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#0186【マラトンの戦いとエヴァンゲリオン(ペルシア戦争、BC500年~BC479年)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週の世界史通史シリーズでは、古代ギリシア文明を取り上げています。

BC900年以後、現トルコ西岸(ギリシア半島の対岸)にはギリシア人による都市が建設されていました。
これらの都市はアケメネス朝ペルシアという現トルコ・シリア・イラク・イラン・エジプト等の領域を支配する大帝国が成立するとその支配下となりましたが、その都市の一つミレトス市がBC500年にペルシアに対して反乱を起こします。

これをアテネが支援することによって、ペルシアとギリシアの都市国家ポリス連合による長期間の戦争が起きます。ペルシア戦争です。
この戦争においては、歴史上有名な個別の戦いも数多く起きています。

もっとも有名なものが、BC490年に起きたマラトンの戦いでしょう。

ペルシア軍が海を渡ってギリシアに上陸すると、アテネの重装歩兵とマラトンで交戦。アテネがペルシアの大軍を打ち負かしたのです。この勝利をマラトンからアテネに一刻も早く伝えようと伝令が駆け抜けます。

伝承によれば、その伝令は「我、勝てり」とエヴァンゲリオン(良い知らせ)を告げると絶命したと言われています。

この故事にならい、 マラトンーアテネ間の距離40キロ弱を元にした長距離走種目として近代オリンピック発足の1896年に新種目「マラソン」がうまれたのでした。
なお42.195キロという距離が最初に採用されたのは、第4回ロンドン・ オリンピック (1908年)のことであり、第8回パリ・オリンピック(1924年)以後、この距離で統一されました。

アテネの勝利は、ギリシア諸都市を奮い立たせるとともに、超大国ペルシアの威信を傷つけました。
ペルシアは威信回復のためにBC480年に再度、海を渡ってきます。

テルモピレーの戦いでは、スパルタ陸軍をペルシアの大軍が粉砕、スパルタ王も戦死する壮絶な戦いとなりました。

一方、サラミスの海戦でアテネ海軍がペルシア艦隊を粉砕。

翌BC479年にプラタイアの陸上戦で、アテネ・スパルタ連合軍がペルシアを倒すと、ペルシアは撤退。ペルシア戦争はギリシア側の勝利で幕を閉じました。

再び、ペルシアが攻めてきたときの備えとして、ギリシア諸都市はデロス同盟を結び、その盟主・リーダーとしてアテネが指導的立場に立ちます。

対ペルシアでは勝利を収めましたが、その後ギリシア諸都市での間による権力争いが勃発していきます。

世界史通史シリーズも不定期に掲載していきます。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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