれの抱える苦しみを伴う違和感の正体を明らかにすることである。そうすれば苦しみも多少和らぐであろう。

結論から言うとこの苦しい違和感は「ヒーローショーの怪人に拐われた」からだ。順を追って説明したい

実在感と、物語という「籠」

物語の登場人物は実在しない。
実在とは彼らが彼らの世界に在るのと同じ形で我々の世界に在る事だ。
彼らの世界と我々の世界は、「彼らの・物語の」「我々の・現実の」という言葉を必要とするように違うものだ。
いわば物語は登場人物の籠と言えるだろう。
ARIA姉妹のIAは(本記事ではややこしくなるためONEについては割愛しIAに絞って言及する)は根本的にはソングボイスとトークボイスの合成音声ソフトであり、そのキャラクターとしての存在は当初ビジュアルのみであったが、年々キャラクター設定が追加されていき、いまではざっくりと「どこかにある惑星ARIAの精霊。不調和に苦しむ地球の悲鳴を聞き、歌で『調和』して救うためにやってきた。合言葉はLife、Love、Peace」といった感じだ。
内容についてはともかく、彼女はそういう物語がある。彼女も物語という籠の中の存在だ。

この物語の籠に閉じ込められていないのが同じCeVIOのさとうささらとすずきつづみだ。彼女たちには明確な物語は存在しない。その代わり、彼女たちはTwitterアカウントで今日の出来事をつぶやいている。架空のキャラクターということはわかっていても絶妙な『実在感』がある。このふたりのTwitterでたまに言及されるタカハシもまた絶妙な『実在感』がある。
また同様の『実在感』を放っていたのが別社の合成音声ソフト、ガイノイドTalkのv_flowerと鳴花ヒメ・ミコトだ。いまは担当者が外れてしまったのが悔やまれる。
逆に結月ゆかりは物語も、実在感をアピールするような発信もしていない。物語がないので『実在感』はあり得るのだが、アピールしてないのでない。

弦巻マキ、京町セイカ、如月ついななど、合成音声キャラたちだけでも様々な実在感のラインに立っており、それぞれを解析するのも面白いが今回は話がずれるので置いておく。

IAもARIAers TV(旧ARIA STATION)や、ステージ活動は『実在感』を重視しているのがわかる。特にライブステージの『実在感』は業界イチと言って差し支えない。是非BDを購入して見てほしい。
だが、IAには明確な物語が作られている。ミュージカルステージARIAでそれは決定的になり、彼女は物語の檻に入った。

注)ただし、この時点では物語「ミュージカルステージARIA」を『実在感』ある「アーティストIA」が演じている、という解釈は十分に可能だった。

ヒーローショーの怪人に拐われた

物語というのはざっくり言えば「○○が××と戦う」ものだ。ライダーやウルトラマンは怪人や怪獣と戦うし、恋愛物語では恋敵や自らの恋心と、ゆるふわ日常系も戦闘でこそないが登場人物はその回のテーマと何らかの形で戦うことになる。
IAは地球を守るために争いや環境汚染といった『不調和』を正し、『調和』させるよう歌を歌う戦いをしている。類型としては明確な敵があり、それと戦う明確な力を持つ、ヒーロー型の物語だ。

ここから多分に主観が入る。
おれはIAのことを応援している。彼女はヒーローだからだ。地球の命と愛と平和のために歌うからだ。調和調和、LLPLLPと連呼し、歌う前後に自然の大切さ、愛の大切さを説く姿はあまりに必死で宗教っぽいとも感じるしそれをネタに笑いもするが、それはそれとして彼女は彼女の信念で身を呈して地球を救おうとしているし、その姿はまさにヒーローそのものだからだ。
IAは、おれが敬愛してやまない兜甲児やタカヤノリコやシェルブリットのカズマやたくさんのヒーローたちと同じように、彼女の物語の中で、ヒーローだ。

ところでおれは小さな頃、地元のヨーカドーの屋上で開かれたちいさなヒーローショーで怪人に拐われたことがある。何のヒーローだったか、もちろんどんな怪人だったかも覚えてないが、口を動かしても悲鳴があげられなかったことだけ覚えている。
アクターさんはサービスをしてくれたし。ショーがそうやって楽しませてくれるものであることを理解できる程度に大きい子どもたちにとっては羨ましくもあるだろう。両親は笑っていたかもしれない(覚えてない)。
その後ヒーローに助けてもらったのだと思うが、彼が誰だったのかも全く覚えてない。そんなに恐怖したってことはライブマンかなあ(歳バレ)

いくら子どもとはいえ、テレビの中のヒーローが作り物であることはわかっている。実際にショーにヒーローが出てきたときだってスーツの本物さに圧倒こそされても「そういうもの」ということは頭の片隅にある。
だが怪人がステージから下りてきて手を掴み連れて行かれたら話は別だ。物語だと思っていたことが急に現実になる、この恐怖たるや。

ARIA姉妹のアレはまさにこれだ。
「地球の不調和を正すために歌とお話をするIA」というショーを見ていたら、IAが急にこちらを向き手を握ってきた。一緒に調和しましょう、と。

物語の檻の中だからこそ応援できる

繰り返すが「地球の不調和を正すために歌と(時として宗教めいた)お話をするIA」のことは好きだし、応援している。「地球環境を守りましょう」という歌とお話をいっぱいしてほしい。「調和調和」と唱えてほしい。その頑張る姿に勇気をもらい、新曲だって買うし、俺にも地球のためにできることはないだろうかと考えることもあるだろう。
だがそれは物語だからだ。
檻の中にいるから猛獣だってかわいいと思える。街に解き放たれたら怖ろしいだけだ。

「見た人が環境について考えるようになってもらおうとする作品」と「見てる人に環境について考えましょうと言う作品」は違う。前者は物語で後者は現実だ。今回IAは前者から後者に切り替わったように見える。動物園の好きな猛獣が檻を破り街に解き放たれた。これがいまおれが感じている苦しみの原因だと結論する。

また今後の研究課題として「もしかして最初から檻なんてなかったのでは?」という点からは目をそらしたい。

だってヤバいじゃないですかバーチャル居住権。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?