#0182【ちょっと小説書いてみた(三宅花圃、1869年‐1943年)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は明治に活躍した女流作家を特集しています。

前回の与謝野晶子の次は三宅花圃(かほ)です。

彼女は1869年2月4日(明治元年12月23日)に東京で元江戸幕府の家臣であった家に生まれました。三宅花圃はペンネームで、本名は龍子(竜子)、旧姓は田邊です。以下三宅花圃で統一します。

なお、日本は昔は現在の太陽暦ではなく、太陰太陽暦という西洋の暦とは異なった暦(いわゆる旧暦)を使用していたため、旧暦と西暦で誕生の日付が異なっています。

日付が西暦で統一されたのは、1873年(明治6年)1月1日からです。

花圃は当時の女子最高学府として設立された東京高等女学校(お茶の水女子大学)専修科に入学して1889年(明治22年)に卒業しています。

10歳から良家の令嬢たちとともに和歌を学ぶ一方、西洋教育も受けて洋装で洋書を読み、男女交際もし、馬車で舞踏会に行くような進歩的な環境下で多彩な教養を身に着けます。

旧幕臣ながらも父は元老院議員になるなど比較的安定した家計ではあったものの、花圃を含めた子どもたちの教育費用がかさんでいました。

1886年に花圃の兄が満20歳の若さで地中海において客死します。翌年、その一周忌法要を執り行う費用がないことを母と執事が嘆いていることを聞くと、花圃は突然「小説を書いて費用を作ろう」と思い立ちます。

たまたま、坪内逍遥の『一読三嘆当世書生気質』を読んで「これなら私でも小説が書ける」と考えたのです。

小娘の世間知らずな発想と思いきや、彼女が一気に書き上げた『藪の鶯』は坪内逍遥に校閲を頼むことができ、さらに父の出版社の知り合いの力添えもあって1888年6月に出版されました。

女性による初の近代小説の出版ということもあり、『藪の鶯』は大変な好評を得て、翌年には再版までされました。

兄の法要も無事に営むことができたのです。

花圃はその後、1892年に三宅雪嶺と結婚。夫を助け5人の子どもを育てながら、小説・随筆に取り組み1920年には雪嶺とともに雑誌『女性日本人』を主幹し、多くの論評を発表していきましたが、昭和に入ると文学界から遠ざかり、1943年に76歳で没しました。

「小説を書きたい」ということよりも、あくまでも法要費用を得るための手段として、日本での女性初の近代小説が誕生したという点に面白みを感じます。

花圃の成功をみて、若い女性が積極的に小説家を目指すようになりました。

さて、その中には現在日本の5000円札紙幣の肖像画となっている樋口一葉がいたのでした。

以上、本日の歴史小話でした!

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