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#0187【無い袖は振れないけれど(御家人の没落と徳政令、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は月初の日本史シリーズです。

見事、大陸を制覇したモンゴル主軸の元寇を退けた鎌倉幕府でしたが、大きな問題に直面します。

(前回:No.177【元寇、弘安の役)】)

それは命を懸けて戦った御家人(鎌倉幕府に従う武士たちのこと)にどう報いるのか。恩賞問題です。

元寇は文永の役と弘安の役に分かれていますが、文永の役の後にも恩賞問題が勃発します。

現熊本在住の御家人だった竹崎季長(すえなが)は自分の功績を認めてもらおうと鎌倉にまで行って訴え、何とか恩賞(土地)にありつくことができました。

彼はもらえただけマシでした。文永の役から弘安の役までの間には7年があり、その間に防衛網の構築など御家人たちには多くの負担がありました。

鎌倉幕府は御恩と奉公に支えられており、御家人からの奉公に対して幕府は恩賞や領地保全など御恩を与えることによって成り立っていたのです。

元寇において、御家人たちは確実に奉公はしています。しかし敵軍を撃退しただけで、襲来したモンゴル軍や高麗軍、旧南宋軍から何か領地を奪ったわけではありません。もちろん、賠償金も手に入れていません。

日本防衛のために命を懸けて戦った者に報いるための原資がなかったのです。

これまでは、鎌倉幕府内の権力争いで北条家が自分たちに敵対する一族を打倒していく過程で奪った土地を、活躍した御家人たちに報いることで権勢を高めていきました。

鎌倉時代における御家人たちは、度重なる使役に加えて、土地を兄弟姉妹が平等に分割相続していった結果、農業の生産効率が下がっていきます。

日本全体では貨幣経済が浸透していく一方で、生産力が低下していった御家人たちは困窮の度合いを深めて商人から借金をするようになっていきました。

一時しのぎにはなりますが、結局は借金を返すアテがありません。最終的に担保としていた土地を御家人は商人に取り上げられてしまうのです。

幕府に協力した御家人たちが困窮し、幕府が保護すべき土地を失ってしまう。まさに幕府の存在意義が根底から揺らいでしまう事態に陥ったのです。

ここで鎌倉幕府は御家人の救済のために「徳政令」を出します。過去に遡って御家人が失った土地を商人などから強制的に返還させる命令を下すのです。

御家人は喜びますが、商人たちは激怒します。もう御家人には金を貸さん。御家人は、借金をすることができなくなったことによって余計に追い込まれていったのです。

初めての武士政権が直面した経済問題。解決の糸口は見つからないまま、幕府内部の権力闘争も激化の一途を辿ります。

以上、本日の歴史小話でした!

(続き:No.188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家 、日本史通史) 】)

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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