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#0114【不信仰者でも救われる(旧約聖書:イサクの誕生予告)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週の旧約聖書の物語は「イサクの誕生予告」で締めます。

前回No.113話【行いよりも、心のあり方(旧約聖書:アブラムとの契約)】でアブラハムは神から星の数ほどの子孫を抱える諸国民の父になることを伝えられました。しかし、正妻のサラとの間には一向に子どもができません。

悩んだサラは自分のエジプト人女奴隷のハガルをアブラハムの側室にすることを提案します。やがて、アブラハムの子を宿したハガルは、サラに対して不遜な態度を取るようになりました。

サラはアブラハムに不満を訴え、アブラハムはハガルをサラの元に引き渡します。サラから辛い仕打ちを受けたハガルは身籠ったまま逃亡しました。

<>括弧内が聖書からの引用です。

<サラのもとから逃げ出すと神の使い(天使)がハガルに遣わされました。
「ハガルよ。サラのもとに帰り、従順に使えなさい。」
「やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。」>

アブラハムとハガルの間には天使の言葉通り、男児が誕生しました。ちなみに、このイシュマエルの子孫がアラブ人になったと伝承されています。

一方のサラですが、もはや年老いてしまい子が生まれる望みもないまま日々を過ごしていると、アブラハムの元に客人がやってきます。

<「わたし(客人の一人)は来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなた(アブラハム)の妻サラに男の子が生まれているでしょう。」

サラは天幕の後ろでこの話を聞き、ひそかに笑いました。すると客人は消え、神が突如として現れて、アブラハムを詰問します。

「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子どもが生まれるはずがないと思ったのだ。わたし(神)に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」

サラは恐ろしくなってしまい、神の御前にまかり出て「わたしは笑いませんでした。」と告げましたが、「いや、あなたは確かに笑った。」>

神がアブラハムとサラとの間に子どもができるということをサラが不信仰ゆえに取り合わなかったことをたしなめています。

この誕生予告を受けたあとに実際にサラは子どもを身籠り男子を産みますが、その子の名前を「イサク(彼は笑う)」と名付けるよう、神は指示しました。

この寓意には、二つのことが込められていると理解しています。

一つは神に不可能はないこと、神の言葉は必ず実現するということ。

二つ目は、不信仰者であっても神は救う余地があるということです。

特に二点目について踏み込んで解説すると、不信仰ゆえにサラは最初、神の言葉を「せせら笑い」ました。(言っている客人が神とは知らずにですが。)

その後、神に恐れをなしたサラは改心しますが「笑った」という事実の撤回を神は許しませんでした。しかし、言葉通りにサラに待望の男児を授けるのです。

これは、サラの「せせら笑い」を「歓喜の笑み」へと神が昇華したことに通じます。人間のどんな行為も神の前では、容易にその意味を真逆に変えることができるとの意を汲んでいるものと思います。

「イサクの誕生予告」は、日本人に馴染みが薄い話ですが、込められている寓意は非常に示唆に富んでいます。

今回の「旧約聖書の物語」はここまでですが、この待望のイサクを巡って、神はアブラハムにある難題を突き付けます。

以上、今週の歴史小話でした!

(続き:No.133【不合理の果てに(旧約聖書:イサクの献納)】)

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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