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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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2018年3月の記事一覧

#0186【マラトンの戦いとエヴァンゲリオン(ペルシア戦争、BC500年~BC479年)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週の世界史通史シリーズでは、古代ギリシア文明を取り上げています。 BC900年以後、現トルコ西岸(ギリシア半島の対岸)にはギリシア人による都市が建設されていました。 これらの都市はアケメネス朝ペルシアという現トルコ・シリア・イラク・イラン・エジプト等の領域を支配する大帝国が成立するとその支配下となりましたが、その都市の一つミレトス市がBC500年にペルシアに対して反乱を起こします。 これをアテネが支援することによって、ペル

#0185【スパルタ教育の発祥(ギリシアのポリス国家、BC900年頃~BC500年頃)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 BC1200年頃に突如としてエーゲ文明が滅亡してから、現ギリシャとトルコ西岸部を含んだ地中海世界は、約400年間の暗黒時代という文字記録のない時代となりました。 発掘調査によれば、ギリシアで文化が消滅したわけではなく、その期間においても後期エーゲ文明を基にして進化した土器が作成されており、BC900年頃からは人々の集住が確認されています。 BC900年以前は、他文明(エジプトやメソポタミア)などの交易記録にも現れず、大規模

#0184【繁栄と黄金のマスクの謎(エーゲ文明、BC3000年頃~BC1200年頃)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は世界史通史シリーズとして古代ギリシア文明を取り上げます。 古代ギリシアにおける最古の文明 は、現ギリシア半島とトルコ西岸の間のエーゲ海一帯に栄えたエーゲ文明です。 高度な建築様式を保ち、遺跡からは豪華な調度品や黄金のマスクなどが発掘されるなど、裕福さを誇った栄華の痕跡が見つかっています。 しかし、その実態は謎に包まれています。同時期に栄えた古代エジプト文明やメソポタミア文明などは遺跡発掘以外からも多くのことが分かってい

#0183【まるで花火のように(樋口一葉、1872年‐1896年)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 明治の女流作家特集のトリを飾るのは樋口一葉(いちよう)です。 現在日本の5000円札の顔となっている樋口一葉。 ちなみに戦後日本の紙幣で初の女性が採用されたものです。 樋口一葉については、目に触れる機会は多くあると思いますが、どんな人物だったのでしょうか。 彼女は、1872年5月2日(明治5年3月25日)に東京で生まれています。本名は夏子、戸籍名は奈津。本文では以下、樋口一葉に統一します。 一葉の祖父は、彼女が生まれる前

#0182【ちょっと小説書いてみた(三宅花圃、1869年‐1943年)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は明治に活躍した女流作家を特集しています。 前回の与謝野晶子の次は三宅花圃(かほ)です。 彼女は1869年2月4日(明治元年12月23日)に東京で元江戸幕府の家臣であった家に生まれました。三宅花圃はペンネームで、本名は龍子(竜子)、旧姓は田邊です。以下三宅花圃で統一します。 なお、日本は昔は現在の太陽暦ではなく、太陰太陽暦という西洋の暦とは異なった暦(いわゆる旧暦)を使用していたため、旧暦と西暦で誕生の日付が異なってい

#0181【君死にたまふことなかれ(与謝野晶子、1878年‐1942年)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は明治を代表する女流作家を紹介したいと思います。 まずは『君死にたまふことなかれ』で有名な与謝野晶子です。 晶子はペンネームで本名は「志よう(しょう)」です。そこから晶(しょう)としてペンネームに用いました。以下本文では晶子に統一します。 晶子は1878年に大阪で老舗和菓子屋を営んでいた鳳(ほう)家の三女として生まれました。 家業は没落しかけていましたが、9歳で漢学塾に入り、お琴や三味線などの習い事もし、女学校に入ると源

#0180【会議は踊る(タレイランとナポレオン、フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週はフランス革命シリーズをお送りしていますが、最後はタレイランを紹介します。 タレイランはフランスの外交官・外務大臣として活躍した人物です。 色男で数多くの女性と浮名を流し、フランス七月革命(1830年)を描いた『民衆を導く自由の女神』の絵で有名なウジェーヌ・ドラクロワ(1798年誕生)の母とも関係があったと言われています。 ドラクロワの父は、1797年に外務大臣のポストもタレイランに奪われていました。 タレイランはバ

#0179【力の源泉(シェーエスとナポレオン、フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週はフランス革命シリーズ。 前回はナポレオンがバラスによってイギリス方面軍の司令官に転出させられたところまででした。話の続きに入る前にもう一人、フランス革命の役者を紹介します。 シェーエスという人物です。彼はフランス革命初期に『第三身分とは何か』というパンフレットを書き、聖職者(第一身分)や貴族(第二身分)ではなく一般民衆(第三身分)こそが国を支えているのだと檄を飛ばしました。 法律家として、民衆からの信頼も厚かったシェー

#0178【恐怖政治からの保身・反動(バラスとナポレオン、フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週はフランス革命シリーズです。これまで革命初期について取り扱ってきました。 (過去のフランス革命シリーズURLは末尾に掲載。) 前回、急進的な革命勢力であり、強権・恐怖政治をしいたジャコパン派の政権が打倒されるところまでを取り上げました。 フランスは革命後にカトリック教会によって定められたグレゴリオ暦(現在の我々も使っている暦です。)を廃止して毎月を30日の12か月にし、残りの5日(閏年で6日)を年末休暇にあてた暦、革命暦

#0177【元寇、弘安の役(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。月初の日本史通史シリーズ。 対馬・壱岐での被害はあったものの、何とか一度は元・高麗連合艦隊を追い返すことに成功しました。 (前回:No.176【元寇、文永の役】) 実はこの時、中国大陸の方では南宋は滅んでいませんでした。元は、長江の重要拠点を1273年~1274年にかけて奪取していましたが、南宋の抵抗は続いています。 その合間に前回の文永の役(1274年11月)が起きていたのです。派遣された兵隊の数も3万人という規模でした

#0176【元寇、文永の役(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は日本史通史シリーズです。 モンゴルが日本に襲来する前に激動の中国大陸について前回概括しました。 今回は【No.163:北条時頼と得宗体制】の続きからモンゴル襲来前の鎌倉幕府内の状況を確認します。 鎌倉幕府は北条氏が主導する体制を5代執権北条時頼の時に確立します。 時頼は、1256年に執権の地位を父の従兄弟である北条長時に譲りますが、実権は握り続けました。 しかし、その時頼が1263年に36歳の若さで世を去ります。

#0175【モンゴルの台頭と日宋貿易(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回の日本史通史は【No.165 貴族と武士の土地争い】を取り扱いました。 日本国内の土地の権利争いを取り上げた内容となっていましたが、ここで日本列島から目を大きく大陸に向けたいと思います。 日本は古来から朝鮮半島、中国大陸と公式・非公式に交流を持っていました。 中国が唐という国家で安定していた時代には、日本から遣唐使が派遣されて公式な交流を続けていましたが、894年に菅原道真の提案

#0174【父母兄弟。入り乱れる家族の愛憎(旧約聖書、エサウとヤコブ②)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 前回【0173:相争う「剛」の兄と「智」の弟(旧約聖書、エサウとヤコブ①)】の続きです。 兄弟仲の悪かった長男エサウと次男ヤコブ。二人の対立は父イサクの死の間際に決定的となります。 <>内は旧約聖書からの引用を基に記述。 <イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきていました。そこで長男エサウを呼び寄せてこう語りかけます。 「息子よ。わたしはいつ死ぬか分からない。今すぐに獲物を獲ってきて、私の好きな美味しい料理を作っ