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#0122【裏切りの果てに(松永久秀)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
信長を裏切った男たち特集、第二弾は松永久秀です。

ちょっとマイナーかもしれませんが、戦国時代を象徴するような個性豊かな人物であり、魅力的な人物です。

彼の特徴は二点。

「新しいもの好き」と「裏切り」です。

はじめて城に天守閣を築いたり、毎日健康管理のためにお灸を使ったりしていました。
当時日本に入ってきたばかりのキリスト教についても興味を示し、クリスマスを理由に「こんな日に戦うなんてやめようよ」と敵方に手紙を送るなど何か憎めない人物です。

ちなみに彼はキリスタン(キリスト教徒)ではありません。

策謀をめぐらすことが得意で、弱いと見れば自分の味方だった人物や勢力を騙すことを何とも思っていない面もありました。

織田信長が久秀を徳川家康に引き合わせた際に彼を紹介した内容がその人生を端的に表しているように思えます。

「彼が松永久秀である。常人では一つとしてできない悪行を三つも行っておる。一に主君を裏切り滅ぼしたこと、二に室町幕府13代将軍足利義輝を襲撃して殺したこと、三に奈良の大仏を焼亡させたこと。」

久秀は信長に対しても信長が弱体化したとみるや裏切るという行為を何度も繰り返しますが、信長が優勢となるとそのたびに降伏して助命されています。

余人をもって代えがたい力を持っており、信長自身も新しい物好きだったり反権威主義だったりする点でウマが合ったのかもしれません。

No.121で紹介した浅井長政の突然の裏切りの際に、信長が10数人で戦場を脱出した際には久秀も付き添い、逃走路の確保に尽力する姿勢も見せています。

浅井家が滅んだあとに、No.87で紹介した上杉謙信が信長を倒すべく立ち上がったとの報告を受けて、久秀はまた信長を裏切ります。

しかし、謙信は出陣前に脳卒中で倒れて死去してしまいます。当てが外れた久秀の居城に信長の大軍が迫り、包囲します。

信長はここでも久秀を許そうとして「お前が持っている茶器の名物を譲れば許してやる」と使いをしましたが、久秀はそれを拒否します。

久秀は、信長が所望した茶器とともに自慢の天守閣にて爆死しました。

時に1577年10月10日。これは彼が奈良の大仏を焼亡させた1567年10月10日から丁度10年だったことから、奈良の大仏の神罰であると噂されました。

嘘のような本当の話です。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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