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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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不定期で歴史に関する小話を配信しています。スマホからでもパソコンからでもお気軽にお読み頂けます。過去分も是非ご覧ください。
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#世界史

#0250【愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今回を以て一旦の区切りとさせて頂きます。最後のメール配信です。 これまで様々な角度から歴史を取り上げてきました。歴史ときくと、「事実・知識を覚えること」、「昔のこと=いまと関係ない」、「時代が違う」といったイメージが生じる人も多かったと思います。 このメルマガは、歴史に通っている血流というか体温というか、熱気というものを感じて頂ければと思ってスタートさせました。 独立以後、様々なメディア・媒体にて歴史を軸に

#0246【朝鮮の太祖李成桂(朝鮮半島の王)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は朝鮮半島の歴代王朝の初代王様を紹介します。 今回は朝鮮半島最後の王朝となった李氏朝鮮の創業者である李成桂です。 朝鮮民族・朝鮮半島といった現代における日本語表現や韓国語表現に大きな影響を与えている国名「朝鮮」は、李成桂が国王となったときに、中国よりも東にあることから「朝が鮮やか」と名付けました。 朝鮮の前王朝である高麗は、中国がモンゴル民族の支配下に置かれるときを同じくしてモンゴルの侵略にあいます。 ソウル近郊の江

#0245【高麗の太祖王建(朝鮮半島の王)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は朝鮮半島の歴代王朝初代国王を紹介しています。 前回紹介したとおり超大国唐の力を借りて朝鮮半島を統一した新羅も9世紀後半となると、その勢力に衰えが見られ始めます。 唐自体も10世紀初頭に滅亡してしまいました。朝鮮半島では新羅王朝の力が弱まると旧高句麗領と旧百済領をそれぞれ中心とした後高句麗と後百済の勢力が生まれ、朝鮮半島は後三国時代と呼ばれる混乱期に突入します。 後高句麗を建国した弓裔(きゅうえい)は、北方での新羅反乱

#0244【新羅の太祖金春秋(武烈王)(朝鮮半島の王)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は朝鮮半島の歴代王朝の初代王様を紹介します。 朝鮮半島の歴史は、中国の支配郡に組み込まれていましたが、中国が混乱するとやがて独立した勢力へと成長していきます。 特に現在の中国東北部と北朝鮮にかけては「高句麗(こうくり)」、現在の韓国西部に「百済(くだら、ひゃくさい)」そして韓国東部に「新羅(しらぎ、しんら)」という三国に分かれて争っていました。 高句麗は非常に勇猛な国で先史時代の日本を蹴散らしたとの碑文が残されていたり、

#0240【大英帝国と米国の台頭(イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 1914年から1918年の4年間にわたる総力戦により、イギリスも大きく傷つきました。 イギリスは何とか第一次世界大戦に勝利することが出来ましたが、そこには米国の参戦なしではありえませんでした。 また大英帝国を構成する各植民地政府とその地元民に対して独立を約束し、植民地の支えもあっての勝利でした。 米国の国際社会での発言権は強まり、こういった世界大戦を再び引き起こさないような仕組みとして国際連盟(League of Na

#0239【大英帝国と第一次世界大戦(イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は大英帝国の歴史を紹介しています。 植民地獲得競争に勝ち抜くことによって勢力を増していった大英帝国ですが、逆にその植民地を維持するコストが重圧となってきました。 光栄ある孤立政策の放棄を進めながら、各国との連携やドイツの封じ込め政策、植民地政府の協力の取り付けなどに取り組みます。 植民地政府には、イギリス本国から派遣されたり移住したりしたアングロサクソン系の人間が中枢を担っていましたが、スタッフは現地採用の人々が多くい

#0238【大英帝国の斜陽(イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今回は大英帝国の歴史を取り上げます。 以前、以下のとおり大英帝国を取り上げたことがありました。 No.217【大英帝国の萌芽】 https://note.mu/1minute_history/n/nea455b4b94f1 No.218【大英帝国の動揺】 https://note.mu/1minute_history/n/n19ecb2d08dfb No.219【大英帝国の絶頂】 https://note.mu/1min

