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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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2017年4月の記事一覧

#0048【乾隆帝(中国、18世紀後半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週最後は清の最盛期を現出した乾隆帝(けんりゅうてい)です。 乾隆帝は清にとどまらず「中華帝国」としての最盛期をもたらした人物とも評価できます。秦の始皇帝以来脈々と続いてきた中華帝国に咲いた最大の花といえるでしょう。 彼は康熙帝・雍正帝時代に培われた帝国の基盤を使って、清の領域を拡大していきます。自ら10回の遠征をおこない、全てにおいて大戦果を収めたとの主張を込めて「十全老人」と号します。 このときに「新疆(しんきょう:

#0047【雍正帝(中国、18世紀前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今日は康熙帝の次の清の皇帝「雍正帝(ようせいてい)」です。 彼の治世は1722年から1735年までの13年でした。康熙帝が61年、次の乾隆帝(けんりゅうてい)が60年の治世を誇ったことに比べると短い期間です。しかし、この間に雍正帝は多くの政治的実績・業績を上げています。 まず、征服者である遊牧民の満州族は、被征服民の漢民族に対して締め付けを行います。 中国では古くから「科挙」という試験を行って官僚を漢民族から登用していま

#0046【康熙帝(中国、17C後半-18C前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国の清朝から康熙帝・雍正帝・乾隆帝を取り上げます。 今日は康熙帝(こうきてい)です。 清の国は、満州(現中国東北三省)で成立した北方遊牧民の王朝でしたが、康熙帝の父である順治帝(じゅんちてい)の時代に中国へと進出します。 1661年に順治帝が若くして亡くなったあと、康熙帝は8歳で即位しました。当初は長老たちによる政治運営でしたが、16歳の時に長老たちを実力で排除し、その後は康熙帝が自ら政治に携わります。 康熙帝

#0045【木曽三川 宝暦治水事件(日本、18世紀中盤)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 東海地方特集最後は「宝暦治水事件」を取り上げます。 長良川・揖斐川・木曽川の木曽三川は、細かく枝分かれし、河口では相互が入り組んだデルタ地帯を形成しており、古くから川の氾濫による人的・物的被害をもたらしていました。 その一方で、豊穣な土地や水産物、水運の中心を担うなど重要な役割も果たしていました。 江戸時代に入り徳川幕府は、古来より為政者と民衆を悩ませていた木曽三川の治水工事に取り組むことを決めました。しかし、幕府自体が

#0044【静岡茶の歴史(日本)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 東海地方特集第二回は静岡のお茶の歴史を紹介します。 静岡県は風光明媚で温暖な土地です。温泉地も有し北には富士山を始めとした山々が連なり、安部川・大井川・天竜川などの河川が南北を縦断し、南には桜エビなどの水産物が豊饒な海に面しています。西部には浜名湖があり、こちらはウナギで有名です。 旧国名では西から遠江国、駿河国、伊豆国に分かれていました。 名産品の多い静岡ですが、今日は特に「お茶」を取り上げたいと思います。 日本にお

#0043【岐阜の由来(日本、16世紀後半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は東海地方特集をしたいと思います。月曜日に岐阜、水曜日に静岡、金曜日に木曽三川を取り上げます。 ご存知の方も多いと思いますが、「岐阜」の名付け親は織田信長です。 尾張(現愛知県西部)から美濃(現岐阜県南部)に攻め込んだ信長は、美濃の首府だった稲葉山城と城下町井ノ口を手に入れます。 長良川が脇に流れる交通の要衝でもあり、京都への上洛を目論んでいた信長は、尾張からこの井ノ口に移転します。家臣たちとその家族も引き連れての移

#0042【マキャヴェリ(イタリア、15C末-16C前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今日は『君主論』の著者として有名なマキャヴェリを紹介します。 マキャヴェリは1469年にフィレンツェの貧しい家庭に生まれます。1469年には#0040で紹介したロレンツォ・デ・メディチが20歳でフィレンツェの統治を始めています。 マキャヴェリは青春時代をロレンツォ統治下で過ごすことになりますが、20代前半から後半にかけては、ロレンツォ死後の混迷する政治情勢とサヴォナローラによる神権政治を目の当たりにします。 サヴォナロー

#0041【サヴォナローラ(イタリア、15世紀後半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今日はフィレンツェで神権政治を行ったキリスト教宗教改革の先駆者に数えられるサヴォナローラを紹介します。 彼は1452年にフェラーラというイタリア北部の都市に生まれます。医者の家系で、自身も医者となるべく医学校への進学準備をしていましたが、突如それを放棄してドミニコ会というキリスト教修道士の組織に入りました。 1482年にフィレンツェにある修道院に赴任すると、その説教壇から痛烈な言葉でフィレンツェの腐敗ぶりを批判し、民衆に対

#0040【ロレンツォ・デ・メディチ(イタリア、15世紀後半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週はイタリアのフィレンツェ特集です。フィレンツェは15世紀にルネサンスの中心地として栄えた地域です。この時代に活躍した人物たちを取り上げます。 本日紹介するロレンツォ・デ・メディチは、フィレンツェを実質的な君主として支配したメディチ家の人間です。 メディチ家は14世紀後半から銀行業で成功し、その財力をもってローマ教皇庁の金融業務で優位な地位を占めます。ローマ教皇人事に介入するほどの勢力を誇り、フィレンツェにおいても、15

#0039【平城京遷都(日本、8世紀前半)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 水曜日の続きです。 707年に25歳の若さで文武天皇は亡くなります。彼の息子、首皇子(おびとのみこ)はまだ7歳でした。 首皇子への皇位継承を確実にするために、文武天皇の母が元明天皇(げんめいてんのう)として即位しました。 元明天皇は、708年に唐の長安を模した碁盤の目に街道を整備した大規模都市の建設を進めました。710年にはその都市に遷都し「平城京(現、奈良)」と呼ばれるようになります。 また、時を同じく

#0038【大宝律令制定(日本、7C末-8C初)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月曜日の続きです。 壬申の乱に勝利した天武天皇は、勝利に尽力した豪族たちを中心とした新しい身分秩序の整理を行います。これを「八色の姓(やくさのかばね)」の制定といいます。 その後、「飛鳥浄御原令(あすかきよみはられい)」という律令の整備、現代でいえば憲法等の法制度の整備に取り組みますが、道半ばで686年に亡くなります。 彼の死後は、天武の皇后(妻)が即位し持統天皇となります。 持統天皇自身も元々皇族であり

#0037【壬申の乱(日本、7世紀後半)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 4月に入って最初の月曜日ですが、新生活をスタートされた方もいらっしゃるのではないかと想像しています。 今週は日本史を年代順に取り扱います。#0027【大化の改新】の続きからです。 日本を天皇中心の律令国家へすべく改革を推し進めた天智天皇と中臣鎌足死去後、天智天皇の後継を巡って争いが起きました。古代日本最大の戦乱「壬申(じんしん)の乱」です。 天智天皇の息子である弘文天皇(大友皇子)と天智天皇の同母弟である大