#0234【古代ギリシアの民主政と衆愚政治(世界史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は古代ギリシアの歴史をみています。 前回: No.233【ペロポネソス戦争】 前回の最後に古代ギリシア人は北方にいたマケドニアに敗れて支配されることになったと語りました。そのマケドニアからアレクサンドロス(アレキサンダー)大王が出てくるのですが、その話はまた別途します。 今回は、なぜアテネが古代ギリシアの盟主の座から落ちてしまったのか。その原因について考察します。 アテネの政治の特徴は、直接民主制です。アテネ市民は議員

#0233【ペロポネソス戦争(古代ギリシア、世界史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。前回は古代ギリシア文化の全体像について触れました。 今回はNo.186【ペルシア戦争】の続きです。 BC479年にプラタイアの陸上戦で、アテネ・スパルタ連合軍がペルシアを倒すと、ペルシアはギリシアから撤退します。 ペルシアは現在のイラン・イラク・トルコ・エジプトを領有していた大帝国でした。ギリシアは戦争に勝利したとはいえ、油断すると再びペルシアが攻めてくる可能性が秘められていました。 そのため、ペルシアが攻めてきたときの備え

#0232【人間中心の古代ギリシア文化(世界史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は噛み砕いて解説する世界史シリーズです。 現代にも色濃く影響を残している古代ギリシア文化について取り上げます。 学生時代に歴史が好きだった方でも「文化史」となると、あまり得意ではなかったかもしれません。 出来事や人物には、前後関係や因果関係、流れが存在するため一度コツを掴むと理解が早く進むケースがあります。 「文化史」と単品として取り上げると下手すると単語の羅列、しかも世界史の場合は、人名がカタカナで馴染みがなく覚え

#0225【風は蕭々として(荊軻、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国史記の世界から刺客列伝に登場する五人を紹介しています。 前回の最後に取り上げた聶政の事件から220余年が経ちました。時代は国力を増大化させた秦の下、急速に中華統一への流れが加速していきます。 (前回:No.224【ただ恩義に報いるのみ(曹沫、専諸、聶政)】) 燕(現北京近郊)の国の太子(王様の後継ぎ)は、秦王政と同年代であり幼馴染でもありました。中華統一へと邁進している秦の勢いに恐れをなした燕は、自国の太子を

#0224【ただ恩義に報いるのみ(曹沫、専諸、聶政、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国史記の世界から刺客列伝の五人を紹介。今日は、前回紹介した予譲の時代よりも前の人物を二人、後の人物を一人取り上げます。 (前回:No.223【士は己を知る者のために死す(予譲)】) まず、曹沫(そうばつ)ですが、この人物は以前No.145で取り上げた【管仲(BC7世紀前半)】と同時代であり、魯(ろ)の国(現中国中央部に位置)の将軍でした。 No.145URL https://note.mu/1minute_hi

#0223【士は己を知る者のために死す(予譲、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 中国最初の正史と言われている史記には、刺客列伝という五人の「刺客」を集めた箇所があります。今日は、予譲(よじょう、生年不詳ー没年BC453年)という人物を取り上げます。 予譲は、智伯(ちはく)という人物に仕えていました。その前に二人に仕えましたが、うだつが上がらない状態でした。一方、智伯は予譲を尊敬して遇していました。 智伯は優秀な人物で、自分の勢力を拡げようと戦乱の中国(始皇帝の統一より約250年前)において知略をめぐら

#0219【保革交代政治が前進を産む(大英帝国の絶頂、イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。ナポレオン戦争も勝ち抜いたイギリスは、着実にその地位を伸張させます。 (前回:No.218【新旧両大陸に挟まれて(大英帝国の動揺)】) そして1837年に即位したヴィクトリア女王の治世下において、大英帝国は絶頂期を迎えます。 彼女の時代に、イギリスはインドを完全に植民地化(1877年)。さらに中国の清王朝にアヘン戦争(1840年~1842年)で勝利、香港割譲。南アフリカではダイヤモンドの権益を手に入れるなど、破格の拡張期を迎